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いてもいなくてもどっちでもいいじゃないですか

ぼく自身は、心霊現象などは、まあ好きな方だろう。

でも、最近これではマズいというか、ぼく自身の心霊に対するスタンスを変えたほうがいいと反省させられるような記事を読んだ。事故物件に関するものだ。

事故物件を借りた人の体験談が3例載っているが、共通するのが、

怪奇なことは起こらなかったけど、周囲の人の反応に困った

というものである。相場より安く借りられてよかった、と3人とも語っているのだが、友人が遊びに来てくれなくなったり、親が訪ねてきて塩をまかれたり、地元の商店街の人たちからしょっちゅう心配されて閉口したという。

真実味を語るのはやめようと思う

心霊現象というものが果たして存在するのか、わからない。

個人的には「単なる気のせい」ばかりだとは思っていないのだが、上のような具合になってくると、エンターテイメントとして楽しめなくなってくる。なので、今後はあまり真実味を力説するのはやめようと思った。

稲川淳二さんが「怪談は事件になっちゃいけない」とよく言っているが、だれかが傷ついたり、実害が生じたりするのものを、エンターテイメントとして楽しむことはできない。しかし「心霊」と呼ばれている以上、「人の死」が関わってくるのは避けられない。

人の死は、楽しむものではない。

ならば、そんなものは楽しまなければいいではないか、と言われるかもしれないが、怪談がなくては困る理由もあるのだ。

なぜなくては困るのか

ぼく自身が怪談好きな理由は、

ほんのちょっとタブーに触れる

感じがイイからである。この世とあの世と境目にほんのちょっと踏み込む感じがなんとも捨てがたい。

もしかすると、昔の人はお祭りなどでこの感じを味わっていたのかもしれない。

神社は、聖なる領域であり、われわれは俗世間に生きている。ふだん「聖と俗」の領域が交わることはないのだが、お祭りという形でほんのひとときだけ交わることができる。それによって、俗世間はほんのちょっとリフレッシュするのだ。

そこでちゃんと聖と俗の交わりをやっていれば心霊現象などに首を突っ込まなくてもいいはずなのだが、最近のお祭りは、聖の要素が薄れているというか、禁忌に触れている感覚が薄れている。

その分を、人々が心霊現象で補っていると思える。

心霊スポットの誕生

お祭りから禁忌の要素が薄れて、単なる「安全安心のフェスティバル」になってしまった分だけ、世間は別の場所に禁忌を見出すようになっているのだろう。ぼくもそうなんだけど・・。

そうやって、高度成長期からバブル期に建てられた巨大建造物が、心霊スポットと呼ばれて禁忌性を帯びるようになった。

しかし、しょせん廃墟の正体は「掃除していないホテル」でしかなく、整地して新たな建物が建てばそこで終わりだ。

個人化からモバイル化へ

社会の構成単位が、核家族から個人家族へ向かうにつれて、孤独死も増えてきた。そこで今度は、個人の住む場所が禁忌に設定されたのが事故物件ブームだったのではなかったかとと今では思う。

共同体がアトム化するについれて、忌み地もアトム化したわけである。

さて、現在、怪談の世界では事故物件ブームが終わって呪物(じゅぶつ)のブームがやってきているそうだが、あくまでこの流れで言わせてもらうなら、呪物とは、

モバイル化した忌み地

のようにみえなくもない。まあ、ちがうかもしれないけど。

いまあらためて「物の禁忌性」がスポットライトを浴びているのは、人はどこかにタブーを設定しないではいられない生き物であり、その場所がついに箱に入れて運べるくらいの大きさになったということではないだろうか。

この先どうなるのだろう。

図式的に考えるなら、この先、タブーな領域は仮想空間へ移動するしかなさそうである。連続殺人犯が使っていた呪われるドメインとか・・そんなにうまくはいかないだろうけど。

ただし、大事だと思えるのは、稲川さんが言っている通り「事件になっちゃいけない」という点である。

あくまでグレーゾーンにとどまって、ホントかウソかわからないままで、楽しめるものであってほしい。お祭りが終わったら日常に帰れるように、収拾のつく場所であってほしい。

事故物件は、不動産業者や大家が実害に悩まされるので、あまりこだわらないようにしたい。こころみに不動産業者のサイトをいくつか回ってみたのだが、事故物件の実害として、「霊障」をおおまじめに挙げているサイトが多かった。

しかし、だれでもいつかは死ぬのだし、それがたまたま病院でなかったというだけで、問題になるのはおかしい。被害者の名前を特定できるような実在の事件に禁忌のニュアンスをかぶせるのは、趣味が悪い。

ごくまれに住んだらマズい場合も(個人的には)あると思っているけど、そういうのはごくまれで、基本、きちんと清掃してリフォームすれば、また住める場所のはずだ。

一般の人が事故物件と聞いただけで塩をまいたりするのは、民間信仰に近くなっており、行きすぎていると思う。

反省

で、何を反省したかというと、ぼく個人としては、今後、心霊現象の真実味を力説する立場をとるのはやめようということである。稲川さんが前々から言っているように

私も懐疑派ですよ。いてもいなくてもどっちでもいいじゃないですか

という姿勢で末長く楽しみたい。

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