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文章はデトックス

先ごろカナダ留学を決めた芸人の光浦靖子さんが『50歳になりまして』という本を出版したそうだ。その本は読んでないけどインタビューを受けている記事を読んでいていろいろ共感できるところがあった。一番共感したのは、本を書き終わってスッキリしたという感想だ。

――今回、本を書いたことで、光浦さんの中でどんな変化がありましたか?

光浦 デトックスじゃないけど、次のステップに行けるなと思いました。行こう行こうとはしてたけど、言葉にして、あと、こうやってインタビューを受けてしゃべっているうちに、自分の考えがまとまっていくというか。言葉って面白いね。言っていくとそういうふうになっていくのか、自分がコントロールされていくのか。何でしょうね。(生きにくい”人間・光浦靖子(50)が芸能界で見つけた「居場所」

まったくそのとおりだ。「言っていくとそういうふうになっていく」し、コントロールされる。ぼくもnoteを書いていて自分の知らない自分に出会うことなどしょっちゅうだ。

ちなみに昨日の記事を(長渕剛と大滝詠一はどっちがグレートか?)を書き始めたときは、あくまで大滝詠一について書くつもりだった。長渕のアニキをディスるつもりなど毛頭なく、神戸山口組を引き合いに出したのもまったくの偶然である。しかし「神戸山口組」と書いてしまうと白い粉がアタマにちらついて我慢できなくなり、ディスりはじめたら中学生の時の悔しさがよみがえって手がとまらなくなって単なる長渕疑惑になってしまったのである。でもいま読み返すとあそこが一番おもしろいし、書いた時にもスッキリした。脳みそから予期せぬものが出てきた時が一番おもしろい。

こういうことは作家にも多いらしく、書き始めると勝手に筆が動くのだそうだ。北方謙三先生が週刊プレイボーイに連載していた時、途中で人気キャラが死んでしまったことがある。そのとき読者から「殺さないで!」という嘆願がたくさん来たのだそうだが、北方先生はインタビューで「殺したくないけど勝手に死んでいっちゃうんだよ」と語っていた。

水島新司先生の『ドカベン』もストーリーがどんどん変わっていったらしい。

山田太郎がフライに打ち取られてチェンジになるシーンを描いていたはずが、仕上がった絵を見て「このスイングでこの当たりだと、山田のパワーなら持っていくな……」と考え直してストーリーのほうを変えてホームランにしてしまう、などは日常茶飯事。(Wikipedia「水島新司」

そういうところがおもしろいんですよね~。

これは文章にかぎったことではない。アタマの中でフワフワと思い描いていたものを具体化していく中で、構想がそのまま実現することなどない。オリンピック開会式も当初構想していたあれやこれやの10分の1でもやれてないだろう。

なにごともそうなのだが、そのことを実感するのに一番わかりやすくて一番手っ取り早いのが文字にして書き出していくいくという作業である。「考え」は、言葉にしようが言葉にすまいが関係なく存在しているように思いがちだがけっしてそんなことはなく、書くことと考えることは同じだ。そして、光浦さんも言っているように、書いた内容に自分がコントロールされて変わっていく作用もあっておもしろい。

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