同じクラスのオナクラ嬢 第43話
もう、母さんはいない。
これからはふたりで生きていくんだ。
大丈夫。正くんには、俺がいる。
兄の諒一はそう言って、僕の頭を撫でた。
どうして。
どうして、母さんは、いないの?
病室で、僕は言う。
白い天井が、嫌に眩しかったのを覚えている。
兄は首を振り、「仕方なかったんだ」と呟いた。
仕方なかった――?
その言葉が、僕の脳裏に強く焼きついた。
●
沖内さん、具合はどうですか?
始めは、自分が呼ばれているのだと気づかなかった。
沖内。
それが、今の僕の苗字なのだ。
僕と兄は、父の遠縁の家に預けられることになった。それに伴い、苗字も母方の苗字から、父方の苗字へと変わった。当時の僕はよくわからなかったけれど、父は婿養子だったらしい。その父の顔も、よくは覚えていない。僕がまだ物心つく前に、父は不慮の事故で命を落としているからだ。
鏡を見ると、火傷の痕はほとんど目立たなくなっていた。
君のお母さんが、身を挺して、君を守る様に抱きしめてくれていたおかげで、軽症で済んだんだよ。
医師はそう言って、微笑んだ。
そんなことをしなくてもよかったのに。
それよりも、どんなにひどい姿になってでも、母に死んでほしくなんてなかったのに。
僕は、ぼろぼろと泣き出してしまう。
辛かったね。もうすぐ、退院できますよ。
医師の隣に立つ看護師が、そう言った。
●
倉敷さん、ですか?
病院の中庭のベンチにぼぉっと座っていると、そう呼ばれた。僕の、以前の苗字だ。
声のした方に顔を向けると、そこに、同い年くらいの女の子が立っていた。
長い黒髪に、白のワンピース。麦わら帽子で顔が少し隠れているが、どこかで、見たことがあるような気がする。
「病院の人に訊いたら、あなたが、そうだろうって……」
「……はい。僕が、倉敷ですけど」
「あ、あの……」
女の子は、いきなり頭を下げた。
「ごめんなさいっ……」
「え……?」
「わ、私の母が、もしかしたら、あのっ……! どうしたらっ……!」
ああ……。
僕は、思い出す。
そうだ。あの時だ。
僕の家にいきなりやってきた、あの女と一緒にいた女の子だ……。
「どういう、こと……」
「わ、私もっ……よくわからないんだけどっ……も、燃えた、んだよねっ……? キミの家……」
「どうして」
どうして、それを。
「あのニュース見てから、うち、おかしくなっちゃって……! 父さんは暴力ふるう様になるし、母さんは毎日泣いてるしっ……! もう、私、どうしたらいいのかっ……!」
なんだ。
なんの話を、しているんだ。
あの時、母さんと、あの女は、どんな話をしていたっけ。
頭が痛む。
思い出そうとするのを、脳が拒絶する。
わからない。
わからないけれど。
もし。
僕の家が。
母さんが。
燃えたのが。
全部、この女の家のやつらのせいだとしたら。
僕は。
「……よ」
え、と女の子が顔を上げた。その瞳は、涙で濡れている。
「帰れよっ……!」
そうだとして。
もし、この女の家――あの時の女が関わっているとして。
だとしても、どうして、こんな、のこのこと来れるのか、わからない。
何がしたいんだろう。
謝りに来たのか?
なんのために?
母はもう戻ってこないのに?
お前の気持ちが晴れるだけじゃないのか?
ふざけるなよ。
人の母親を奪っておいて、そのうえ、少しでも楽になろうとしているのか?
ふざけるなよ。
「帰れっ……帰ってよっ……!!」
僕は、手元にあった紙コップをその少女に投げつける。
しかし、少女に届く前に、芝生の上に落ちてしまう。
それが余計に、僕に神経を苛立たせた。
「あ……ごめ……」
「謝るなっ!!!」
少女が、びくっと身体を揺らした。
「謝るなよっ!! 許さないっ……!! 許されようとするなよっ!!! 僕は絶対に許さないからなっ!! お前のことも!!! お前の家族のこともっ!!! 一生恨み続けるっ!!! 憎み続けるっ!!! 幸せになんかさせないっ!!! 不幸になれ!!! 一生苦しめっ!!!」
どうしたの沖内さん、と近くにいた病院のスタッフが慌てたように駆け付けて僕を抑える。
少女は、顔を蒼くして、逃げるようにその場を立ち去ろうとした。
「許さないからなっ……!! 絶対、許さないっ……!!」
僕は、抑えられながらも、少女の背中に向けて言った。
ちらりと振り返ったその瞳は、どこまでも深く、美しい瞳をしていた。
●
「相当な勇気が必要だったよね……」
僕の目の前で、九条友里さんが、泣いている。
その瞳は、あの頃と変わらずに、どこまでも深く、美しい。
「えっ……?」
「自分の親が、放火の犯人かもしれない。そう思いながら、謝りに来るのは、勇気が必要だったと思う。九条さんは、凄いよ」
「な……に……?」
「あの時は、ごめん。不幸になれなんて、酷いことを言ってしまって。君は、幸せになるべきだ」
「…………まって」
ベッドの上に座っている九条さんの瞳が、大きく揺らいだ。
「え、待って、ねえ、正くん、待って……」
「あの時は、倉敷って苗字だった」
「――っ!」
揺らいだ瞳が、大きくなる。
九条さんは口元に手を当てて、息を飲んだ。
「あ……私……わた、し……っ」
「あのさ、さっきから何してるんですか?」
スーツ姿の男が、しびれを切らしたような声を出した。
「さっさと処女奪ってくださいよ。純愛ラブラブセックスしてくださいよ。焦らし過ぎはアートじゃないですよ」
「うるさい! 大事な話をしてるんだ!! 黙っとけ!!」
僕の言葉に、男はきょとんとした顔をして、頬をひくつかせた。
「は。私に命令ですか。タダシくんもいい度胸していますね。おい、田辺。その男、犯せ」
「なに言って……!」
「交渉決裂ですよ。あなたたちがセックスしないのなら、せいぜい、この美男子くんを犯す映像でも撮りましょう。おい、田辺、さっさとしろ」
僕は、跳ねるようにベッドから入り口へ駆け、大柄な男の腕にしがみついた。
「晶に、手を出すなよっ……!」
しかし、僕程度の力では男はびくともせず、口の端を上げて、勢いよく僕を振りほどく。床に頭を強く打ちつけ、一瞬、意識が飛んだ。
「正っ!」
晶が、泣きそうな声を出す。
「離せよっ……」
僕は、ゆっくりと立ち上がる。
ずきずきと頭が痛む。感じたことのないような吐き気が襲う。
生ぬるいものが顔を流れるのを感じ、それが汗ではなく血だとすぐに気づいた。さっきので、頭が少し割れたのかもしれない。
「晶に、手を出すなよっ……」
「タダシくんは友達思いですねえ。それはそれでアートだ」
「友達じゃないっ!」
僕は言う。
「晶は、僕の大切な恋人だっ!!」
一瞬の静寂が部屋を包む。
スーツ姿の男は、少し取り乱しながら「ま、まあ、愛の形は人それぞれですから……。な、なあ田辺」と大柄な男に問いかけ、男も「あ、ああ。俺は、良いと思うぞ、タダシくん。むしろ、そっちの方が良いよな」と妙な言葉をかけられる。何故だ。
しかし、その隙を晶を見逃さず、男の力が抜けた瞬間に肘を男の顔に当て、拘束から抜け出し、泣きそうな顔――いや、泣きながら、僕の元に駆け寄る。
「正、血が出てるっ……! 病院行こう!! 今すぐ!!」
晶に支えられると、その安心感からか、張っていた気が少し緩み、身体から力が抜けていく。
「いやいや、このまま無事に帰れると思ってるんですか」
スーツ姿の男が、こちらへ歩み寄ろうとした。
まずい。力が入らない。
呻いていた巨漢も、鼻血を出しながら、こちらへ近寄ってくる。
「大丈夫だ、正。今度は、私が守る」
晶はそう言うが、僕を支える腕が震えている。
万事休す。
そう思った瞬間、スーツ姿の男が、前のめりに床に倒れた。
息を荒くしながら、九条さんが、サンダルを手に持っている。
自分の履いていたサンダルで、男の後頭部を殴打したのだろう。
「ふたりとも、逃げてっ!」
「――のっ、くそアマっ……!」
スーツ男は九条さんを睨みつけ、起き上がろうとする。
「晶っ」
「わかってる。九条さんを置いていかない」
九条さんの元に駆けようとした晶の腕を巨漢が掴む。
その時、複数の足音がし、閉まりかけていた扉が、再度、勢いよく開かれた。
「全員動くな!!」
警察の制服を着た男三人が、部屋の中に飛び込んでくる。
スーツ姿の男は舌打ちをし、両腕を上げ、無抵抗の意志を示した。
「……まあ、今日のところは、勝ちを譲りましょうか」
でも、とスーツ姿の男は、九条さんの方を見て、意味ありげに微笑んだ。
「覚えておいてくださいね。僕は、妹さんの存在も、九条さんの家も住所も知っていますから」
九条さんの身体がびくっと震える。
その様子を見て、スーツ姿の男は、ははと下種な笑い声をあげた。
その男も、巨漢も、警官に連行されて、部屋から出ていく。
終わった、のか……?
僕は、もう、いいのか……?
九条さんの横顔が目に入る。
ああ……。
まだ、何か伝えなきゃいけないことが、あったような気がする……。
でも、今は……。
くらっ、と視界が揺れ、色が薄れていく。
「正っ!」
最愛の人の声をかすかに感じながら。
僕の意識が、失われていく。
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