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自分のくだらなさを面白がる

すごくならなきゃ、しっかりしなきゃ、立派にならなきゃ、まともにならなきゃ。

ならなきゃ〜ってそうやって、無意識に思ってしまう自分がいます。


私はずっとつまらない自分を認めるのが嫌でした。

弱さも傷つきやすさもカッコ悪さもない素敵な自分になりたくて、

凡人であることは絶対に認めたくなかった。


そのままの自分でいいと言いながら、そのままの自分とは真逆の方向へ向かおうとしていた。

カッコつけて、できる自分、わかる自分を装っていた。


自分の脳内で認識している自分が主人公の感覚と、社会で体験する大勢の中で比較されて認識する自分の間のギャップに悩んで、私は社会で感じる感覚は見ないようにしてきました。


だって、社会は私の外側しか見ないし、心の表面的な部分しか見ないから。


私は自分の内なる感覚を信じて、主人公だから道を切り開いて行けるんだ、どんな世界だって創り出せるんだと信じて生きたかったのです。


でもね、自分の感覚と社会の感覚とそれがどうも噛み合わなくて、

どうして私は主人公なのにわかってくれないの?!と現実に苛立つ自分に疲れてきました。


社会に変われ変われ〜わかれ〜理解しろ〜認めろ〜と言っても、何も変わらないのですよ。


それが余計に悔しくて、私はいつからか社会に認められるために、強い主人公の自分を一生懸命演じるようになったのだと思います。


でも、本当の自分から遠ざかるばかりだった。


チャレンジしても冒険しても自分を大きく見せても、社会の評価は何も変わらない。


それなら私はいっそ何でもない自分で生きてみたらと思えてきた。


何でもない、傷つきやすくて感じやすくて、怒りっぽくてしょうもない自分のままで生きようと、そうしたら肩の荷も降りて頑張ってカッコつけなくてもよくなるじゃない。


楽ちんだし、下手くそなものも平気で見せられて、逆に自由になるのです。


どうしようもない自分の世界観を出せるようになる。


それはそれで、面白いかもと今は思うんです。


ブログもね、何年もやってきて、すごく考えてペルソナを決めて誰に向けて書くとか、書きたくもないことを読む人のことを考えて書いてきた。

でも、全然誰かの心を響かせることなんてできなかったんです。


それを認めることにして、私は自分のために自分の書きたいことをこれからはどんどん書こうと思います。


もう失敗とか成功とか、そんなことで悩まない。


他の人と比べて文章も下手くそだし、容姿だって中途半端で秀でたところもないとわかっているし、カリスマ性もないのをわかっているから、

下手くそなままで書きたいままに書くし、見た目も誰にどう思われても自分なりに良くなればいいし、凡人は凡人として楽しむ人生を全うします。


楽しむために生きていいんだ。


自分のダメさを笑って面白がれたら、新しい道が見えてきました。


これからは、もっと何でもない自分になって自由に生きていきたいな。




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