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日本の人が本を買ってくれたお金で 南の島の子供たちが経済危機下でも勉強できるようになりましたという話 (『ニマーリさんのスリランカ・アーユルヴェーダ』寄付のご報告と後日談)

ちょっと、この写真、見てほしいんです。
南の島の学校です。プライバシーのため、加工してます。

緑豊かな南国の風景。成人女性の足元に、白い制服の少女がひざまずいて頭を下げ、両手を合わせている。その後ろには同じ制服の少女が、祈るように、胸の前で両手を組んで順番を待っている

どういう状況だと思いますか。
わたしは日本生まれ日本育ちなんですけど、「異文化〜!!」ってなりました。白い制服。行ったことない国の、会ったことない子たち。

勉強道具を受け取る子供たちです。
順番に並んで、感謝を示すように手を組んで待っています。
自分の番になった子は、ひざまずき、頭を下げて手を合わせます。
大人はその頭をなでなでして、それから勉強道具を手渡します。

いわば、「ひざまずき なでなで どうぞ」……。初めて見る文化だな〜。
現地のシンハラ語で『ナマスカーラ』と呼ぶ礼儀作法だそうです。

今度は半ズボン姿の少年たちが女性のもとに立って並び、プレゼントでふくらんだバッグを手渡されている。少年たちの列は男性教師が監督している。女性は笑顔。

楽しみすぎて待ちきれなくて二人一気に来ちゃったようすの男の子たち。
「ちょっと男子〜」みたいな顔で、先生の横であきれてる、三つ編みの子。
見たことない景色の中に、見たことある光景を見て、ちょっと、ふふっ、ってなりました。

笑顔で子供に物を手渡す、写真左側の女性は、吉田ニマーリさん。
スリランカ生まれです。
子供の頃に、当時行ったことがなかった日本の絵を描いて美術展で入賞したうれしさから、日本行きを目指すようになりました。

2002年に日本に来て、介護の仕事を5年しました。
そこで見たのは、苦しむ日本人の姿だったそうです。
ご本人のお話を引用します。

 日本で介護の仕事をしてみて、驚いたのは、認知症になる人の多さでした。また、「自分の世話をする係の者だから」と考えるのか、介護を担当する人に向かって唾を吐きかけたり、やさしい気持ちのないことを言ったり、なんだか、なにか盗むようにして人の体を触ったりしてしまう人もいました。
 みんな、本当は不安なのだと思います。

『ニマーリさんのスリランカ・アーユルヴェーダ 疲れた心と体を癒やすセルフケア』p.256-257


心と体の手当てがしたい、と、働きながら勉強をして、2013年、横浜でサロンを起業。
2022年、数千年前から伝わる『おばあちゃんの知恵袋』のような人生哲学、『アーユルヴェーダ』を、ニマーリさんが20年間見てきた日本社会に合わせて話し言葉で伝える書籍『ニマーリさんのスリランカ・アーユルヴェーダ 疲れた心と体を癒やすセルフケア』を刊行しました。

 無理をしない、むさぼらない、りきまない、奪い合わない。

『ニマーリさんのスリランカ・アーユルヴェーダ 疲れた心と体を癒やすセルフケア』p.121より

この文章を書いているわたし、牧村朝子が、吉田ニマーリさんのお話を書籍企画にまとめ、原稿を書いています。

本を買ってくださった方々、また、図書館で読んだりして広めてくださった方々のおかげで、スリランカの子供たちに勉強道具が届いています。

バッグの中身は、文具、ノート、ペンケース、算数セット。スリランカ全土の子供たちにはさすがに行き届いていないのですが、今回の支援では、おかげさまで、ニマーリさんのご出身であるクルネーガラ県のMaeliyaという村の子供たちに勉強道具が届いたそうです。

そういうわけで、読者のみなさんにお礼とご報告を申し上げたく、(あと、まだ読んでない人もぜひ応援してね!って申し上げたく、)おたよりさしあげている次第です。ありがとうございます。おかげさまです。

本は引き続き、全国の書店、オンライン書店、電子書籍ストアで発売中です。図書館で借りていただくのも、本が棚に残り続けるための貸出実績になるので応援になりますし、話題にしていただけるのもありがたいです!

もくじ、noteでの試し読みはこちらから↓

各電子書籍ストアでも、スマホから、オンラインで試し読みをしていただけます。どうぞよろしくお願いいたします。




さて、ここからは、なんていうか、「よろこべる範囲を増やすこと」の話です。言い換えると、年収270万円の人が60万円寄付したらヤバかったけど嬉しかった話です。お金は大事だけど、お金だけに囚われるの悔しいじゃん。というわけで考え方の話から行きます。



「ADHD」「LGBT」と言われて思った「現代日本語、無意識に見方がアメリカに寄る現象」

吉田ニマーリさんはこの本の売り上げのみならず、昔から、「無理をしない、むさぼらない、りきまない、奪い合わない」精神の実践として、継続的に「分け合う」ことをしている方です。スリランカから日本に行く時も、日本からスリランカに行く時も、スーツケースはいつもパンパン。自分の荷物じゃなくて、配るものなんです。日本のプチプラファッションアイテムをスリランカの人たちと分け合い、スリランカのおいしいお菓子を日本の人たちと分け合う、というようなことをずっとしていらっしゃる。

わたくしはそれを見て「すげ〜〜😭!!」ってなった。
「あっしにもやらせておくんな!! この本の初版印税は約7万でかまわねえや、残り約60万は全額、子供たちのために持っていっておくれよ!! てやんでえ」っていう契約を自分から申し出ました。江戸っ子になっちゃった

なお、わたしは一人暮らしで独立生計、書いて暮らして11年目。
年収は売り上げ次第、こないだの確定申告だと営業収入270万円でした。

てかそもそもなんでアーユルヴェーダの本を書いたのかっていうと、羽田と成田を間違えたりしてたからなんだよね。

「羽田と成田を間違えた」
「年収270万の自覚なく60万寄付した」
「大学2つ中退→最終的に学費が払えず除籍」
「食事と睡眠がうまくできずにいたら倒れて入院」
「体のどこかに謎の傷やアザや火傷ができては消えていき、記憶がない」

などなどなどなどみたいな日々を生きていたところ、お仕事でご一緒させていただいていた精神科医の先生が「もしよかったら診ましょうか」と親切に声をかけてくださり、検査の結果、生まれつきの広汎性発達障害を持っていたことが2021年に34歳でやっと判明。精神障害者福祉手帳を取得し、服薬など色々模索する中でアーユルヴェーダと出会った、という流れでした。

まあ「胃が痛い」とかの困りごとはあったけど、わたしが思ったのはね。

「"当事者"としての"生きづらさ"……」というよりね。

「そもそもどうして現代日本の人間社会は人間を『ADHD』『グレーゾーン』『定型発達』とかに区別しているのか」

っていう、興味だったんだよね。

もともとLGBTの社会運動史を取材・執筆していたこともあって。
「LGBTは人間の種類ではなくて、アメリカ発の社会運動のチーム名ですよ。人間の性のあり方をとらえる概念は言語や文化によってもっともっともっと多様です。例を挙げるなら必ずしも『レズビアン』にならなくたって『女』は『女』を愛せるはずですよ」という話をずっとしてきたこともあって。

ADHD史に関係する本、たとえば下記のような本をわ〜っと読みました。

わたしなりのざっくりしたまとめを3つ挙げます。

▼「そもそも人間を学校や社会に馴染めるように発達させようという要請が社会の側にあって、そこから、そこに馴染まない人たちを説明する言葉としての『ADHD』と、さまざまな薬物療法ができていったのでは」というADHDの歴史書

▼アメリカ資本で世界に展開する製薬会社が薬をいっぱい売るために、ジンバブエ、スリランカ、日本などなどといった国々の人々に対し、「あなたたちが困っているそれはアメリカの最新医学で言えば心の病なんですよ〜。この薬を飲めば楽になります、恥ずかしいことじゃないんですよ!さあ!」みたいなセールスをした歴史を描いた本

▼「そもそも世界を"文明化"していこうという上から目線が、アメリカを先進国と自認する西洋科学信奉者たちの間にあって、"自由と解放のため"に故郷を爆撃された人たちがいて、ギブミーチョコレートせざるを得ない貧困があって、それでも稼ぐためにアメリカに来た移民たちの子供たちが、文化や言語の異なる大人たちの間で、『この子が倒れたのは精霊に捕まったからです!』『何を言っているんですか?迷信にまみれた未開人の皆さん。英語わかります?処方した通りに薬を飲ませないなら虐待と判断して子供を保護します』みたいな対立の板挟みになったのだが、現代アメリカの一部ではそうした過去の傲慢を反省する動きがあり、例えば西洋医学の病院でモン族のシャーマンが祈祷できるようになったりしてきてますよ、ダイバーシティですね、という話

今も読んでは考えている途中だけど、揺れちゃうよね。

なぜアメリカの価値観に合わせねばならぬのだ!出社できて稼げるのがそんなに偉いか!!(抜刀)」みたいな攘夷派野武士が自分の中にいる反面、

えっ😭ストラテラ(薬)飲んだら胃は痛いけど起きれるし寝れる😭お部屋のお片付けができる魔法のおくすり😭😭😭マヂむり生きれる😭😭😭イーライリリー(※製薬会社)さん課金します😭😭😭」みたいな現状もある。

言い換えれば「アメリカにならった社会の枠組みに合わせて生きさせられる感じがムカつくけど、アメリカ発の精神医療でお薬飲んで実際に生活が好転している」っていう現状があったんですよ。

そしてその現状って、日本語・英語を話してると気付きにくいものなんじゃないかと思っていて。

現代日本語って現代アメリカ社会に反応して進んでいく感じがあるというか、例を出すと「インプレゾンビ!」「ファッションメンヘラ!」みたいな和製英語が、日本語のカタカナ文字で、アメリカ発のSNSやら精神医学やらに反応して日常会話の中で使われる、みたいなところあるでしょう。で、それって、体感としては日本語の日常会話だから、「知らないうちにアメリカっぽい日本語を話してる」みたいな状態になっちゃうと思うんですよね。あまつさえ、それを「インターナショナル」とすら感じてしまう。実際は狭いのに、広い見方をしてるように錯覚しちゃう。

だから、アメリカ的とも日本的とも言い切れない、第三、第四の見方を探してみたかったんです。

ものの見方を『選ぶ』というより『増やす』ことにすれば、敵と争わず、話せる範囲を増やせるのでは

そういうわけで勉強してみた色々なもののうちのひとつが、アーユルヴェーダのものの見方でした。

特に、スティーブ・ジョブズしたわけじゃないんですよ。
「西洋医学を一切拒否します」ってわけじゃないんです。
全然、薬飲んでる。そして効いてる。
そしてスティーブ・ジョブズさんご自身の選択もそれはそれで彼が彼の体をどう生きるかという彼の選択であって、私が口出すことじゃない。

ただ、『選ぶ』というより、『増やす』感じにしたかったんですよね。
しゃべれる言語を増やすイメージ。

たとえば「だるいな〜」っていうときに、

西洋医学語での説明
「自分はノルアドレナリンが足りてないADHDだという診断を受けているからな〜。再取り込み阻害薬を服用して体操し、意識して日光を浴び、交感神経を活発化させれば動けるのでは」

アーユルヴェーダ語での説明
「しかもカパが増えやすい季節なのに、元気出そうと思ってシュークリーム食べちゃったからな〜。そりゃだるいわ。カパを整えるためにもカルダモンコーヒー飲むか……」

みたいな感じにできる。増えるんです。増やせるんです。

他にも栄養学語、スポーツ理論語、いろんな分野の勉強をすることで、自分の状態やその整え方を語る語彙を自分で増やしていけるんだと思う。そしてそれは自分が自分の体をどうとらえてどう生きるかということであって、他人に一緒に信じてもらう必要もないし、強要する必要もないんだよね。っていうか、強要してはいけないことなんだよね。

「選ぶのではなく増やす感じ」「奪い合わずに分け合う感じ」っていうのが、なんか、うまくやっていくゆるさ みたいなものなんじゃないかなあという気がしている。

言い換えればこういう感じなんですよ。


「自分が他人にやさしくすることで好かれようとする」というより、「俺が宇宙に広がるぜ……!!」感

何を言っているのか。

「俺が宇宙に広がるぜ……!!」感。

やややばい感じに聞こえると思うんですけど。

やさしい感じで言えば「よろこべる範囲を広げる」というか。

ちょっと説明させてくださいね。

正直、なんか、「スリランカの子供たちのためなら本一冊書いても初版印税7万でいい!!」って決めたことに関しては多少の打算はあるんです、今でもね。「善人だと思われて私に仕事が殺到してほしい」みたいな。「爆発的に重版されて結局取り戻せる流れになってほしい」みたいな。

解説すると、商業出版って基本的に「初版印税」っていうのがあるんですよ。「本を出したら、売るためにまとめて印刷したぶんが売れても売れなくても、全体の○%を保証します、書いた人に出版社がお金を払いますよ〜。それでもっと売れたら、もっと印刷しますね〜」って感じです。だから読者さんが中古で古本を買った場合、そのお金は、本を作った人たちには入らないってことね。この世にあるその本の総数を増やさなくていいわけだから。

本の作者というのは「この世にあるその本の総数が増えた分だけお金をいただける」という仕組みになっています、大体ね。

そして本一冊って、ざっくり10万字くらいあるのです。

「10万字書いて7万円でいいよ。ただもし売れたらその分ちょっと分けてね」って言い出すのは、それで生計立ててる人はちょっとできない場合が多いと思う。特に私みたいな「年収300前後の、食えてはいるけど売れてはいない作家」の場合は。だから「いい話がいい感じに広まって、いっぱい売れてくれないかな〜」というのは今でも思ってます。

でもなんかやっぱ人生ってそんなにうまくいかないし、やっぱ経済的にはまあまあキツかったんですよここのところ。コンビニのツナマヨおにぎりが150円を超えていたことにビビり散らかしてすごすご帰った深夜があったよね。すっげえな。世界経済。どうなんの。

そこで、広い目で見るんです。

この本が制作された2022年は、スリランカが経済危機に陥っていた時期。
平たく言えばこういうありさまです。

  • (2022年当時の)大統領一族が

  • 自分の兄弟・親族で政府の重要ポストを固め

  • 一家が国家を乗っ取った』みたいな状態で富を独占したとして民衆が激怒

  • 大統領一族の豪邸に踏み入って平等を求めたが

  • 大統領は国外に逃亡、国は混乱

  • そのうえ世界はコロナの渦中

(参考:NHK国際ニュースナビ

私は思いました。

米騒動やんけ……

自分がコンビニのツナマヨおにぎりに150円出すことをためらった夜があっても、「昔、米よこせってキレた民衆がいた。そして今、スリランカの大統領の豪邸のプールに飛び込んだ人たちのニュースを日本語で読めてる」ってなると、なんか、こう、

「生きようとしている……」ってなるんですよ。
「われわれは生命である……」ってなるんですよ。


全部自分のものだって欲張っちゃうせいで、めぐりがとどこおり、分け合えず、奪い合うことになる」というのはスリランカでも日本でもどこでもいっしょなんですよね。

アーユルヴェーダの智慧、『よいめぐり』の実践として、この本では「日本の人が本を買ってくれたお金で、スリランカの子供たちが学校に行けるようになるよ」という取り組みをしました。

本の説明。「この本の売上から、スリランカの貧しくて学校に行く余裕がない子供たちへ、寄付をします。あなたにとっても、次の世代の子供たちにとっても、良いめぐりを生んでいきますように」
同書 帯より

自分にとって、行ったこともない国の、会ったこともない子供たちでもさ。「あ、自分の使ったお金が、遠くの子供の算数セットのおはじきの一つくらいにはなったのかもしれないんだ〜」って思うと、ちょっと、「俺が宇宙に広がるぜ……!!」感、出てきませんか?

やっぱどうしても、自分から、自分の家族から、自分の町から、自分の国から助け合えよ、みたいな、「日本にも子供の貧困があるのに外国に寄付した話をFacebookに書いてるやつが腹立つ」みたいな価値観だってあると思うんだけど、それはそれとして、アーユルヴェーダとかサンスクリット語って「梵我一如」って考え方をした古代人の記録なんですよ。

要するに「俺は世界、世界は俺」みたいな。

「一は全、全は一」みたいな。

地球儀に「国境」が引かれる前、「ナントカ国でナントカ語をしゃべるナントカ人たち」みたいな「単一言語単一民族的国家観」というか、そういう仕組みが成立してくる前からの考え方だからね。

そうするとなんていうか、窓を開けて深呼吸できる感じがしませんか?って思うんですよ。全然、部屋の中にいるまんまでも。

「行ったことない国の、会ったことない人たちと、一冊の本を通して、一台のスマホを通して、知らず知らずのうちに繋がっている感じ」が、わたしには、うれしいなあ、心強いなあ、仮に一生会えなくたって、ときたま思い出すだけでも、なんかいいなあ。という、話です。


そういうわけで、読んでくださってありがとうございました。

本を読んでくださった読者さんたちのおかげで、遠くの子供たちが笑ってるのをスマホ越しに見ることができた、というのは、11年間本を書いてきた中でも、特に心に響く経験でした。なんか、楽になったよ。

担当編集者の渡邊亜希子さんは2023年10月、“すべての人に「本」という居場所をつくる”という、すてきな企業理念の出版社、CROSS-POTを立ち上げています。

吉田ニマーリさんのサロン『アローギャ』はこちらです↓

まあほんと色々ある世の中だけど、「よろこべる範囲が広がる感じ」を大切に感じていきたいと思います。きっと、もっといいことにつながっていきますように!

応援していただけるの、とってもありがたいです。サポートくださった方にはお礼のメッセージをお送りしています。使い道はご報告の上で、資料の購入や取材の旅費にあて、なにかの作品の形でお返しします。