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一緒にごはんを食べようよ


今、人生の中で一番、”食べる”ということについて考えている。

今、というか、ルワンダに来てから、ずっと。

脂ののったブリのお寿司が食べたいなとか、クリームがたっぷり入ったシュークリームが食べたいなとか。

今日の夜は何を作ろうかなとか、そろそろ野菜や卵や肉を買いに行かなきゃなとか。

明日は友だちと美味しいものを食べられるから楽しみだなとか、今夜は頂き物のスルメで一杯やりたいから、ちょっと頑張ろうだとか。

日本にいるときより時間があるから、自然と”食べること”を考える時間が多いのかもしれない。


「生きることは食べること」というけれど、それは食べることを目的として生きるのか、生きることを目的として食べるのか。


私は、生粋の食いしん坊なので、どちらかと言うと食べることを目的として生きていると思う。

常に、楽しみにしていることは、美味しいものを食べ、酒を飲むこと。

一日の中で一番楽しみな時間は、夕飯の時間。


小さいころから、誰かのお家に遊びに行くと、さっさと食事を終えて遊びに行くお友達には目もくれず、ずっと食卓にへばりつき、次々運ばれてくる食べ物を一つも逃さまいとしていたらしい。卑しい子。


そんな私にとって、ここルワンダで暮らすことは、なかなかハードである。

そもそも発展途上国なので、多くの人々にとって”食べること”は生存のための手段でしかなく、楽しみを求めるものではない。

多くの人々は、豆や芋、トウモロコシや米といった炭水化物で、腹を膨らませる。

さらに、この国は内陸国なので海産物は無く、常夏なので農産物の種類も乏しい。

大好きな刺身や、エビや、貝類は、夢のまた、夢。


村の人々と隣り合わせで暮らしていると、食に贅沢を求めることさえ、罪悪感を覚えたこともあった。

夕飯を食べながら、「お腹がすいた」と訴えてくる近所の子どもたちを思って、大泣きした日もあった。

「贅沢だ」と思われることが怖くて、肉やビールを買えない時もあった。

だけど、私は、日本で生まれ育ったから。

小さいころから、肉や魚や色とりどりの野菜を、美味しく調理されたそれらを、当たり前のように食べてきたから。


大人になってからは、ローストビーフと辛口の赤ワインを合わせたり、もつ焼きを黒ホッピーでやったり、アサリの酒蒸しを冷酒で流し込んだりして、へべれけになることが、大好きだったから。


美味しいものを食べるということは私にとって、一番当たり前にある、一番幸せなことだったから。


ルワンダにいても、心と体が喜ぶような食事をしたい。

無いなら無いなりに、なるべく美味しいものを食べたい。

そう思って、研究と言っても過言ではないほど、料理をしてきた。


小麦粉から皮を作り、塊肉からひき肉にして、己で抽出した豚脂を混ぜ込んで作る、餃子。

オイルサーディンは、ショウガやニンニクと炊き込んだご飯や、なんちゃってなめろうに化けてくれた。

凍らせた食パンを擦ってパン粉を作り、カツを揚げた。

牛乳は酢と一緒に煮て、濾してカッテージチーズにした。


それらの創作料理を、自分ひとりで食べたときも、幸せだった。

だけど私が一番幸せだったのは、私の好きな誰かが、私の料理を食べて、「美味しい!」と破顔させた時だった。


日本にいたときからそうだったけれど、私は、友だちが家に来てくれることが大好きで。

誰かが来るとなると、何日も前から、張り切って献立を考えて、買い出しをして、熟成を要するおかずは、ちょっと前から仕込んで。


と言ってしまうと、「申し訳ない」と気を遣われてしまうかもしれないけれど、私はそんな準備を心の底から楽しんでいるのである。


「わあ!」と、料理を撮影してくれるシャッター音が聞きたくって。

「美味しい!」と言う、その一言が聞きたくって。

ほっぺたをパンパンにしながら、垂れる目尻が見たくって。

何度も大皿に箸が伸びる、その光景が見たくって。


気づいたら、有難いことに我が家は、首都から最も遠い(バスで5時間以上)農村であるにもかかわらず、人気スポットとなっていた。

遊びに来てくれた日本人は、なんと総勢30名以上。

本当に本当に、感謝でいっぱい。


気づいたら、この家で暮らすのもあと1ヵ月になっていて、お寿司やアイスをいつでも食べられる日々は近い。


嬉々として帰国へのカウントダウンをしていたつもりが、あと一か月となると、途端にブレーキをかけたくなるのはなぜだろう。


今までは、日本に帰るその日を、ぐんぐんと手繰り寄せている状態だったのが、今度は、私自身が手繰り寄せられている感覚である。


料理をしながら、まだ日が沈まぬうちにキンキンのビール瓶をぶつけ合ったこと、みんなで包んだ個性あふれる餃子の肉汁に唸ったこと、たくさん買ったはずなのに足りなくて、追加の酒を買いに行くために靴を履いたときのこと。


いつでも簡単に美味しいものが食べられる日本では、もう味わえないこと。


回転寿司や、焼き鳥屋や、立ち飲み屋が、楽しみで、楽しみで、楽しみで、楽しみで、楽しみで、切ない。


ああ、なんて面倒くさい性格なんだろうね。

でも、切ないって、嬉しくもあるね。

だって、どう考えても楽しい場所に帰ることを手放しに喜べないような場所が、できたということだから。

そんな人たちに、出会えたってことだから。

そんな思い出が、できたってことだから。


どんな時も、どんな場所にいても、どんな人といても、どんな人でも、生きている限り、お腹がすく。


だから、なるべくなら、楽しく、幸せに、美味しく。


一緒にごはんを食べようよ。

おわり


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