平成以降の光と影(比喩ではなく)について:谷崎潤一郎『陰翳礼讃』から考える

平成になって変わったことのひとつに、"灯かり”があるだろう。街灯や家庭にLED照明が普及し、街は以前よりも確実に明るくなっている。蛍光灯よりも寿命が長く、従来品よりも電気代コストを安く抑えられる。普及が早かったのは当然だ。

出始めの頃は「青白い光に包まれた部屋が不気味」「光が全体的にのっぺりとしすぎ」といった感想も耳にしたが、現在は光の色や明るさを自在に調整できるタイプが発売されている。つまり、光と色を自由に操り、部屋の雰囲気を気分やシチュエーションに合わせて気軽に変えられるようになったのである。

電球が日本の一般家庭に普及されはじめたのは、大正末期〜昭和初期ごろといわれる。とある演劇作家の方に聞いた話だが、部屋に均一的な光が広い部屋の隅々にまで行き渡るようになってから、ちゃぶ台を置いて家族団らんでご飯を食べるスタイルが定着したのだそうだ。漫画『サザエさん』にみられるような一家団欒のイメージというのは、部屋の中心に吊るされた電球がもたらしたものと言っても過言ではないだろう。

部屋を均一に照らす光は、一方で日本家屋から陰となる部分を奪っていった。より明るく、より鮮やかに部屋を照らせることが良しとされ、暗い部分を塗りつぶすように、次々と照明は導入されたのである。

当時、そのことに真っ向から異を唱え、日本家屋独特の「陰翳」のもたらす美の素晴らしさを綴った随筆がある。小説家・谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』だ。

"美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った”

京都や奈良を訪れ、寺院の中の厠を使用するのが安らぎであったと回想する谷崎は、それが薄暗さと清潔さによってもたらされていたものであると述懐する。

"繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることとと、蚊の呻りさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。(中略)されば日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であるとも云えなくはない”

興味深いのは、幽玄で神秘的な陰影が、日本建築の意匠から生まれていると捉えている点だ。

"もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る度に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光と蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する(中略)それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける”

谷崎潤一郎は何度も「感嘆」し「感銘」を受ける。陰翳のもたらす効果が、鮮やかな筆致で丁寧に描き出されることによって、読者もいつの間にか、谷崎と同じ目線で日本の家屋を思い描き、日本古来の美の世界へと引きずり込まれていく。読めばたちまち部屋の照明をこだわりたくなる評論だ。

LED照明の普及が進んだ現在、私たちは光を自在に操れることで、再び陰翳の美の世界に気づき始めているのかもしれない。事実、インテリアとして間接照明を取り入れるスタイルは定番となり、どのような光の取り入れ方がオシャレに見えるかを紹介した雑誌やHPも多い。

それでは平成以降、どのような光が私たちを照らしてくれるのだろうか。最近では、天井内部に光源を設置して、天井そのものを照らすコーブ照明が流行っているという。これにより、部屋全体をやわらかい雰囲気にして、空間を広く見せられるとのこと。まだまだ陰影の取り入れ方は発展していきそうだ。

使用文献・谷崎潤一郎『陰翳礼讃・文章読本』(新潮文庫)
本による初出は、1939年6月、創元社から。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?