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羽田と成田を間違えたりとか色々やらかしてた人が精神障害者手帳をもらったりして、生きやすくしていってる話

今まさに羽田と成田を間違えているなら、どうぞ深呼吸してください。
考えて、助けを借りて、間に合わせられるかもしれません。間に合わなくてもそれが結局、何かにつながるかもしれません。ザッツ人生。グッドラックだ。

これからお話するのは、羽田と成田を間違えてから4年後のいまです。

短く言うと、広汎性発達障害の診断を受けて対策を工夫する日々です。

羽田と成田を間違えたりとかした人がこれを読んだら不安になるかもしれません。「しょ……障害?」って。人間にはうっかりがあるし、「ちょっとうっかりしてる自分」でそのままテヘッと生きていくルートも全然ある。

でもわたしはこう考えることにしました。長いけど一息で言うぞ。

自分は (人間が人間を守るために作った「みんな一緒に頑張ろう」的社会システムおよびそれに適応しにくい自分自身の一部特性が自分にとって) 障害 (になってしまっている部分があるのでそこは色々工夫して乗り越えて行けないかなと思っている) 者だ

(早口)

短く言うと「自分は障害者だ」となります。この呪文で、自分だけでは解決しにくい困りごとについてサポートを受けることができます。個人の特性面は医療、社会システム面は行政。企業などの組織で働いている人はもしかしたらそこでも。また、似たことに困っている人と情報を交換しやすくなります。

やってるぜ ピース ✌️

やってるかい? おれはやってる。というわけで、わたしが……87年神奈川生まれ、ひとりぐらしの独立生計、学校3つ中退して結婚生活も異性愛女性のふりも異性愛的家族システムへの適応努力も「新しい家族のかたち✨」的なLGBT像を自分の意思に反してやらされることもやめて最終学歴高卒でフリーターからフリーランス文筆家になった広汎性発達障害イエーイピースピースのわたしが、その特性のために何をやらかし、しかし何をやりたくて、何をやっていっているかを書いていきます。


■1 状況整理: 言葉をどう使ったかの話

ひとくちに「精神障害者」「発達障害」といっても、もちろんいろんな人がいます。

それはたとえば、「男性」とか「日本人」といってもいろんな人がいるのと同じことです。

加えて、生き続けることは変わり続けることです。ですから人間を言葉で分類し切ることがそもそも無理なのですが、医療や行政というシステムの上で、自分が困りごとに向き合う過程で出てきた言葉は、ハッシュタグ的に言えば次の通りです。

# PDD  #ADHD #精神障害 #自閉的傾向 #就労困難 #感覚過敏

自分という個人だけに着目して、「生きづらい、劣等の、みんなと違うマイノリティ……」と思うことはしていないです。そうじゃなくて社会というシステムに着目して、「"みんな"という社会集団を形成するやり方はどうしても疎外を生むわな」と思っています。

たとえて言えば、電車。「電車には座れる人も立つ人も座る必要があるのに見た目でわからんで立たされる人も乗り切れない人もそもそも乗れない人も本当に色々いるよね」という感じ。

その上で、解決すべきことは色々あるのだが、まずは自分がどうするか。

●医療 → 個人の特性
●行政 → 社会のシステム

こういうふうにとらえて、自分の困りごとをなんとかしていきます。


■2 課題明確化: 一体何に困ってきたか

困ると、凹みます。凹むと、凹みます。
凹むけど、人と比べてもしょうがない。
何に困ってきたかをまず書き出します。

例としてわたしの場合。

●社会性: 組織にいてもマジで個なので悲しまれるし警戒される。
「付き合い悪い」「お友達と遊びなさい!」「どうして味方してくれないの、私のこと嫌いなの?」「立場わきまえろよ」 🙂❓❓ あれれおかしいな、誠実に正直に向き合っているつもりなのに……となる。
●過集中: ブレーキが壊れており、ぶつかるまで止まれない。
前後不覚で一気書きして手が動かなくなって気づき、七万字書けている。というとなんか天才っぽくてかっこいいが、別にそれでいいものができているわけではないので後から直さないといけないし、集中モードに入っていると時計とか見られないので大事な予定を忘れてしまって、ああ……となる。
●聴覚過敏: 意識の外から突然する音が無理、選択的集中もできない。
電話・呼び鈴・電子音で毎回心臓痛い。音のストレスから心臓を守るために基本的に常に耳栓が必要なので外耳炎になる。自分以外の生命体がいる空間で気が散りまくる、よって教室やオフィスではかなり工夫しないと何もできないし、「私のこと嫌いなの……?😢」とか言われ、ああ……となる。
●触覚過敏: 服が嫌。
服を着ているとずっと触覚に何かを入力され続けている感じがして不快なので裸でいたい。しかし人間社会では、あまり裸でいないようにというルールとか、裸=性的という(わたしにとっては)謎の図式があるので、人間社会むずかしいわね……となる。
●不注意
たとえば、羽田と成田を間違える。神奈川県民ホールとパシフィコ横浜を間違える。ものを考えていてよくぶつかるので、体が覚えのない傷や青あざでいっぱいになる。財布や鍵は首にでもかけておかないとなくす。図書館に本を返しに行こうと思ったのに、気づくと図書館じゃないところにいるし、そのまま自宅に帰ってきちゃったりとかしていて、あれれ? 自分でも不思議……となる。
●二次的に起こること: 極度の疲労、抑うつ、雇用されることの困難
なんだこれ。ひとりでぼーっとしている人生。ぼくは社会のゴミクズだ。消えたほうがいい。寝ると自分が消える。あっ13時間寝てた。あれれ。あー。だめだがんばれ。がんばれないウケる。金がないウケる。ウケない。生活が成り立たない。働こう。働いてるのになんか店長が胃が痛そう。こないだぼくがミスしたせいかな。ごめんなさい。あっなんか本社の人きたの。やばいね。起きようとすると眩暈がするな。せんせいたすけて。お薬ください。リーゼ。マイスリー。お薬ってよく効くなあ。効くだけに高いなあ。また働かなきゃ。あれっクビじゃん。金がないウケる……となる。

書いていて凹んできたが、困りごとが個別化明確化されたらあとは対処していくわけです。これをどうなんとかしていくか。


■3 医療: 答えはスマホの中にはない

よく「精神科に行くと保険入れないし偏見の目で見られる」「お薬を飲まされて薬漬けにされてしまう」みたいなやつがありますが、それって自分の体をどう生きていくかという自己決定権が持てていない状態なので持てないんじゃない。持つのよ。

薬を飲む飲まない、任意保険をどうする、人生設計をどうする、そういうことは思い込みで止まらないで一つ一つ調べて自分で決めていくことにしました。

あと「ググってみたけど絶対これだ……もうわかってるから診断する必要もないわ……どうせ自分は〇〇……」みたいな状態になるのもそれ何も解決してないというか、「○○な自分の辛い日常を聞いてください」になってしまうのでそれもわたしはやりたくなかったというか。その「〇〇」は人間が医療や行政のサポートを受けるために作られた概念であるはずだ。人を分類して説明するためでは全くなく。

というわけでメンタルクリニックを受診。医療の場では「主訴」というのがあります。「主な訴え」として「何に困っているか」をお医者さんに伝え、「それがなぜ起こっているのか」を調べてもらい、説明してもらい、「どう対応していくか」を模索していく場が病院だと思っています。主権は自分にある。自分の体だから。

困りごとを幼少期から説明していき、現在の最も解決したい困りごとを伝えました。またWAIS-IVという知能検査も受けました。それが良い悪いじゃなくて、自分にどういう特性があるのかを調べました。で、服用できる薬を教えてもらい、処方してもらい、飲んでみた感じを毎日日記につけ、「ここをもっとこうしたいんだよな」というのを随時相談していきました。

メンタルクリニックだけではなく行きつけの内科にも、服用の結果自分の体がどうなっているか、心拍数とか血液とか胃のダメージを調べてもらいました。

また、薬の成分や体の仕組みを勉強し、「ノルアドレナリンが足んないんだな」という仮説で色々と試行。ノルアドレナリンの原料になる成分が含まれる食べ物を食べつつ、必要な分量の薬を、自分にとって一番良いらしいタイミングで摂っています。

西洋医学のお薬だけではなく、食べ物、漢方、スパイス、生活習慣、などといったことで総合的に対応しているということです。

そうしてると、おかね、かかるじゃん?


■4 行政: 精神障害者手帳と自立支援医療制度受給者証の取得

お医者さんに「精神障害者手帳を申請するので診断書を書いてください」と頼んで、それをお役所に持って行きました。

ここ二年ほど特に辛い世の中なので「今すごく増えているんですよね」と窓口の人がおっしゃっており、ちょっと何ヶ月か時間がかかったのですが無事交付されました。また、障害のために受ける医療費が一割負担で済むようになる「自立支援医療受給者証」はその場で交付してもらえました。まあこっちは不注意傾向のある広汎性発達障害なので、その受給者証を家に置き忘れたりとかめっちゃしたんだがな🙂

医療費助かる。ちょっとなんのことなのかわかっていないんですが「障害者控除」というのも受けられると税理士さんが教えてくれた。あと他にも色々サービスが受けられるらしく、厚生労働省のページにまとまっている。こういうものはガンガン利用していくスタイル。すると政治家の人とかも「これだけ利用されてるんだな、これだけ困ってる人がいるんだな、じゃあここの政策をどうして行こうかな」って考えてくれるはずじゃん理想的には。考えてくれなかったらその人には投票しないし。行政サービスが受けられて投票もできる立場にいるのだからそれをめっちゃ利用する。

で、自分がある程度大丈夫になったあとで、そうでない立場の人のことを考える。社会しとる。利用できる行政サービスはマジでどんどん使う(二回目)、本格的に成り立たなくなったら生活保護とかもどんどん使う構え。

みんなのように学校行けない、みんなのように働けない。誰の役にも立てていないし、迷惑かけてばかりな気がする。そういう自分が嫌になる人も少なくないと思うんです。だけどそういうふうになりやすい特性で生きる人ってこれまでもこれからも一定数ずっといるわけだし、「人の役に立たないと社会に居場所がない」みたいな社会もそれはそれでそのままでいいのかよって思うし。そうやって人間のことばっかり考えている人間中心観で、人間の雇用を作り出し人間の経済を発展させようとして、結果、大量生産大量消費で環境をぶち壊しちゃっているところなのが人間でしょ。

ってわけで「そもそも役に立たなくてよくね? 生命、ただ生きているだけだし。自然の一部だし」とまずは言いたい。

そう言いたいのですがそうは言っても誰かに必要とされたい、誰かの役に立ちたい、誰かに喜んでもらいたい、そう思うのが人間という生き物の性なのかもしれません。だから「役に立ててない……生きる価値あるのか……」ってなってしまう場合、わたしはこう考えることにします。

「ガンガン社会福祉を求めて利用していくことが、この制度を作ってくれた過去の人に感謝することにも、こういうふうに生きていく同時代や未来の人がもっと生きやすくなっていくことにも、きっとつながるはずだ」

社会福祉制度を利用して生きる人を叩く人は、だいたい、「自分は我慢して頑張っているのにあいつらは恵まれててずるい」と考える人です。本当はその人もなんらかの支援が必要なのに頼れていないから、助けてくださいって言えないから、助けられているように見える人を「ずるい」って叩くんです。

世の中には、バチゴリにお金稼ぎが得意で大好きだなとか、好きなことをやってたら知らんうちにお金稼げちゃってたなとか、たまたま資産がある家に生まれてて何も考えなくても高額納税者だなとか、そういう人だっています。放っておくとそういう人たちの税金だって戦争とか政治家の仲良しごっことか選挙のためのバラマキとかに使われていくわけじゃないですか。わたしはそういう世の中から一歩先に進めて、「そんなに頑張らなくたって生命はただ生きているだけでいい循環を生むはずなんだよね、人間も、樹も、鳥も魚もみんなバランスの中で生きていたはずなんだよね」って思い出せるところに行きたいなあと思っているわけです。


■まとめ:自閉、実は閉じてない説

33歳になるまで、広汎性発達障害の診断を受けずに生きてきました。
34歳になるまで、精神障害者手帳なしで生きてきました。

子供の頃、水族館に連れていってもらった時のホームビデオを大人になって見てみました。平坦な声で「これはシリキルリスズメダイ これはデバスズメダイ」とかいって魚を名前で分類し続けていました。

そんな調子で生きてきて、人をこわがらせてしまうし、学校も中退したし、誰かを味方だと認定して絶対肯定する行為をどうしてもわたしにとっての愛と呼べないし、友人や恋人には「冷たい」と言われるし、家族とか国家という仕組みも「仕組み」として見てしまう。結婚制度を使ったけれど脱して、個人事業主として一人暮らしをしている。誰かと一緒に「わたしたち」として団結することを全く望まない。「わたしたち」が誰であるかを定義しようとすれば、「わたしたちでないもの」との間に線が引かれてしまう、そのことにマジで耐えられない。

「社会性がない」
「自閉的生活」
そういうふうに書かれてきました。通信簿にも、診断書にも。確かに、付き合いにくい、気難しい、怖い、って、言われます。

だけどそのいわゆる「社会性のない自閉的生活」っていうのは、「いま同じ時代に生きている人間社会だけに閉じこもらない生き方」でもあるのではないかしらと、自分なりに捉え直すことにしています。

人間社会でうまくやっていけない人間です。けれど、こうして「障害者手帳」という人間社会での制度を利用させてもらったり、人間が培ってきた言語とかインターネットという道具で思考と発信をさせてもらったりして、ここで生きています。人間社会でうまくやっていけない人間ではありますが、人間社会で「自閉」と呼ばれる特性を持っているからこそ人間社会に閉じこもらないで済むのだと思うことにして、これからも地球の生き物として、在る限りは在り続けようと思っております。

起きていて大丈夫な時は文章を書いており、読者の方々のおかげで今のところ生活ができています。

「本ばかり読んでいないでお友達とお話ししなさい」と怒られる子供だったわたしから、本越しに、あなたへ。書いていく上で、精神障害を公表すると、仕事の幅が狭まってしまうのではという気持ちもありました。でも不思議なもので、公表していなくても精神障害にまつわるご相談をいただくことが多く、「障害ってことで幅が狭められちゃう社会なら広げていきてえ」と思って、オープンにした上で書いていくことを選択しました。

「障害者のわたしになぜ優しくしてくれないの!?」とか「LGBTのアイコンとしてちゃんと結婚生活をしてほしいと期待していたのに!」的な苦情を複数の方々から連打され、ここ二年くらい精神的に疲れておったのですが、しかし「わかってもらえない」という悲しみは、「わかりたい」という気持ちで乗り越えていきたいとわたしは思う。辛くて辛くて自分のことでいっぱいいっぱいになっているならば、自分の身の回りのことからでいい、自分の調子がいい時でいい、興味を持ってみてほしいなあ、「みんなと違うわたし😢」ってなって辛くなっちゃうのがなぜなのか、誰かのせいにしすぎずに、歴史や他の文化での例を調べてみてほしいなあと、文筆家としては思うわけです。

これからも世を面白がりながら、面白いものを書き続けて生きたいと思います。そんなこんなで、なんとか生きられる社会制度を使って生きています、という話でした。ありがとうございました。

応援していただけるの、とってもありがたいです。サポートくださった方にはお礼のメッセージをお送りしています。使い道はご報告の上で、資料の購入や取材の旅費にあて、なにかの作品の形でお返しします。