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何故か自分が成績が上がった習慣

自分はいい大学と自信を持って言えるわけではないが、ある程度のレベルの大学に入ることができた。

それは自分が高校のときのある習慣がルーツだと思う。高校1年の時、担任の先生と保護者で三者面談をした。自分はあまり成績がよくなく、これから大学受験に向かっていくにあたって、勉強をどんどんしていくべきということが主な話題だった。
当たり前だが、母親は自分に勉強をしてほしがっていて、自分はその期待に応える必要があったけど、うまくそれを実現できずにいた。当時はドラゴン桜なども流行っていて、感化された自分は1日数時間勉強しようとしたが、なかなかうまくいかなかった。

そのときの担任の先生は「毎日、ノート1ページの勉強から始めなさい。で、そのノートを毎日自分に提出してください。」と言ってきた。
自分は「はぁ」とかあまりはっきりしない返事をした気がする。でも、そこで自分に期待しているっていう担任の先生の言葉を間に受けて、ノート1ページ分、数学の問題集を解いて、次の登校日に先生に提出してみた。

先生は喜んでそれを受け取って、帰りのホームルームでそれを返してくれた。ノートを開けると、たった1ページなのに、「よくできました!」と綺麗な字で書かれていた。そのときの自分は何故か嬉しくて、先生と自分の間で何か特別なことをやっているようになり、次の日もその次の日もノート1ページ分の勉強をしては先生に提出した。先生は出すたびに喜んでくれて、ノートにいつも違うコメントをくれた。それも綺麗な字で。

ある日、「もし2ページ解いたら、先生はどれくらい喜んでくれるだろう」と思い、2ページ分の問題を解いて提出してみた。案の定、先生はとても喜んでくれたし、その調子で頑張れって言ってくれた。

それから2ページどころか、3ページとかできる限りの問題を解いて、先生に提出し続けた。ある日からは英語のノートを作って、先生に提出したのだ。先生は提出するたびに嬉しそうな顔をしてくれて、その顔が自分を奮い立たせてくれた。

半年くらい経つと、ノートは20冊くらいにやっていた。担任の先生は「そのノートの冊数が自分の自信になるよ」という言葉をかけてくれた。とても嬉しかったし、そのノートが高校時代の自分にはとても大切なものだった。

いまの自分はどうかというと、なかなか1つのことを習慣にできていないし、続けるのに必死である。でも、かつての自分のように「もし2ページやったら、先生はどれくらい喜んでくれるだろう」っていう気持ちをどんな習慣や仕事にも芽生えることができれば、とても遠い目標にも届く気がする。そんな気持ちをもって、いまもこの文章を書いている。

ちゃんと習慣をつけて、そこにプラスの価値を創出する努力ができてたのだ。自信を持っていいと思う。

昔の自分は意外にも学びを与えてくれるものだ。
当時の自分と担任の先生にお礼がいいたい。

ありがとう。

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