ガラスが割れて、やりたいことが分かった話
どんなに好きなことを仕事にしていても、働き過ぎると心と身体のバランスを崩す。頭がボンヤリしてきて、あれ?何してるんだっけ…??ってなったり、そんな状態になっている事にも気づけなかったり。好きな事だからこそ、頑張るし頑張りたい。でも苦しくなってくる。
20代の時、私は長い間そんな期間を過ごした。仕事のペースが全然掴めなかった。(今もそんなに出来て無いけど、、、泣)そうなると、どうしても目を向けないといけなくなってくるのが「自分が本当にやりたい事って何?」
ガラスのコップが割れて、それに気付いた時の話。
富山県のガラス工房に勤務していた頃のこと。富山に移住したのは24歳になった年の春で、3年半ほど富山で暮らした。
あまり知られていないのだけれど、富山市はガラス工芸を支援している。なぜかというと、富山市は戦時中に富山大空襲で全てが焼失し、地域の伝統工芸もなくなってしまった。そこで何か新しく工芸を根付かせようという働きが約30年前にあり、大抜擢されたのがガラス工芸だったらしい。
その取り組みの一環で出来た富山ガラス工房は、ガラス作家の独立を支援している。工房スタッフは嘱託職員として3年間工房に勤める。3年経ったら独立しましょうね〜そして出来たら富山にそのまま移住して、工房を作って作家活動しましょうね〜という、地域活性化という側面もあった。
市のバックアップがあるから、工房の設備もそれはそれは整っていて。ここなら何でも作れる。吹きガラスがしたくてしたくて堪らずに富山まで来た私には、天国のような工房だった。
そんな吹きガラスハイな状態の人は私だけではなく。私がいた部署は主に、工房に発注が来たプロダクトをデザイン&制作するところで、8名のスタッフがいた。
ほぼ20代で構成されている私たちは、みんな体力もあったし、必死だった。
3年間で、何者かにならなくては。
みんながどう思っていたかはわからないけど、やっぱりそういう空気は確実にあったと思う。ガラス作家として生きて行くためには、一眼でその人の作品だとわかる個性が、いる。その為の実験、経験を積みたいという超体育会系のギラギラとした空気。(実際、あの時一緒に働いていた人達は、ほとんどの人が自分の工房を持ち、作家活動を続けている。)
期間限定のこの夢のような環境で、出来る限りのことをしたい。生活とか全部犠牲にしても良い!仕事に全てを注ぎたい…!こういう時期ってあると思うんだけど、まさしくそれだった。
そんな気持ちを叶えるべく(?)工房側は週2日の休日は、工房の設備を使って好きなだけ制作して良い、材料費は払ってね〜という太っ腹な条件を出してくれた。
これはもう、365日工房に来いっていう事だわ。(違う)
嬉々として毎日毎日工房に向かった。休みの日はもちろん自分の制作をして。工房の仕事自体もすっごく忙しくて、毎日夜中の12時を過ぎるのが当たり前だった。みんな当たり前のように工房に残って作業していた。22時を指す時計を見て
「あ、今日はまだまだ時間があるな〜」
なんて思っていたのをハッキリと覚えている。20代、すごい。
だけど、そんな状態が続くはずもなく。
富山での生活にも仕事にも慣れ、一年が過ぎようとする頃。夕方の薄暗い工房の廊下を、私は先輩と歩いていた。二人とも手にはグラスが大量に積まれたカゴを持ち、疲れ切っていた。大量注文が入ったグラスを作り終え、検品してもらう為に倉庫に向かうところだった。口数も少なく歩いていると、先輩が小さく呟いた。
「私さ、この間自分が作ったグラスを落として割っちゃったんだけどさ、なんか、全然悲しく無かったんだよね。」
この時の静かな衝撃。
あれ?私も、同じじゃない?
今、このカゴの中に積まれたグラスが割れたとして、ちゃんと悲しめるか?・・・そういえばこの間、私もガラス割ったっけ。その時は悲しいというより、どちらかというと、あぁ、また作り直さなきゃ、だる〜〜という気持ちだったような!?
いつからこうなったんだろう。あんなに大好きだった吹きガラスが、いつしか義務感を持つようになってしまっていた。そんな自分がショックだった。
誰に頼まれて作るのでもない、何かを生み出したいという欲求がモノづくりの原点だとするなら、この義務感や面倒臭いという気持ちは
モノづくりをする人として、真逆の方向にふれてない?
こんな気持ちで作っていて、良いものが作れるはずがない。お客さんにも失礼だし、嫌なら辞めれば良いじゃん。ずーっとぐるぐる自分を責める言葉が浮かんでくる。今思うと完全に仕事のし過ぎ。キャパオーバー。
でも、ガラスを辞めようとは1ミリも思わなかった。
ということは。このままだとロクでもないガラス作家になるのが目に見える。笑
このままじゃまずい。幸いガラス自体は、今でも美しいと思えるし大好きだ。じゃあ仕事の仕方が合ってないという事だ。
サイズをミリ単位できっちり合わせて、ひたすら大量注文のモノを作るのは、精神的に鍛えられたし、工芸として絶対に必要な技術力は、確かに磨かれたと思う。今でもこの時の技術に支えられているし、とても大事な経験だ。
でも、このやり方をずっと続けていくのは違うみたい。
愛と手間をかけて、一つ一つに物語のあるものをガラスで作っていきたいという気持ちに、この時気づいた。
ガラスが割れても、悲しくなかったから気づくことが出来た、自分の本音の部分。あの時の先輩の一言で我に返ったというか。先輩は覚えてないと思うけど。
ちなみに今、自分が作ったものが割れたら泣く。というか悲鳴をあげる。笑
最近は逆に手間暇&愛情をかけ過ぎてそれはそれで大変。バランスって難しいね。
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