名称未設定のアートワーク_1

「来世は絶対子ども産まない」って思ったことある?

あります。例えば昨日です。
1日たっぷり外出していました。祝日で保育園は休み、夫は出勤です。子どもを連れてバスで牧場なんかに行きました。子どもは大騒ぎして、大きな牛を見たり、美味しい牛乳やプリンも食べました。外は晴れ。風が吹けばだいぶ春が近付いたな、と感じられます。気持ちの良い日です。お日様をたっぷり浴びて、歩き回って、肥やしの臭いをかいだ子どもは、思わず「くさい」という言葉を覚えていましたね。沢山笑いました。とても楽しかったです。

名称未設定のアートワーク 2

そしてご飯を食べて家に着きました。14時ごろ、お昼寝のために布団に入り絵本を読みました。今日は『ピンポンバス』。青いバスに乗って、海に向かう楽しいお話です。

……それから、

3時間が

経ちました......。

布団の上には、もはや動けないわたしがうつ伏せになり、横にはぬいぐるみにエビフライを食べさせている子どもがおりました。

寝ないのです。

「ママ、おにぎに」

子どもはおにぎりのおもちゃを持って私を呼びます。

「ママ、ごはん」

子どもはリビングのテーブルに移動し食事の用意を始めたようです。

「ママ、おいで」
「ママ、おっき」
「ママ、こうじ」
「ママ、おいで」

わたしにとっての人生とは自分のやりたいことをやることであり、大事にしているのはそのときの自分の気持ちです。他人に依存せず依存されないことを好みます。

全てのタイミングで、あらゆる角度から、
「ママ」

そう呼びつける子どもが恐ろしくなってきました。子どもはすぐに大きくなる、ベッタリしているのはこの何年かだけだと人は言うけれど、わたしはあと何日、何年、この人に対応して、自分の時間や気持ちも守って、リクエストを受け止めて導いていかなければならないのだろう。


向いてない。
来世は絶対子どもは産まない。産めない。
いつも上手くいくわけない、こういう日もあるんだってわかってても、子どもにのっとられる感覚のあるとき、自分がなくなる感じがする。
「ママ」と呼ばれて応えられない。合わせられない。可愛い顔の可愛い声の、ただ毎日が楽しくて遊びたくて私のことを頼りにしているこの子が、ただ一緒に家にいることが辛いなんて。

わたしはもう動けなくて、子どもと遊んでやらなかった。一人になりたかった。起き上がったけれどソファで丸まって固まっていた。

どうせ遊んでやらないのなら自分のやりたいことをやればよかったのに、「遊んでやればいいのに」という感情と、「でもできない」気持ちと消耗した体、「僕はいない方がいいのかな」もしかしたらそう思わせてしまっているかもという震え。自分のできることとしたいこととやるべきと思うことと全てがちぐはぐで、とにかく逃げたくて誰か助けて夫早く帰ってこい、そういう気持ちで動けなくなってしまった。

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これからも週末が怖い。自分がなくなる時間がきつい。一人で子どもと一緒にいられない。昼寝しろ。お願いします。ごめんなさい。

なんとかやっていくしかないんだけど、みんなが「幸せ」と思う時間をできるだけ増やしていきたいと思うけれど。

家の中に何人か、大人がいてくれたらな。優しくて私を毎日褒め讃えてくれて、子どもとたくさん遊んでくれる愉快な爺さんがいてくれたらな。

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