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日記をやめちゃった

暑い

ルワンダと言えば、一年中過ごしやすい気候というのが一番の長所だったはずなのだが。

夜になってもさほど涼しくはならず、最近は何もかけずに寝ている。

本当は網戸のまま眠りたいけど、名も知らぬ生物が侵入を試みたらどうしようと不安なので、寝る直前にはちゃんと締めている。

大好きなホットコーヒーが、あんまり美味しく感じられない。

その代わりにビールはいつも以上に美味しいので、肝臓を休ませることが少々難しくなっている。

この村にいるのはあと少しの期間だし、お世話になったバーにたくさん金を落とそうじゃあないか。そうだ、そうだ。


日記をやめちゃった

今年の1月1日から日記をつけていた。
そして5月20日にやめた。

5ヵ月坊主という、珍坊主。

元々、日記が書きたかったというよりは、日記を続けている人に対して憧れがあったような気がする。

あと、日常の中で日本語を筆記する機会がないので、なんか、日本人としてまずいかなと思って。

けど、シンプルに言うと、楽しめなかった。

日記の中で紡ぐ文章は、何と言うか、自分のために作るテキトー料理みたいな感じで。

ああ、またご飯の時間。なんか作らなきゃ。
分量も、材料も、何でもいっか。
洗いもの増えるし、鍋ごと食べちゃお。といった感じ。

一方で、noteなどの場で紡ぐ文章は、誰かのための料理。

ちょっと良い素材を選んで、丁寧に拵えて、美しく盛り付けて。

誰かが座る食卓に「ジャン!」と置いて、口に運ばれるのをドキドキと見守るような。

何に関しても、誰かに向けたことが好きだなあと、改めて思う。

ただそれは、自分が評価されたいだけなのか、単純に奉仕の気持ちなのか、自分でもよくわからない。

わからなくて、たまに悩んで、たまにメソメソしたりしている。


当たり前なんだけどね

この前警備員に「豚肉買ってきて~」とお願いした。

1kg 3,500フランだから、4,000フラン渡した。

500フランお釣りで返ってくるはずだけど、手間賃としてあげちゃおうかな~などと思っていた。ちょっと太っ腹な額ではあるが。

彼が帰ってきて、豚肉を渡してくれたのだけど、「お釣りは明日渡す」と言ってきた。

その時、血まみれの豚肉を受け取ってあたふたしていたので、「オッケ~」と言ってしまったのだが、考えてみればおかしな話である。

だって、500フラン、店員から返ってきてるはずなのだから。

彼は帰り道に、その500フランを何かに遣ってしまったのだ。

あげようと思っていたけれど、勝手に遣われたのでは話が違う。

次の日も、また次の日も、500フランが返ってくることはなかった。

「もう返ってこないんだろうな。でも請求するのもいやだな」

一年以上勤めてくれていて、信頼を置いていたので、悲しかった。

そしたら今日、コンコンとドアをノックされ、何事もなかったかのように500フランを渡してきた。

私はとっても嬉しくなって、「いいよ、あげる。ありがとね!」と言い、にんまりしながら部屋に戻った。

まあ…当たり前なんだけどね。

そもそも、お釣りを遣っちゃったこと自体がおかしいんだけどね。

この国では、信じては裏切られということが多いので、こんなことでも嬉しくなってしまう。

ヤンキーが動物好きだと良い奴に見える理論?


嬉しいハプニング

大好きな母が、来週ルワンダにやってくる。

ということが、今週決定した。

まだ頭が追い付いていないけれど、何とも嬉しいあたふたである。

「小学生のころから、アフリカで野生動物を見ることが夢だった」と語る母だが、様々な事情から、ルワンダに来ることは難しかった。

それが、帰国直前の今、急に来れることになったのだ。

日程を調整した結果、なんと一週間後ということになり、ドタバタと航空券を取り、ドタバタとサファリを予約し。

比較的保守的で慎重派だった母が、かつてないほどの行動力を見せていて、なんだか圧倒されつつも、ワクワクしながら予定を立てている。

一緒にライオンを見れたらいいね。



なんとなく作文が恋しくなって、最近のことをぽつぽつと書いてみた。

たまにはこういうのもいいかもね。おわり

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