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「安定」という名のダイヤモンドを探して

人に勧められ、「自分史」を書いている。どこかに発表するつもりで書いているのではない。ただ、これまでの自分の人生を振り返り、文字することで、何か、自分の中に埋もれていたものを発掘するかもしれないと思ったから。そう、いつだって「答えは自分の中にある」だ。

書いている中で、私が漠然とした不安を感じる、不変なものに気がついた。「どこかに所属していないこと」「貯金が減ること

所属している会社に居るのが辛く、自分から身を引いて辞めることが多かった。次の仕事が決まっていない不安。それは誰もが感じることだが、38歳の時、カナダへ留学すると決めた時、学生として勉強をするが決まっていたので、漠然としたモヤモヤ感よりも、「勉強についていけるか」という具盾居てきなふあんだった。収入はなくなるけど、「やるべき事」がはっきりしていた。

だとしてら、どこかの団体に所属していなくても、やる事があれば、不安はないか。例えばフリーランス。経験がないか、自分がうまく仕事を取ってきて、活躍するイメージがわかない。「どこかの所属する=やるべき事がある」というのは、固定概念が自分の中にあることに気がつく。

次にお金のこと。元来、ケチというか、節約するのは苦ではない。むしろ、楽しい方だ。なので、今、収入がなくなっても、質素な生活を心がければ、しばらくは生きて貯金はある。だが、いくら質素な生活を続けでも、支出がゼロというのは難しい。当然貯金を切り崩す。いくら残高が、十分にあっても、だんだん数字が減っていくことに、モヤモヤする不安を覚える。

仕事を辞め、収入がなくなっても、あと5年、10年全く何もしないということは考えられない。だが、私の中で、朝起きて、「収入源になる、今日やらなければならないこと」がないことに、怖さがある。この不安はどこから来るんだろう。

特にこのご時世、「絶対なる安定」はない、誰の身においても。頭ではわかっていても、この「漠然として不安」を感じず、残りの人生過ごすことを強く願う自分がいる。それは、鉱山からダイヤモンドを見つけるように、容易なことではない。ただ、絶対的に不可能かといえば、それもまた「絶対ではない」。となると、私だけのカスタマイズされた「心の安定」というダイヤモンドとは何か。それは私の中に既にあって、私がまだそれを発掘、発見できていないだけなのかもしれない。さて、どうやったらそのダイヤモンドはみつけられるのだろう。

追記:necomimix_jpさんの画像を使わせていただきました。ありがとうございました。

「人生経験の引き出し」がいっぱいあります。何か悩み解決のヒントになる話が提供できるかもしれません。