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言葉を残すということ

最近、ナンダカンダ:藤井隆 を狂ったように聞いています、Yurikaの地球生活ピーポーです。

なんだかんだ叫んだって やりたいことやるべきです
あんたなんだ次の番は みんなに愛呼びかけて



先月4月末に人生3度目となる個展を行った。
作品制作のために3月4月と借りたアトリエに通う50分の道のりは楽しかった。
大きな刺繍作品がメインだったので、一針一針縫う工程は無限のようで短い時間だった、
制作に集中すると時間というものはいとも容易く形を変える。

これからも時空を歪めながら生きていきたい、

個展終了後グループ展に参加し、やっと一息ついたところで肩の力が抜けたのか川沿いの芝生の上で朝からポテチを食べて寝たら1日が終わった日もあった。

こうも簡単に形を変えるのか、時間というものは。


最近は運動を再開し、昨日はベルリンの街と森を全力で走った。
腕のバンドに入れていた会員制のジムのカードを失くした。
探すために同じルートを2周走るハメになった。

カードは見つからなかったが代わりに筋肉痛を得た。


夏に向けて草木染のワークショップ開催の声を多くかけてもらえるようになりありがたい限りで、
来週には別の街に行って映画祭の催し物の一部としてワークショップを行う予定だ。

フランクフルトは10年前バックパック旅をした際初めて降り立ったドイツの街だった、
フランクフルトから電車で1時間ほどの温泉地ヴィースバーデンに行きサウナ施設に入ったのはいい思い出だ。

10年という時間の中で記憶は変わっていく。
それを確かめに今回も行ってもいいかもしれない。


記憶が消えていくということを私はどこかで恐れている、
特に起こった事象や情報だけでなく、その時の感情や輝き、鳥の声や水面の輝き、それをともに見た友人の深呼吸、
早朝の蝉の声と母の作ったグリーンスムージーの苦い甘み、父のこんがり焼いたトーストにマーガリンを塗るカリカリとした音。

それらを忘れたくない、と思って振り返る時間が増えた時期もあったがそうすると過去に囚われ現在が疎かになった。
やはり今というのは過ぎていくんだ、という結論に至った。
だから今を楽しむのがいいよね。

とはいえ言葉を紙に書いて残すのは私の習性である。
私が残したいもの以上のものがそこには残る気がする、
もはや残そうとしないことが残すということに思える。
同じく、誰かに伝えようとしないことが伝えるということにつながる気がする。

ということで、言葉だけでなく音でも記録を残している、
耳に余裕がある方はこちらも。

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