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毒にも薬にもならない生き方

ここ数日、しょぼくて怪しい生き方のすすめみたいなことを冗談めかして書いてみたんだけど、実は、こういう生き方はぼくのが理想としている生き方でもある。

毒にも薬にもならない生き方と言えるかもしれない。ひっそりと、したたかに生きるマイノリティみたいな生き方だ。

この手の存在は、むだなもめ事を起こさず、むだに地球を汚さず、かといって長い物に巻かれることもなく、したたかに生きていけるのではないだろうか。

社会の問題のほとんどは、自尊心の問題だとぼくには思える。人からどう見られるているかにこだわるからこそ、羽振りを利かせたり、目立ちたくなったり、人の上に立ちたくなったり、びくびくしたり、劣等感を抱いたりと、いろんな葛藤や欲望が生まれるわけだ。

偉人はもちろんえらいけど、しかし、物体を押せばかならず同じ大きさの力で押し返されるように、影響力の強い人は、効き目の強い薬のような存在であり、効き目の強い薬とは、すなわち毒ということだ。

毒でも薬でもないような存在、つまり業(ごう)の深くない人間になりたいものだと思っているんだけど、ならば一般庶民がいいかというと、そういうわけでもない。

「健全な一般市民」すなわち、規範を守るしっかりした人は、多数派でいたいと思う人たちなので、周囲に迎合しやすく、集団心理に流されやすい点がやっかいだ。その点、あやしげな生き方をしている人は、そもそも世間で好ましいとされる姿からズレているので、集団心理には流されにくい。

かといって、怪しければいいというわけでもない。怪しい生き方をしている人の中には、メンタルが不安定になっている人も結構いるので、そうならない程度に、したたかに生きていくコツみたいなものを昨日書いてみたつもりだ。つまり、「から元気」を押し出すのがポイントである。

ひっそりと怪しく元気に、マイペースで、ささやかなものごとに満足しつつ、自分の視点でおもしろおかしく生きていくような人間になりたいなあとぼくはひごろから思っていて、そして、その手の人がふえれば、世の中は多少ましになるのではないかなあ、とも思っている。

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