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【連載第10回/全15回】【「なぜヴァイオレットの義手は動くのか?」/本当はエロくて怖い『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』】

※▼第Ⅲ章.奇蹟篇
第9節.ヴァイオレットもギルベルトも知らないこと、私たちしか知らないこと


※※この全15回の連載記事投稿は【10万字一挙版/「なぜヴァイオレットの義手は動くのか?」を解く最低限の魔法のスペル/「感動した、泣いた」で終わらせないために/本当はエロくて怖い『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』/あるいは隠れたる神と奇蹟の映画/検索ワード:批評と考察】の分割連載版となります。
記事の内容は軽微な加筆修正以外に変更はありません。


第9節.ヴァイオレットもギルベルトも知らないこと、私たちしか知らないこと



私たちはここまで、ヴァイオレットの〈ブラックボックス〉から彼女の〈私秘性〉、〈手紙〉、〈カオス〉をへて、ギルベルトの決断としての〈賭け〉にいたり――それが両者の〈幽霊性〉からの〈復活〉〈新生〉であるさまを概観してきた。

このような〈新生〉はヴァイオレトとギルベルトを見失いつつも捉えるという読解を試みることで私たちにもともにもたらされるものであることが〈奇蹟〉への予兆となるだろう。

 
ではここで再び〈予示と反復〉の構造〈分身関係〉の綻びと〈逸脱〉の最後にして最重要な例を示そう。

それは本作『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を縦糸の〈手紙〉とともに横糸として織りなす〈過去の追憶〉――〈回想〉である。


【入力ワード:最後の〈予示と反復〉としての〈過去の追憶〉】


作中の〈過去の追想〉を――数え方にもよるが――ディートフリートやエリカなど、あるいはヴァイオレットとギルベルトに帰属しないと考えられるものを除き――ヴァイオレットが6回ギルベルトが4回ととりあえず数えることとしよう。

以下のようになる。
(頁数は前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』より)

【〈過去の回想〉】

〈ヴァイオレットの回想〉 全6回

・pp.14-15(ギルベルトとの出逢いの抱擁。抱きすくめられる。内面描写なし。)

・p.21(ライデン市長の「軍人として」の発言に反応する戦時の自分3カット。内面描写なし。)

・pp.22-23(ギルベルトにブローチを買い与えられる。内面描写なし。)

・pp.27-32(自室でランプの灯りの中で義手の整備からの回想。)
(以下の画像を参照)
(戦場でギルベルトが撃たれる。いまに一瞬戻る。再び回想が続きギルベルトを背負って逃げる。また一瞬戻る。回想のギルベルトの「心から愛してる」。自室に戻ってからギルベルトへの手紙を書く。内心の代わりに手紙の文言が読まれる。)

画像1

(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式Twitterより)

・pp.116-118(スミレの花を見るギルベルトと蝶を見るヴァイオレット。本を読むヴァイオレット。戦場で兵士に飲まれるヴァイオレットをギルベルトの手が引く。内心描写なし。)

・p.155(ギルベルトとの月夜の再会。抱擁から過去の最初の抱擁の追想。)


〈ギルベルトの回想〉 全4回

・pp.102-103(修道会の病院のベッドで目覚める。兵士の亡骸をみる。)

・pp.105-107(最後の戦場――ヴァイオレットの落ちた腕――ギルベルトを見るヴァイオレットの顔。)

・p.113(扉を境にしてヴァイオレットの声を聞きながら4カット、火の粉の舞う中で血に濡れたヴァイオレット。)
         
・不分明に混じり合う回想pp.142~144(ディートフリートと対峙しつつ――ヴァイオレットとの出逢い。蝶を追うヴァイオレットを見るギルベルト。続いてヴァイオレットの手紙を読みながら――最初の抱擁――ヴァイオレットの手を引き抱きしめる。手紙の文面とともにふたりが経験した様々な追憶。最後にヴァイオレットとの別れ際で穏やかに微笑む。)


ここで注目するポイントは3点ある。

【①】
これらの回想自体が作品にたいして持つ意味である。

あらためて振り返ってみると例に挙げたものだけでもわかるように、まずこの多さに驚く。
それだけで本作において〈回想〉の持つ機能がいかに重要であるかがわかる。

本作『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は〈過去〉へと届く〈手紙〉の物語と云える。
 
また、ヴァイオレットとギルベルトの〈幽霊性〉の観点からすれば――〈過去〉に生きる亡霊たちの話であり――〈過去〉という亡霊に取り憑かれた者たちの〈復活〉と〈新生〉の物語なのであるが――それは決して〈過去〉が消え去ってしまうというようなことではない。

〈過去〉を再び生き直す、受け取り直す話である。
 
それをこれから確かめよう。 

本作のふたりの〈回想〉は――モノローグもナレーションも付されない〈過去の再現〉として描かれるため――どちらのものか判然としないものがあるのだがそれゆえに――〈手紙〉と同じく〈不確定性〉にたゆたっており本作を読み解く上で最大のヒントになる。

本作はこの〈不確定な回想〉の多用により〈過去〉〈現在〉を行き来しながら進行していく構造になっている。

最初はヴァイオレットの〈回想〉4度続く。
そしてギルベルトが3度
そのあとヴァイオレット、ギルベルト、最後にヴァイオレットとなる。(前述のようにとりあえずである。)

当たり前であるが彼女たちが再会するどころかギルベルトの生存が(ヴァイオレットに)確定される前にも〈回想〉は行われる。

つまり彼女たちは直接に再会する以前から〈回想〉というかたちで想い伝えていた

しかし重要なことはそれは互いに一方通行なものであるということである。

一方通行な〈回想〉=〈手紙〉の一方通行的性格ということとなる。

ヴァイオレットもギルベルトも同じ出来事を明らかに違った解釈で〈現在〉から〈回想〉し当時の差異をより強化したかたちで再演している

観客はそれを彼女たちとは異なる時空から、外側から覗き見ている。


【②】
〈過去〉の追想の重要な機能のふたつ目は観客だけが知る特殊な〈回想〉についてである。
  
最後のギルベルトの〈回想〉――ディートフリートとの対面とヴァイオレットからの〈手紙〉を読みながらの〈回想〉である。

まず兄との会話では幼いヴァイオレットが空を舞う蝶を眺めている姿を〈回想〉する。
これはその前のヴァイオレットの5回目の〈回想〉と同じ出来事であり対応している。
同じ出来事を互いが別の角度で〈回想〉している。(以下画像を参照。一枚目がギルベルトの、二枚目がヴァイオレットのものである。)

画像3

(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』p.142)

画像3


(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』p.116)

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(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式Twitterより)

ここでヴァイオレットの方はギルベルトが何を考えているのかがわからない(わからないというよりそれを知りたいと思うこと以前の段階かもしれない)といった意味合いで思い出されているように見えるが――ギルベルトはその悔恨の言葉で自身の背徳的なエロスを確認しているように見える。
 
次にディートフリートに促され、〈手紙〉を読みながらの〈回想〉であるが――最初はギルベルトから〈回想〉に入っていくのであるが――〈手紙〉の文面がその〈回想〉シーンに重ね合わされていくためそれがギルベルトのものであるかヴァイオレットのものであるのかが混ざり合ってわからなくなる――〈決定不能性〉――のである。

ここにギルベルトのヴァイオレットとの出逢いの抱擁のシーンの〈回想〉が含まれる。(以下画像を参照)

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(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』p.143)

これはヴァイオレットが1回目と最後で〈回想〉するのと同一のシーンである。
(以下の画像を参照。一枚目が1回目の、二枚目が最後の回想となる。)

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(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』p.15)

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(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』p.155)

つまり映画のリニアな順番は

ヴァイオレット→ギルベルト→ヴァイオレット(月夜の海での――映画のクライマックスでの――二人の抱擁の直後に、最後の〈出逢い抱擁〉の〈回想〉が置かれていることに注意)

と、このように同一の出来事――出会いの抱擁――の〈回想〉がくりかえされている。(※最後の回想をふたりの〈回想〉あるいはギルベルトのものとるとそれぞれ別の解釈が可能となるがここではヴァイオレットのものとする。) 

 

さて、ディートフリートを前にしたギルベルトの〈回想〉の続きである。

最後は戦場でギルベルトとヴァイオレットが別れるシーンになるのであるが、必死さと当惑を浮かべる幼いヴァイオレットの表情と対照的な穏やかに微笑むギルベルトの表情で終わる。(以下の画像を参照)

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(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式Twitterより)

このギルベルトの〈回想〉が重要なのは、彼の「あいしてる」を云った場面で――彼の声はなく――ヴァイオレットの〈手紙〉(ヴァイオレットの声で読んでいる)が重なっていることである。(以下の画像を参照.一枚目と二枚目は連続したカットである。二枚目の「あいしてる」はヴァイオレットの手紙の文面であることに注意。)

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(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』p.144)

これは誰の視点の〈回想〉なのだろうか?

本当にあったことなのだろうか?
そうであるとしてギルベルトの微笑みは何を意味しているのであろうか?

このあとの文面は「……愛してる……を……ありがとうございました」が続き、現在のギルベルトはなんともいえない崩れた表情をすることになる。(以下の画像を参照)

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(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式Twitterより)

このギルベルトがヴァイオレットとの別離に残した微笑の〈回想〉の意味は〈多義的〉であり確定させるのが難しい

スタンダードな見方は絶望的な状況でヴァイオレットに安心と最後の祝福を願いそれを彼女に伝えようとしたというものである。

問題はそれをここで〈回想〉する意味である。

実はこれと同じシーンをヴァイオレットが4度目に〈回想〉している。

一度目は別れのシーンでギルベルトの声で「あいしてる」を聞く

そして同じシーンを続けて〈回想〉するのであるが、今度はギルベルトの「あいしてる」はない
かわりにギルベルトの微笑みの後に発するのはヴァイオレトが書く〈手紙〉の彼女の読み上げである。
「……『あいしいてる』……。その言葉を与えて下さった……。だから、こうしてまた手紙を書いてしまうのです……。」
(以下の画像を参照。それぞれ一度目がギルベルトの声での「あいしてる」であり二度目はヴァイオレットの手紙の文面であることに注意。)

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(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』p.31)

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(前掲書『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン STORYBOARD』p.32)

このギルベルトが「心から愛してる」を伝えるシーンで彼の――負傷した右目を隠すためか――表情は半分しか映されていない。

これも時系列は

【1】4度目のヴァイオレットの〈回想〉(①ギルベルトがヴァイオレットに「あいしてる」を伝える②ギルベルトの最後の微笑みのあとにヴァイオレットが手紙を書きつつ「あいしてる」を声に出す)→

【2】→ギルベルトの〈回想〉(ヴァイオレットと同じ状況を〈回想〉)→

【3】→ヴァイオレットの〈手紙〉「あいしてるをありがとうございました」)となる。

【2】と【3】は連続しており、ギルベルトの〈回想〉に続いてのヴァイオレットの〈手紙〉の文面の声となる。
くりかえすが、ここではギルベルトが別れ際に口にした「あいしてる」をヴァイオレットの〈手紙〉の声が引き継いでいる


このヴァイオレットとギルベルトの始まりの抱擁別れの「あいしてる」がともにヴァイオレットの〈回想〉と〈手紙〉でサンドイッチされる構造は非常に印象的であるばかりではなく明確であることに驚かされる。
 
つまりこの何度もくりかえされる〈回想〉の〈抱擁〉と「あいしてる」が現実のふたりの再会の場面で出逢うことで新たな意味――出来事となるという構造である!


さて、少々先走りすぎた。一方通行なふたりの〈回想〉と〈手紙〉が〈過去〉へと届く〈手紙〉の物語となることに戻ろう。

つまりこのヴァイオレットとギルベルトの別れの際の彼が「愛してる」を伝えた〈過去〉に、現在のヴァイオレットの〈手紙〉が「愛してる」を返している――ということが注目されなければならないということである。

さらにそれだけでなくこの〈過去〉と〈手紙〉のつながりは両者の内面の〈回想〉を俯瞰して把握できる私たちだからこそひとつのつながりとして了解しうるということである。
これによってヴァイオレットとギルベルトは〈時間〉と〈個体性〉によって隔てられているということがむしろ強調されるといえる

そしてもうひとつ重要な示唆がここにある。

「ヴァイオレットはギルベルトを理解していなのではないか/しようとしていない」というこれまで何度も前提にしてきたことである。

これが傍証以上のものとなるであろうか。

つまりギルベルトのなかで〈回想〉されるヴァイオレットは〈回想〉している〈現在〉からのコメンタリーとしての彼のセリフとともにある。(つまりヴァイオレット、ホッジンズ、ディートフリートの前で〈回想〉のなかのヴァイオレットを斟酌する言葉を口にしている。)

しかしヴァイオレットの〈回想〉のギルベルトにはヴァイオレットは云わないのか云えないのか、何も云っていない。あいかわらずモノローグも付されない。
ヴァイオレットはいまだドールとしての仕事を経験する前のように彼を〈回想〉する。

ヴァイオレットの最後の物語のこの映画において、一面ではヴァイオレットはひとの心がわかるようになったという成長を遂げた姿で描写されるにもかかわらずである。

彼女はギルベルトだけはあまりに特別であるからそれがわからないのだろうか?
あるいは〈現在〉ではなく〈過去〉のことだからわからないのだろうか? 
あるいは彼にたいしてはそもそもそれはどうでもいいことなのだろうか?
それともやはり彼女は実はすべてを知っている、または知っているつもりではあるが私たちにはそれがわからないのだろうか?

ヴァイオレットとギルベルトのこの〈過去〉別れの〈回想〉には決定的な違いがある。

まずヴァイオレットはおそらく実際にあったとおりに、彼の微笑みとともに「あいしてる」を〈回想〉する。
そして一旦現在時に戻り、続けて彼への〈手紙〉を書きながらその文面を読む自身の声のなかで――今度は二度目の何も云わない同じギルベルトの微笑みを想起する。
(以下おさらいである。)

それにたいしてギルベルトの〈回想〉では――ヴァイオレットの声で〈手紙〉を読むヴォイス・オーヴァーがギルベルトの〈回想〉に被る演出もあって誰の〈回想〉であるかが〈不確定〉になるが――少なくともここではギルベルトの声の「あいしてる」は聞かれないのである。

これによってヴァイオレットの〈手紙〉の最後の一文の機能と効果があらわになる(何度も述べたようにそれはここではじめてギルベルトがヴァイオレットの「あいしてる」を知るのではないのであった。それは彼にとって既知のことであった)。

つまりこれによってこのシーンでギルベルトは〈過去〉に自分が伝え――いまは失った――「あいしてる」を〈手紙〉によって返されることで呼び覚まされるということである。

なによりここで重要なのはギルベルトは〈回想〉――つまりそれをしている〈いま〉――では「あいしてる」を喪失しているということだ。

ギルベルトは〈過去〉には云えた「あいしてる」〈現在〉では――最後にヴァイオレットに再会して直接伝えるまで――〈回想〉のなかで云わない自分を登場させることで――それを言う資格を失ったという自覚を表明しているのである。
 
これで彼がいかに自身に重い劫罰を科していたかがわかるだろう。

ギルベルトは右眼と右腕を失っただけでなく、なによりヴァイオレットへの「あいしてる」を失っていたのである。

このギルベルトの最後の〈回想〉から見いだされるものが観客だけが知る特殊な〈回想〉の意味である。

この彼の〈回想〉の意味とは――ギルベルトの〈回想〉のなかに、ヴァイオレットというまったくの他者として隔絶した存在の〈手紙〉が侵入することで時空を越えての対話が実現するという――私たちだけが知る〈真実〉があらわれたということである。
(※これはいま探求を進めている〈奇蹟〉とは別の観客のみが知り得るという意味でのスクリーンにおける〈奇跡〉である。)

またこの稀有な出来事を前にすると、彼女と彼の〈真実〉を私たちが知ることはいかにありえないことであるかがわかる(もちろんこの漏れ出た〈真実〉が絶対である確証はないしふたりのほうがより知っているという保証もない)。

 
今度はこれより前の同じヴァイオレットの二度くりかえされるギルベルトとの別れの場面の〈回想〉に戻ろう。

ヴァイオレットは一度目の〈回想〉では聞いた「あいしてる」を二度目は聞かない――失ったということもたいへん意味深長である。
(※これは聞かないというよりは手紙に「あいしてる」という言葉をタイプライターで打つ瞬間にギルベルトの「あいしてる」を思い出したということであるが、ヴァイオレットの「あいしてる」が先か、彼の〈回想〉が先かは〈両義的〉である。)

そしてこの〈回想〉からいま書いている現実の手紙の「あいしてる」の連想は――先述したように――ギルベルトとの再会において今度はギルベルトの〈回想〉へのヴァイオレットの〈手紙〉の侵入と結合としてくりかえされることになる。

ここで強調しておくべきことは「あいしてる」という言葉がヴァイオレットにとってどれほど重要な解くべき〈謎〉であったのかということである。

まるでそれだけしか見えていないかのように――。

こういってもそれほど的外れではないだろう。

「ヴァイオレットはギルベルト自身以上に『あいしてる』という言葉の意味に執着しているのではないか?」

よりプリミティブに掘り下げていえば

「『あいしてる』という言葉こそが主体となって彼女の執着、欲望、エロスを惹起し支配し彼女を突き動かしているのではないか?」

「『あいしてる』の意味を探るということは〈ひとを愛する〉こととどういう関係があるのだろうか?」

つまりヴァイオレットは――ギルベルトを「あいしてる」ということとそもそも「あいしてる」ということ自体が何か?ということの互いに別のもの――〈謎〉を混同し実際には別けられていないのではないか?ということである。

逆に言えばギルベルトはその〈謎〉――「あいしてる」を知らないヴァイオレットにそれ自体が何か?という問いと自分がヴァイオレットを「あいしてる」という宣誓を――同時に伝えてしまったということである。

「愛するとは何か?」については節をあらためてこの後すぐまた考えることになるだろう。


またすこし戻ろう。

観客である私たちのみが知り得る〈真実〉であるギルベルトの「あいしてる」の喪失が意味することについてである。

このギルベルトの〈回想〉とヴァイオレットの〈手紙〉の出逢いという思わぬ交叉――。

つまりギルベルトのなかのヴァイオレットがいる。
そしてヴァイオレットのなかのギルベルトがいる。
(どちらが先にその種を蒔いたのだろうか?)

このギルベルトのなかのヴァイオレット、ヴァイオレットのなかのギルベルトは互いを想う〈エロス〉的出逢いであると同時に一方的な思い込みの他者像であることとの区別がつかない。
区別がつかないことは同じであるということかどうか?

ただ云えることはこの点で明確にヴァイオレットとギルベルトはすれ違っておりズレがあり、ミゾが刻まれていることが示されているということである。

なぜなら、それが一方的な思い込みであるにしても「正しく」把握した他者であるにしても別のものでなければ出逢うことはありえないからである。

つまりここまでは「どのような出逢い方をしたのか」を見てきたということになる。

このズレとミゾには解消する方法などないということ。それがわかるということ。
この先がありうるのかどうか――。
これが最後まで残る課題となるだろう。

 
まとめよう。

とにかくここで強調しておきたいことは本作において〈過去〉と〈手紙〉の対話ならぬ対話という直接的な伝達ではなく何重にも間接的な対話という驚くべき達成を見せているということである。

これは恐るべき鮮やかさとさりげなさであり震撼する極北の技巧、魔術といってもいい。
これを〈奇跡〉と呼ばざるを得なかったことは先に見たとおりである。

ヴァイオレットの〈手紙〉での「あいしてる」はギルベルトにとってはあの失われた〈過去〉、〈いま〉と断絶した〈過去〉を再生させる。

それはおそるべき予感を告知するものであったはずである。

なぜなら対峙せねばならない「あいしてる」こそが、自身からそれを奪った当のものであるという循環となるからだ。

そしてもうくりかえすこともないことであるが、やはりここでも単純に「ギルベルトはヴァイオレットの手紙で『あいしてる』を伝えられたことでその思いを知り応えた」とはいえないことがわかる。

ギルベルトは〈手紙〉によってヴァイオレットの「あいしてる」を知ったのではない。

彼は〈過去〉で失った自分の「あいしてる」がヴァイオレットを介して〈回帰〉してきたことを知ったのである。

それが再生したからこそギルベルトはヴァイオレットに再び「あいしてる」を伝えることができたのである。

ただしこれは「あいしてる」をヴァイオレットに伝えるトリガーとはならない。あくまでもそれが可能となったということに過ぎない。

彼を突き動かしたのは前節で述べたヴァイオレットの「〈手紙〉のミステリー」におそれおののきつつも「誘引」されたからである。

ヴァイオレットという〈ブラックボックス〉におのれをさらす〈賭け〉を決断したからである。

つまりこの〈過去に届いた手紙〉はギルベルトのみがその作用域にいるのであり、あいかわらずヴァイオレットはそれを知らない。

本作は、〈手紙〉は届かないかもしれない――届いたとしてもその意図は伝わらないかもしれない――誤解されるかもしれないという――一般的に本シリーズのテーマとされる「手紙によって伝わる想い」とは別の側面を最後に潜ませることで遡及的に根本的に読み直すことを引き起こす。

だからこそ一面的ではない魅力があるのである。それは〈手紙〉を書く人であるヴァイオレットの〈ブラックボックス〉へのギルベルトと同じおそれとおののきへの〈エロス〉である。

本作ではヴァイオレットとギルベルトはあくまでも非対称的な想いで惹かれ合っているのであり、透明で筒抜けになった心情を共有しているわけではないという現実においてもごくあたりまえな関係性を――モノローグを排しながら――〈手紙〉や〈過去の追想〉という間接性を駆使して――実にエレガントな絶技で重層的に表現している。

そしてこれがギルベルトにヴァイオレットを追わせた原動力なのである。

ギルベルトは――〈過去〉での別れの言葉としてではない――〈いま〉ここで現実で、もう一度(幽霊となった後に)「あいしてる」をヴァイオレットに伝えに行くのである。


(連載第11回【第Ⅲ章.奇蹟篇 承前第9節.ギルベルトの〈抱擁〉及び第10節.もうひとつの、ユリスの〈死〉の意味】に続く)

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