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生きる、考える、悔やむ。

お久しぶりです。
伊野優利哉です。

皆さんよく後悔しないように選択して生きようって言われたりしませんでしたか?

人生はさまざまな分岐点で構成されてるいわばフローチャートのようなもので、生→死に向かって色んなifストーリーが広がっているわけです。

これだけの並行世界がある中で、全く後悔なく生きることって可能なのでしょうか?

答えはNOだと思います。

いや、自分が選んできたことは正しいという方も多くいるでしょう。

その考えこそが"納得"というものだと思います。

後悔はあれど自分の選んだ行動や道に"納得"さえすれば、自ずとそれが正しかったと思えるのだと思います。

私は正直、多数の後悔があります。

結局たられば問答になるのでしょうが、こう考えることができるのも命あっての物種かと。

でも、生きているからこそ苦しいこともたくさんあります。考えるからこそ苦しいこと、たくさんあります。

いじめ、虐待などを受けて死にたいと思ったことも、あ、殺されるなって思ったことも、何回もあります。

後悔は自分が選べる立場にあるからこそ生まれるものであり、選べないことに関しては後悔できない。

選ばなかったという行為もまた自発的ですから、後悔は自分で動いている人の証でもあります。

たまたま生き延びて、それ以降生きる選択をしたことが、今ここに文字を綴って表現したり、歌を歌って表現したりすることに繋がっている。

こんな想いを綴りながら、いつまでたってもあーすればよかった、こーしたらよかったなどとぐちぐち考えてしまうわけです。

自分で言っておきながら、自分自身はそうなってしまうんですよね。


皆さんにとって、大切な人っていますか?

その大切な人がすぐに目の前からいなくなってしまうってときに、自分なら何をするだろうか。

目の前からいなくなってしまうなんて突然起こるかもしれません。

それが蒸発かもしれないし、最悪突然の死かもしれない。

そうなった時にどう行動することが正解なのかなって常に考えています。

ぐちぐち考えちゃう僕に大好きな先輩はこう言ってくれました。

「1日24時間しかないのに、そんなこと考えてるの無駄じゃない?」

これは至極真っ当な意見なのですが、自分の意見だけで完結していた自分にはかなり刺さりました。

さまざまな後悔は反省につなげるべきだし、今を生きているこの瞬間を大切にしないともったいないですよね。

自分自身もきちんと大切にしないといけないわけで。

ぐちぐち考えてるくらいなら行動しろと。

家族だったり、好きな人だったり、推しだったり、愛が切れることがないように。

そんなこんなでつらつらと。

あんときもっと腹割って話しとけばよかった。

もっと会いに行けばよかった。

じゃなくて、全部話せ、会いに行け、生を楽しめ。

世界には愛しかない。

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