生活のあらゆる場所は“庭園”になるかもしれない :いとうせいこう『ボタニカル・ライフー植物生活ー』から考える

取材で「東京おもちゃショー」に参加したときの話。会場にはVR機器やスマホアプリと連動するロボットなど最先端技術が搭載されたおもちゃが並んでいて、それはそれで興味深かったのだが、どうにも大人向けな印象が強く、正直あまり心惹かれなかった。

ただ、その中でとても目を引いたものがある。植物育成キット「PETOMATO SERIES」だ。種や肥料などの入ったノズルと、水の入ったペットボトルを組み合わせると、毎日水やりナシで野菜や植物が育つという優れものである。夏休みの植物観察用に作られたのだという。

担当者に話を聞くと、最近は庭のある家で暮らしている家族が少なく、ベランダや窓際といった狭い空間でも日光さえ当たれば育てられるようにしたいという気持ちから企画されたとのことだった。

これには思わずハッとさせられた。たしかに、都内では特に庭のない家が多い。個人邸宅であっても、車の駐車用スペースがほとんどで「庭」として機能していないところもある。子供が都会で植物を育てるのは、割とハードルが高いのかもしれない。

思い出したのが、いとうせいこう著・『ボタニカル・ライフー植物生活ー』だ。HPに連載された植物育成日記を収録したエッセイ集だが、都内のマンションに住む彼は、当然庭を持っていない。そこで、”ガーデナー”という言葉に対抗して、"ベランダー”を名乗り、マンションのベランダで植物を育て始めるのだ。

“ガーデナーと違って我々の階級には洒落た英語がなかったのである。(中略)しかし、もうこれからは安心である。皆さんも胸を張ってベランダーと名乗っていただきたい。名乗った途端に不思議と気持ちが張り切り、むしろ庭など金輪際持ちたくないというような無理な気概に満ちてくる。”

道端で拾ったアロエを拾って育てたり、オンシジウムの鉢を泣く泣く処分したり、月下美人の生育に恐怖したりと、植物と共に暮らす日々。いとうせいこうは、溢れ出さんばかりの植物愛を語りまくる。

“俺はつまり、植物すべてに弱いのだ。死んだものが生き返り、信じられない速度で育っていくこと。それは俺の中の根源的な何かをくすぐってやまない。”

もちろん広大な庭を所有していれば、出来ることの範囲は広がる。しかし、あくまでマンションのベランダにこだわる。植物を通して社会の現実に目を凝らし自らの立場を表明することが、ベランダーの思想なのだ。

”俺たちは都会の狭い空を見ながら、必ずあちらこちらのベランダに目を向け、そこで営まれるボタニカル・ライフを把握する。鳥には鳥の世界があり、虫には虫の視界があるように、俺たちベランダーには俺たちだけの空間が存在している。”

先述の「PETOMATO SERIES」は、日の当たる場所であれば、そこが庭でなくともかまわない。言い換えれば、どんな生活空間も"庭園”と見なせるのだ。いずれ、このようなキットが発展していけば、生活と植物がより密着した暮らしが可能になるかもしれない。そんな未来を想像するとき『ボタニカルライフー植物生活—』は私達に必要な空間がどのようなものか、ヒントを与えてくれる。

いとうせいこう著
『ボタニカルライフー植物生活—』(新潮文庫)
平成16年3月1日発行 第15回講談社エッセイ賞受賞作品

HASEGAWA SATO STORE「PETOMATO SERIES」http://www.hasegawasatostore.com/

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