2024.05.26

今日は、すごく精神的に疲れる日だった。どちらかと言えば、自分から疲れるような日にした、という方が正しいけれど。

母と出かける用事がなくなったから、朝からパンを買いに行った。
ルバーブのタルト、コーヒークリームを添えたブリオッシュ、サワークリームオニオンのカンパーニュ。
私には7割理解できない言葉がずらりとならんだあのディスプレイは、私の癒しのひとつと化している。全然似ても似つかないかもしれないけれど、ここにいると三島由紀子作「しあわせのパン」を思い出す。水縞くんがりえさんに焼くパンはこんなに飾ったものじゃないだろうけど、なんとなく想起するのはこの作品だった。りえさんの挽くコーヒー、飲んでみたいなあ。まあコーヒー全く飲めないんですけどね。

心を天日干しにした気分になるので、是非「しあわせのパン」読んでみてほしい。

なにはともあれ、買ったパンを意気揚々と握った私が久々の忙しくない一日をどう過ごそうか考えていたとき、ふと、父と兄が祖母のお見舞いに行く、と言っていたのを思い出しました。

御年96歳の祖母が老衰から肺炎になったのが数日前。「ご家族の皆様は覚悟しておいてください」を聞いたのは久しぶりだ。正月に家に来た祖母は車椅子に乗り、やせ細っていて、正直意思の疎通をする方が難しかった。そこから4ヶ月。全くお見舞いに行かず、祖母が亡くなるということを考えるとあまりに胸糞&恩知らずに思えるので急遽行くことを決めた。

待ち合わせしていた父と兄をよく見ると、兄は加齢によるお腹まわりのたるみがよく見えたし、父もやはりどんどん顔の皺が深くなっていた。人はすぐ年をとっていく。

病室に入って久々に見た祖母は、正直いつ息を止めても理解できるような状況だった。アルツハイマーにかかった以外は特に持病もなく、老衰で意識もなく逝ける祖母は恵まれた方なのだろうが、現実に取り残されたからだを見る限り、どうも恵まれている方とは思えなかった。

管があらゆるところから伸び、いくら酸素を入れても酸欠で、むくみがとまらない祖母のからだをさする兄と父の情景が物悲しくて、とても頭から離れない。

全く涙がたまるそぶりも見せていなかったのに、兄が祖母に語りかけようと口を開いた瞬間、どうも何か止まらないものがあった。たぶん、兄の頭の中では、幼少期にあの祖母の家でどう遊んだか、昼寝をしたか、カニチャーハンを作る祖母の姿を眺めていたか、ありありと上映されているんだろう。私と兄は異母兄弟だから同じ幼少期すら送ってないのに。でも、なぜか想像ができた。ありがとう、と感謝を述べる人を見て泣いたのは人生初かもしれない。

泣いているところは誰にも見られたくなかったから、無理やり涙をぬぐって外に出た。多分、祖母があのベッドで横たわっているところが見られるのは今日が最後だろう。

病院を出た後飲みにいく父と兄を見送り、はて、こんな泣いた顔でどこに向かおうか、と考えた時に思いついたのは、とても愚かにも、私の昔の家だった。祖母の病院から私の引っ越し前の家は徒歩10分ほど。魔が差した、としか言いようがなかった。

向かう道すべてが懐かしかった。なぜ潰れていないのか理解できない雑貨屋、いつのまにか取り潰されてどこにでもあるクリーニング屋になっていた肉屋、どう考えても客足が少なすぎるパン屋。
家に近づけば近づくほど鼓動は早くなるし、涙腺に涙がたまっていくのを、一滴ずつ感じれるようになっていた。

家に向かうまでの坂道は、覚えていたより数倍低かった。小5で引っ越した昔の私からするとこの坂道は帰るたびに地獄でしかなかったが、20歳にもなると、お茶の子さいさいになるらしい。

そして自分の旧家が視界のまんなかに飛び込んできたとき、わたしは嗚咽を抑えることしかできなかった。自分でも理解ができないぐらい、号泣していた。

家の前で両親と手を握って取った写真の数々、家の間取り、腐りかけだったデッキ….今度は私の頭の中に走馬灯のように流れてきた。流れてきた走馬灯を書き出すと、人生史くらいの長さになってくるから、ここでは描写しないでおく。

懐かしさと、何か後ろめたい気持ちと、名前すらつけられないがんじがらめに絡まった感情に押されるように、近くの公園のブランコに座り込んだ。追いかけ合う3人の子どもの騒ぎ声をBGMに、どうにかiphoneのメモにつぶやいた。

昔の家を見た瞬間に、涙が止まらなくなった
間取りが目にありありと浮かんできた 歩いた記憶が蘇ってきた なぜかつらくて、涙がでてきた 全く別の人の家になっているのが辛かったのか、嫌な記憶があったのかはわからないけど、とにかく涙が止まらなかった。記憶していたよりもずっと坂は低かった。
いえば何にも変わっていなかった。記憶したまんまだった。だからこそ、何かが辛かった。

最近の私は、家族と離れることによって心の安寧を保っているのかもしれない。前より、家族とふれあうことがとても少なくなってしまった。姉の仏壇に手を合わせる日も、ずっと少なくなった。
昔の和室はリビングと繋がっていたから、いつでも姉の仏壇があった。いつでも花が添えられていて、絵本もあって、生活の一部に姉がいた。でも、今の家では和室のふすまは閉めたっきり。1週間の中で和室に入るのが1回もあればいいぐらい。最近手を合わせたのは何ヶ月前が最後だろうか。引っ越ししてから仏壇には祖父、叔母、兄が仲間入り。みんな、早いよ。

今日、帰ってきて、あらためて和室に足を踏み入れた。前はあったはずの4人の写真が消え失せ、長い仏名が書かれた位碑たちだけがそこにぽつんと残されていた。それにも気づかなかった私が、どうにも情けなかった。

過去に囚われすぎている、と思う。数ヶ月に一回、幼少期からの写真を引っ張り出しては、泣く。姉の葬儀の写真を見て、泣く。昔の自分と姉を見て、泣く。写真だから何も変わらないのに、全く同じものを見て、全く同じように、泣く。

多分私はこの20年間、感傷に浸りながら生きている。ぬるい涙に浸かって、自分が当事者でもないのに、なぜか自分のことを慰めながら生きている。今これを書いている瞬間も、何か悲劇的なことが新しく起きたかのように、自分を慰めながら書いている。

明日からは、毎日和室に足を踏み入れるところからしてみようかな。まずは、うまくできたチョコのテリーヌをお供物にすることから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?