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日々の記録とバランスの探求

集中的にメモを取るようになって10日くらい経ち、「ジャーナル・ジャーナリング」という言葉も知った。思考がどんどん整理されていく。ただ書くだけに夢中になるのは意味がない。書いて満足して結局何も実行できないのは避けたい。直接手を動かした方が早いこともある。

今日は「いいな」と思うペン先と色を選んで、好きに絵を描いてみた。シンプルな絵を描こうとしたけれど、意識しすぎて逆に気持ちが複雑になってしまった。「シンプルに」と思うと線が不安定になる気がする。ある程度描き慣れないと「気持ちいい」という感覚は得られないので、毎日1分でもいいから絵を描こうと思った。

過ごす場所の選択肢が多いのはいいことだ。パソコンスペースの椅子、ベンチ、スツール、キッチンにもたれる、ダイニングテーブルの椅子、ラグの上、アウトドアチェア、作業部屋の椅子など、今日はパソコンスペースにはあまりいなくて、リビングとキッチンを行ったり来たりしていた。リビングでは絵を描き、キッチンでは恋人が作ってくれた出来立てのおかずを味見したり、おしゃべりを楽しんだ。

ランニングの帰り道、ある建物が目に入ると「もう家はすぐそこ」という感覚になる。でも実際にはその建物から自宅まではまだ距離があって、その建物の前を通る時に体がそれを理解して、ガクッと力が抜けて急に疲れてしまうことが何度かあった。今日はその建物が目に入った時に「あそこから家はまだ結構ある」と心の中で言い聞かせた。そうすると力が抜けず、安定した速度で走り切ることができた。体力って、実はほぼ精神力なんじゃないか、という話をした。

ランニングしてワインを買って帰るという

先週、SNSを見る時間を減らそうと意識しすぎたせいで、かえって気にしてしまった。でも今週は、YouTubeの宣伝を投稿する際にフォローしている人をチェックする程度で、すぐに見るのをやめられたし、見たいとも思わなかった。

以前、動画の中で「SNSはコンビニのようだ」と例えたことがある。かつて私は毎日、朝昼晩とコンビニに行って何かを探していた。SNSを必死に見るのは、まさにその状態だ。今の私はコンビニに行かないし、必要があって行ったとしても、必要なことしかしない。わざわざあたりを見渡して何かを探すこともしない。SNSもそれでいいと思う。

「コンビニに行くのもSNSを見るのもやめます!」とは思わない。必要ならその時だけ利用すればいい。そんな距離感でいいんだと感じる。なんでもかんでも二極化して考えがちなところがあるけれど、このバランスが大切だと思う。

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