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その後の人生を導いた研究班との出会い

大学時代は再生医療(ES細胞やiPS細胞を扱う)の研究室に所属しており、その後は特に研究のことは考えていませんでした

しかし、大学病院に入職した途端に股関節研究班に入れられた私

その時すでに、刺激的な人生を作る運命のレールに乗ってしまっていたのだ…!

1. 出会い

忘れもしない、入職した4月1日(木)。「股関節班のカンファ(会議のようなもの)があるからこないか?」と先輩に誘われました

え!早く帰りたい…と思ったけども、断る理由もない私は「そうですね、ぜひ行きます(泣き笑い)」という感じで行くことに

「興味なかったら入らなくていいからね」と言われつつも、カンファに出て、ドクターに紹介された時に「お!これからよろしくね」感があり、一瞬で整形外科の股関節班の一員に!!

その日は定時に帰れると思ってたので、まさかの21時終わりで抜け殻となった記憶が鮮明に残っています笑

2. 研究班の位置付け

当時はリハビリ部署として研究活動がそこまで活発ではなく、学会発表している人の方が少なく、またこのようにドクターのチームに入れてもらっていたのは希少でした

整形外科は細かく分かれており、リウマチ班、腫瘍班、膝肩班、脊椎班、小児班、手の外科、そして股関節班があり、しっかりチームに属している理学療法士は私たちだけだったと思います

3. 股関節班での活動記録

・A教授というスーパーマンの下にいた奇跡

ここで出会った股関節班トップのA教授(後に教授に就任されるのでA教授と呼ばせていただきます)は股関節界で超有名な方で、何かとA教授主催のイベントが多く、勉強会にも飲み会にも色々と連れてっていただきました

A教授はいつも口角が上がってニコニコした見た目で、患者さんにはよくブラックユーモアのような冗談を言って笑わせていました。スタッフには大変厳しい人でしたが、面倒見が良く、もちろん直属の部下である先生方は恐れていましたが、私はそこまで厳しくされていない事もあり慕っていました。最初は本当にA教授の言ってることが分からない時が多く(専門用語の知識もない自分の理解力のなさ+A教授という人を理解していない+滑舌)、苦労しましたが段々わかるようになり、今や何の苦労もないです。成長した笑

A教授はよく、「先輩なんか追い越せばいい」「まず物事は否定から入れ」と言うエネルギッシュな方でした笑

彼は論文を書くよう促したり、とにかく結果にこだわる人だったので、やらない人には当然厳しく怒っていましたし、ビシバシと皆を指導していました。しかし、長距離バス移動などみんなが寝ている間にもずっと起きてて論文を読んだりしているA教授を見て、これだけやってる人に誰も文句を言えるまい、すごい人だ、と思っていました(そして寝る私)

私のことをよく「ガッツがある」と褒めてくれました。実力で勝負できないので何でもやってどこでも行く、それしかない!というガッツだけは誰よりもあり、A教授にも恐れずヘラヘラ話しかける私には相性がよかったのかもしれません笑

・学会発表

日本股関節学会に所属し、テーマを決めてもらったり、データを取らせてもらったり、抄録やスライドの添削をしていただきました。学会の立ち振る舞いがよくわからない私を、学会中も面倒見てくれました笑

・北海道の町の検診

A教授筆頭に何年も続いている研究の一貫で、多くの整形外科の先生や秘書さんと一緒に3泊4日で町民検診を行います。住民の皆さんはかなり多くの種類の検診を受けることができる一方で、私たちも膨大な数のデータを一気に集め、後に論文投稿をしていました

体力的には筋肉痛になって声が枯れるレベルで、本当に大変なものでしたが、夜は温泉、ビュッフェ、BBQと町の方による催しがあったり、その後はスタッフで深夜まで飲み会したり、なのに朝は早起きして先生方とランニングしたり(なぜか10kmとか笑。これも筋肉痛)体力お化けみたいな優しくて元気な先生方、優しくて明るいお姉さんな秘書さんとたくさん繋がりができてとても楽しかったです

何より初の北海道!全然自由時間もないし、ひたすら体力勝負でしたが、8月の北海道にいるという幸福感で帳消しでした笑!

・北海道の町の研究 番外編

A教授が別の研究をしたいという事で、少人数でまたその町に出向き、測定の手伝いに2回行きました。その町は新千歳空港から遠く、レンタカーで行った事もありますが、助手席に座らされた私は運転しているA教授から「寝てていいよ」と言われ、寝ないぞ〜と思いつつもしっかり寝てしまいました。後部座席のスタッフから「よく寝れるねwwww」と言われましたが、そのくらい私は心を許してたんです(ドヤ

医療従事者って何かとボランティア精神で動いてしまうのですが、A教授はちゃんとバイト代もくれた(確か)ので、私の時間も大事にされているような気持ちになって嬉しかったです

・飲み会

学会、セミナー、忘年会、中国からドクターが来た時、手術時間の最短新記録を更新した時、ある時は股関節班で、ある時は東海圏の股関節班で、ある時は整形外科という大きな範囲で…何かと誘っていただけました。先生方も秘書さんも面白くていい人ばかりだったので楽しかったです

・留学の紹介

私は3年働いたら青年海外協力隊(JICA)に入ろうと思っていました。正直、専門性を持ちつつもあまりお金がかからずに海外に行く手段が分からず、JICAが自分の中では妥当だと思っていました

そんな私の海外志向を先輩伝いに聞いたA教授が突然「スウェーデン行くか?」と言いました。A教授も過去にスウェーデン留学していたのです。なんかよく分からないけど「行きます!!」とすぐ言いました笑

A教授がお世話になっていたスウェーデン人のB教授に紹介していただき、B教授が留学中のアパート、見学できる病院、研究させてもらえる大学病院の部屋、全てマネジメントしてくださいました

A教授は、私がスウェーデンにいる間にも来てくださって、一緒に病院見学したり、観光したり、日本食をスーツケースいっぱいに持ってきてくださってとても嬉しかったし、本当に面倒見のいい先生だなぁと感謝の気持ちでいっぱいでした

4. 何が言いたいかって

股関節班に誘ってくれた先輩、そこでスーパーマンに出会ったこと

運が良かったwwwwwwwwwwwww

他の理学療法士の先生方がしていないような経験をたくさんさせていただいて、本当に充実した大学病院の日々でした。この二人に出会ってなかったら、私は今どこで何してるんだろ?どんな経験値と能力があるんだろ?全く予想できない

いい師に出会うって大事〜…新卒1年目に出会えた私は本当に運がいいとしか言えないけど、自ら動いて申し出る事もできると思う

チャンスがもらえる人になる!チャンスがきたらすぐ掴む!いつまでも上の人から見たら未熟者なので、準備不足でもまずはチャンスに乗っかればいいのではないだろうか。そっから頑張ればいいし?笑

とりあえず「ガッツがある」人になることを勧めます笑


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