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短編【ホテルのある風景 vol.1】 ソラノホテル(東京都立川市)

「空という絶景を前に、自分に帰るひととき」
 SORANO HOTEL(東京都立川市)

主人公は、40代のサラリーマン。実在するホテルを舞台にした、ビジネスショートストーリーです。
産業機器メーカーの営業マンであり、4人家族のパパでもある倉田恵司。第1話は、東京都立川市を訪問します。

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植物がぼうぼうと生えている。だが、高低差のある草木に見慣れぬ鮮やかな花々は、明らかにプロが手掛けた庭だろう。

この街にはよく来るが、いつも駅と取引先を直行直帰するばかりで、こんなしゃれた場所があるとは知らなかった。庭を一回りしてホテルに入る。

「外国のホテルみたいに、一部屋いくらで追加料金はいらないんですって。夏休みはどこにも連れていけないし、4人で一泊はどうかしら?あなたがいつも行ってる駅でしょ、ちょっと見てきてよ」。
妻の明美にはいつもの生返事だが、言われたことはちゃんとやる忠実な夫の俺。

思わず見上げたロビーの天井は高く、白木の格子から空がのぞく。クッションが行儀よく並んだソファに、寝転びたい気持ちで近寄ると「本日はお泊りでいらっしゃいますか?」。
来た。怪しい奴だと疑ってるのだろうが、こっちは客だ。一息つきたい旨を伝えると、11階のバーのバータイムが始まったばかりだという。2人がかりで護衛され、エレベータに乗る。降りて、右・・・。

ガラス張りのパノラマに、あっけにとられる。
眼下に広がる緑の芝生と森。遠くにかすかに見える山々。

窓が真正面の席に着くと、あまりの開放感でコーヒーはやめ、モヒートを頼む。仕事でもとPCを開くが、顔を上げるたびに異なる雲の様子と、見えそうで見えない夕陽が気になり集中できない。気を緩めると視線は窓の向こうに泳ぐ。あきらめてPCを閉じた。
広い空間認識に呼吸が深くなっている。こんな風に、ただ景色を眺めるだけの時間など久しくなかった。曇天の合間から時折見える赤い夕陽。

ふと気づけばすでにほの暗い。一杯で長居はケチ臭い奴だと思われるだろうかと、ふいに焦って会計に立つ。

「これから帰って夕飯ですか?」

イケメンスタッフの笑顔を見てハッとした。勝手に卑屈になっていた自分におかしくなる。そう、これから帰って家族と夕食だ。外出すると、むしろ帰宅はいつもより早くなるのだ。「今度、家族を連れてきます。ありがとう」と返し、バーを後にした。

1杯2千円の天空の時間に、自分の大切な何かがスッと変わった気がした。

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