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毎日更新、辞めます。

2018年の4月18日から、通算546日。毎日欠かさずnoteを更新してきました。

きっかけは伊佐知美さんとルイス前田さんのイベントでした。「90日書くことを続ける」を目標に始めたことを思うと、その6倍の日数をつづけられたことはシンプルにうれしいです。

毎日更新をやってみて良かったことは、いくつもあります。メリットしかなかったと言ってもいいくらい。

だけども、仕事を辞めて、念願の旅に出て、ずいぶん状況は変わってきました。時差を気にしながらWi-Fiを確保して、なかなか写真がアップロードされなくてやきもきして、書きたいことの量の多さと、書くことに割ける時間のすくなさのギャップにイライラして。果たして、今の私が大事にすべきことは、ほんとうに「24時間以内」にアップすることなのか?目の前の景色をとることと、宿に戻ってWi-Fiを確保すること、どっちが大事なのか?

そんな疑問がむくむくと大きくなってきました。

課金ユーザーになって予約投稿も試しましたが、時差の計算でヒヤヒヤしたり、複数日分を書き溜める時間もなかったりで、私にはうまく使いこなせませんでした(機能自体はすばらしいと思います)。


出発前まで、私は自分の書くものに多少なりとも自負をもってやってきました。1つの文章に、1つのテーマを持たせること。そこになるべく「考えたこと」「感じたこと」「気づいたこと」を入れ込むこと。一読して読みやすい文章であること。誰かを攻撃したり、自分の溜飲を下げるための文章は書かないよう心がけること。そんなことを考えながら、来る日も来る日もパソコンに向かっていました。

レタッチに追われた日は写真のみの投稿の日もありましたが、そういう場合はできるだけTwitterやインスタでは日の目を見ないであろう写真も混ぜるなど心がけていました。

だけども旅に出てからは、間に合わなくて「つぶやき」で終わらせてしまうことも増えてしまった。前にも同じことを書きましたが、「つぶやき」投稿自体はnoteのりっぱな一機能のひとつなので、まったく否定するつもりはありません。だけど、自分自身が「毎日投稿」を持続させるためだけにつぶやき機能をつかうことはなんとなく後ろめたさがあって、お茶を濁しているような、チートしているような感覚がありました。

noteは大切な場所。お仕事用のポートフォリオを作っていない私にとって、過去のnoteの蓄積がそのまま自己紹介がわりになっています。そこに、自分が胸を張ることのできない投稿をしていくのは、やっぱりなんだか違う。

そんなわけで、ずいぶん悩みましたが、毎日更新は今日をもっておしまいにします。

先日をもって、【24時間以内】の連続更新が365日を迎えたことも、私の中で大きな区切りになりました(通算は546日ですが、うっかり24時間以内に投稿しそこねたことがあったせいです)。「365日、おめでとう」という画面が目に飛び込んできた瞬間、どこか肩の荷が降りたような気がしました。裏を返して言えば、それだけ、途切れてしまうことを恐れていたとも言えるでしょう。

毎日更新の代わり、といってはなんですが、旅行記は全日程分書くつもりでいます。24時間以内の更新ではなくなってしまうけれど、出発から帰国までのすべての日の記録をnoteに残していきます。 

もともと旅行記は、SNSなんてなかったころから、それこそ子どもの頃から、誰のためでもなくただ自分のために書いてきました。だからその延長線上で、家族や恋人への手紙のような感覚で、つづけていきたい。「発信」なんて堅苦しいもんじゃなくて、通勤電車の中で心をひととき異国へ飛ばしてもらえるような、ちいさなどこでもドアのような、そんな存在になれたらと思います。

これからもnoteの住人であることは変わりありませんので、どうかゆるやかに見守っていただけましたら幸せです。

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