不動産の”サンドイッチマン”が怖い:新庄耕『狭小邸宅』から考える

2013年から2017年までの間に、自分の住んでいた世田谷区・上北沢の景色はガラリと変わった。

以前は、敷地の広い邸宅郡の密集した富裕層の住む町だったが、次第に家々が解体され始め、だだっ広い空き地が散見。しばらくすると、モデルハウスのようなデザインのこじまりとした家が建ち並んだ。いわゆる”建売住宅”が増えたのである。

それに伴い、住宅の玄関前で不動産の営業マンたちをよく見るようになった。大きな木枠の広告看板を両肩にぶら下げたまま、雨の日も風の日も屋外じっとしている。

彼らには申し訳ないのだが、正直とても不気味だった。道端に放置されたままの人形を見るような気持ちと言えばいいのか。建売物件が売れなければ永遠にそこから動けないのではないかという妄想が広がって、ゾッとしたのだ。

彼らのような営業マンを、不動産業界では、“サンドイッチマン”と呼ぶらしい。当然、カロリーを無に変化させるお笑いコンビではない。看板の紐を前後にぶら下げて、身体を挟み込むようにしている姿から、そのように名付けられたらしい。

そのことを知ったのは、新庄耕の小説『狭小邸宅』(集英社)を読んでからだ。大学卒業後に不動産の営業マンとなった主人公が、理不尽な業界の常識に巻き込まれていくという物語だ。冒頭から”サンドイッチマン”になった主人公は、上司に容赦ない罵声を浴びせられる。

"おい、お前、今人生考えてたろ。何でこんなことしてんだろって思ってたろ、なぁ。なに人生考えてんだよ。てめぇ、人生考えてる暇あったら客見つけてこいよ”

初っ端から強烈な発言だが、これだけにとどまらない。「てめぇ、冷やかしの客じゃねぇだろうな。その客、絶対ぶっ殺せよ」や「てめぇ旦那の仕事訊いたのかよ、あっ。自営業じゃねぇかよ。自営は客じゃねえ」など、罵詈雑言のオンパレードである。

もちろん、そんな職場が常識的な労働をしているはずがない。営業担当者は電話を握らされたまま、頭と腕をガムテープでしっかりと固定され、電話を片時も外さないようにされている。平社員は日中、自分の生活に割ける時間などなく、休日出社も強制されている。

主人公はその中で、疲弊し、やつれ、自尊心も削られていく。しかし、とある上司との出会いをきっかけにして、不動産営業の世界に全身まで身を浸すようになるのだ。

 表題の「狭小邸宅」とは、二十坪前後の狭い土地に建てられている住宅“ペンシルハウス“のこと。狭い土地の中で、その地区の建築基準に合わせて建設されるため、三階建てで、屋根が鋭角に切れ込んだかたちになっている。

こうした物件を売るための駆け引きとして、値段をあえて伏せる、案内する物件の順番をつくる、架空の電話のやり取りをお客に見せつけて物件への興味を引き立たせる、といったテクニックが発揮されていく。

この小説のポイントは、お客を囲い込んで販売することに対する不動産業界側の倫理観が、徹底して描かれないことだ。ただただ、売る側の気持ちと都合だけが生々しく、とても冷たく伝わってくる。

“世の中を見る眼が変わった。(中略)時に、見栄ばかり優先して現実を直視しようとしなかったり、驕慢な割に優柔不断だったり、あるいは人目も憚らず家族を面罵したりする姿を見ると、どれだけ社会的な評価が高くとも、いくらか冷めた眼で見てしまう自分をやめられなかった。”

住居を売る側と買う側の間に、人間的な温かさを感じるやりとりはない。それぞれの事情を押し付け合う不毛な勝負が延々と繰り広げられる。

読み終わり、もう一度上北沢の町を巡ると、まだ冷たい風の中、新築の住居の前でじっとお客を待つサンドイッチマンたちがいる。彼らの眼に、この街と人はどんな風に映っているのだろうか?

追記:現在、Twitterでは「クソ物件オブ・ザ・イヤー」が盛り上がっている。文字通り、クソな間取りや契約内容の物件を紹介し合って、みんなで「クソだ!」と喜び合うイベントだ。

ハッシュタグを見れば、『狭小邸宅』に描かれているような不動産業界のリアルな闇が見られるのでおすすめ。まるで小説の世界のようだなって思っていたら、作者の新庄耕さんが全宅ツイ名誉会員になっていたので「あっ…」となった。


新庄耕『狭小邸宅』(集英社)
(2013年2月10日刊行)
2012年、本作で第三十六回すばる文学新人賞受賞。

クソ物件オブ・ザ・イヤーHP→https://www.kusobukken.com/

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