愛情とは何なんだろう。
はじめまして。伊野と申します。早速なんですが、愛情って何だろうと思ったことはありませんか。僕は結構な頻度で考えています。それを考えさせられるのは、自分の家庭環境が影響しています。最初の投稿というのも兼ねて、自分の人生を薄っぺらく説明しながら、語っていきます。
1999年5月16日に僕は広島で生まれました。
まあそんなことはどうでもいいか。
母親も父親も中卒です。なおかつドヤンキーです。
1歳かな、あんま覚えていませんが、両親は離婚し、母親に引き取られました。そこから母親が私を育て上げたのですが、本当にいろいろありました。
母親は夜に仕事をしていたので、幼い頃から一人で留守番をしていました。
すごい怖いんですよ。ほんと。
だからずっとテレビを見てました。てかそれしかすることがないんですが。
母親は仕事の都合上、酔っ払って帰ってくることが多かったのですが、それが一番怖かったです。なぜなら殴られたりするから。多分理由はないです。まあシラフでも平気で殴ってくるのでどちらにせよ怖かったですが。
まあそんなこんなで小学生になるわけです。小学生は前半部分いじめやらなんやらありまして、不登校時期もありました。いじめの件については母親が助けてくれました。感謝しています。
小学校3年の頃かな。妹ができました。父親は私の父親ではないです。その妹の父親ともだいぶ会ってないですね。
小学校5年からサッカーを始めました。母親はあまりサポートできない環境(家が貧乏)だったので、おばあちゃんに頼りっぱなしでした(このおばあちゃんは父方の方です)。
中学生になりました。近くの公立中学校です。ヤンチャな中学校でした。私も中学校に入ってからいろいろと先生などに反抗することが増えました。仲間も増え、ほんとうに今となってはできないことをたくさんしました。いい思い出です。詳しいことはまた違う機会にお話ししましょう。中学校くらいになると、そこそこ母親とも戦えるくらいに成長しました。やられてもなんとか耐えられるくらいには。その一方で仲も良かったです。この時が一番良くて、愛というか家族というものを少しは感じてたのかもしれません。
高校生。まあもちろん中学校でヤンチャして勉強もしてなかったので、バカで有名な学校に入学しました。夢がサッカー選手だったので、サッカーは強いところでした。
高校からです、環境が一変したのは。母親が家にあまり帰らなくなりました。母親も女性なので恋愛はします。サッカー部の夜の練習が終わって家に帰ると、お金だけ置いてあります。それで晩飯を買ってまあいろいろ明日の準備とかして寝て、起きて朝練、学校過ごして帰宅するとまた一人。
サッカーが強い高校なので、少し遠いところや県外から入学してきて、寮で暮らしている人もいました。でも私はそれとは違う一人でした。同じ県にいるはずなのに、実家なはずなのに、私は一人でした。妹は?妹はいとこの家にいました。つまり、家族でいる時間がものすごく減りました。
愛情。それって一体なんなんですかね。
ずっと他の家庭を見てると、朝ごはんが出てきて、昼は弁当作ってもらって、夜はみんなで夕食を食べる。こんなこと、今までで数え切れるくらいにしかなかった。大多数の人にとっては普通のことが、私にとっては当たり前じゃない。
僕は不器用ですからまあひたすら過ごすだけでした。そんなこと思うだけじゃ伝わらないし、もう遅いです。私はもう大学生ですから。
母親もシングルマザーですし、同じく不器用ですから、できないこともたくさんあったと思います。
私は自身が悲しい思いをした経験を活かして、将来の自分の家庭を幸せにできるようにこれからも過ごしていきたいです。
大学生を卒業して思うこと
大学生を卒業して、フリーター2年目になってこの記事を振り返る。
正直働いていて思うのは、自分1人で精一杯。
母親が1人で自分と妹を育てていたことに恐怖を覚えるほどである。
他の家庭が一緒に過ごす時間が多いのは当たり前。
夜の仕事の方が時給が多いし、稼ぐには多く働かなければいけない。
そんな簡単なことは子どもにはわからない。
大人になってわかる母親の凄さ。
私と同じような境遇を生きる人は少ないだろうし、分かり合えない人の方が多いと思う。
だが、親が簡単に子どもを育てられるとは思わない方がいい。
我々は人のエゴによって生まれたにすぎないが、さまざまな経験や感情を享受し、この人間の人生というものをプレイングできているのは、まさしくそのエゴのおかげである。
子どもの頃を思い返せば、もちろん暴力は嫌ではあったし、なぜそのような言い方・やり方しかできないんだと憤りを感じることもあるが、子どもを育てる責任感に追われいっぱいいっぱいだったんだろうとも思う。
親が子どもを殺すというニュースはよくみる。あれは決して許されるものではない。それを考えると、我々がいかに幸せかがわかる。
もちろん死にかけたことはあるが、死んではない。
命あっての物種で、私はこうして今様々なことにチャレンジできている。
子どもを育て上げるというミッションを遂行してくれて、感謝でしかない。
時間を過ぎていくにつれて、さまざまな人と出会いさまざまなことを知る。
これは少なからず自分自身の考え方に影響を及ぼす。
時間が過ぎないと多角的に考えることができないものもある。
現段階で私は母親に感謝している。
大学生時代の自分はひねくれていたのだろうな。
愛に関してまだわかってはないが、これからも日々色々な人と話しながら考えていこうと思う。
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