「食べない客」「食べ物を粗末にするな」への違和感
先ほどネットで飲食店で写真撮影のためだけで食べない客がいることを取り上げた記事があった。
どうも近ごろよくある「インスタ映え」のためだけの撮影かと思われる。
記事中には「食べ物を粗末にするな」「作り手の気持ちを考えろ」といった意見が溢れていた。
だが、この意見に正直何か違和感を感じてる。
飲食のメニューは作品や芸術でもあるが、賞味期限があり、食べてもらってこそ価値もある有期的な存在でもある。
だから作り手もお店側も見た目だけでなく「食べてもらう」ことも価値として提供している。
それは当然のことだ。
だが、この怒りに強い違和感を抱く。
何故か。
人は学んだこと、理解できることしか怒らない
違和感の正体を突き詰めると、インスタ映えの為に食べ物に手を付けなことは、「安全に怒れる」からなのだ。
これが逆らったらひどい誹謗中傷が飛んでくるとか、「指摘したらバッシングで命の危険に晒される」ということは含まれない。
例えば、自分と家族の命を守る為、非正規滞在とならざるを得なかった外国人たちが人らしい暮らしを担保してほしいと言えば「不法滞在」「外国人を追い出せ」になる。
この物言いは、関東大震災朝鮮人虐殺の「不逞鮮人」の物言いと何ら変わらない。
食べ残しやペットの虐待には正義感を言える人は何故マイノリティの人権を言えないのだろうか?
「お店と作った人が可哀想」は間違ってはいない。
しかし、それを言うなら何故入管法やヘイトスピーチ禁止法、また韓国で起きている不当逮捕にも関心を向けてもらえないのだろうか?
韓国の李在明代表の不当逮捕は民主主義の弾圧である。
自称リベラルもこの辺り理解が出来ておらず、関心が薄過ぎる。
汚染水問題があるなら尚更である。
何故韓国と日本は手を取り合えないのだろうか?
飲食店も動物も可哀想だが、本当に民主主義という生命の危険に晒されている人にちゃんと目を開いて欲しい。
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