日常の延長を。
文章を書いていると、どうも自分が丸裸にされているような感覚に陥る。好き好んで文章を書いているのだが、書けば書くほどなんだか恥ずかしくなってくるのだから妙なものだ。
自分の中から生まれる言葉は、私という人間を色濃く映し出している。気持ちも考えも、普段は口にしないでそっと胸の内に秘めていることを、言葉にして公の場に出すのだから、くすぐったいのは至極当たり前なのかもしれない。
昔から文章を書くことが好きで、小学生や中学生の頃は夏休みの宿題の読書感想文が楽しみだった。当時の私は、言葉が描き出す鮮やかな情景描写の魅力のとりこで、読書感想文の中には必ず、本の中で印象的なシーンの情景描写を入れていた。
SNSというものが広く使われ始めてからは、私の文章は専らSNSを通して書かれるようになった。facebook、Instagramなんかをよく使っている。もっとも最近はfacebookはあまり使わなくなってしまったが。
多くの人と繋がり過ぎた場は、ひとりの人間としての生の気持ちを綴るには、あまりにオフィシャル過ぎて、向いていない気がするのだ。そういう場所ではつい、人からの目を気にした文章を書いてしまう。マイナスなことは書き控えたり、つらかったことを書くときでも結びは明るく未来を向いた書きぶりにしてみたり。
そういう文章には誰かの心を明るくする役割があって、それはそれでとても尊い。だけど時々、そういう枠にはまらない文章を書きたくなるときがあるんだ。
テーマを定めるでもない、目的をもったものでもない、私の目を通してみたことを感じたことを、 ただ徒然に書き留める。このnoteには、そういう文章を書いていきたい。力を抜いて読める、日常の延長のような文章を。
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