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創作すること呼吸すること

ゆっくりした展開の動画はすぐに作れる。本当に早い。入れたい動画素材のタイミングも、入れたい言葉のタイミングも、息を吸うように自然に配置できる。だけど、ゆっくり故に「間」が気になる。「間」はとても大事なもの。今回も「完成!」と思ってから何度も書き出しをやり直した。

逆に、展開が早い動画は、書き出しをやり直すことはほとんどない。間が気にならないというよりも、リズムを意識して作っているから、書き出し時に間の微調整をする必要がないほど、制作中に相当「音楽」を聴いているのだと思う。ゆっくりした動画は、音楽よりも「間や雰囲気」を感じ取りながら作っているような感覚なのかもしれない。だからこそ、最後の微調整が必要になる。自分の呼吸のタイミングに合うように、少しずつ修正するその作業は、結構好き。息をするように自然な配置を目指して、細部にこだわることができるから。それはどこか、瞑想に似ているなと思う(日頃、瞑想はしないけど何となく思った)。呼吸を整え、心を落ち着けながら、一つ一つのシーンに向き合う。その結果、まるで自分の呼吸そのものが形を持ったような、そんな動画が出来上がるように思える。展開が早い動画には「今の自分」「今この瞬間」、ゆっくりした動画には「息づかいや心の動き」が表れるような。うーんうまく例えられないけど、見てくれる人にそういうところが伝われば面白いのにな。

今回は過去の写真を動画内に入れた。そのため普段使っていない外付けHDDからデータを取り出した。こうやって過去に撮影した写真を今の動画に入れることが出来るのは嬉しい。蘇ったような、息を吹き返したような、不思議な感覚になるし、過去に撮影した写真は、今と変わらず知識も技術もないものだけど、いい写真だなぁとしみじみしてしまう。写真を通して過去と現在が繋がるなんて、タイムトラベルみたい。

呼吸といえば、しばらく呼吸がしづらくて困っていた。ストレスで呼吸が浅くなるというより、日常生活の中で突然やってくる。それは午前中が多く、早ければ20、30分、長ければ2時間程度続く。マウスを手に取るだけで息が切れ、椅子に座るだけで息が切れる。原因が本当にわからない。でも、いつも何かに緊張している気がする。それをどうにか守ろうとして、これまでにも髪を抜いたり、爪を噛んだり、頭痛が続いたり、足に過剰に力が入ったり、唇の皮を噛んでボロボロにしたこともあった。今回はそれが呼吸のしづらさとして現れたのだと思う。

ナニコレ!?!?

心配になって病院に電話して症状を聞いてもらったこともあるけれど、痛み止めが出せるわけでもなく、どこか痛いわけでもないから、治療の仕様がないと言われてしまった。もしかしたら「超」がたくさんつくほど軽症のパニック障害のようなものなのかもしれない。呼吸で死ぬわけではないと頭ではわかっているけれど、何かの病気かもしれないという不安が重なって、ますます呼吸がしづらくなるのもわかる。でも、こんなに毎日好きなことをして生きているのに、好きな人と好きな猫たちと一緒に暮らしているのに、何をしているんだろうと嫌な気分になることもあった。

日記にも詳しいことは書かないようにしていて、おそらく2週間くらい続いたと思う。でも、嬉しいことに今日はその症状が出なかった。それから、足に力が入りそうになる瞬間があって、意識を向けると力が入るのを避けることができた。避けることができないことも多かったから、今日はずいぶん調子がいいように感じた。明日以降はどうなるのかなぁ。

樽前山神社例大祭の様子、恋人がいっぱい撮ってくれていた。明日は例大祭の日のことを動画にしようと思う。楽しい雰囲気が出せたらいいな!

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