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プーチンの哲学者達: プーチンがウクライナに侵攻するきっかけを作ったのは誰なのか?

3/30/22 アルジャジーラのオピニオンの翻訳
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ウクライナ戦争を理解するためには、ロシア大統領の地政学的なビジョンを構築するのに貢献したと思われる人物に注目することができる。

実は、驚く理由はほとんどなかった。COVID-19の何年も前から多くの科学者や研究機関が新型インフルエンザの大流行が迫っていると警告していたように、ジョン・ミアシャイマーからペペ・エスコバルまで多くの政治学者やジャーナリストが、NATOがこのままロシア国境に向かって拡張していけば、ウクライナで命がけの対立が起きるかもしれないと、長い間警告してきたのである。

とはいえ、なぜこのような事態に陥ったのかを理解することは不可欠であり、これを理解することが解決のカギになる可能性もあるからだ。では、誰が私達の理解を助けてくれるのだろうか。

名前を挙げ始める前に、最終的にこの「特別軍事作戦」の命令を下すに至った行為や出来事よりも、プーチンがウクライナに侵攻した長期的な動機の方が、我々の目的にとってはるかに重要であることを理解しなければならない。クレムリンの多くの警告にもかかわらず、NATOがロシアを包囲する努力を続けていることが、プーチンを侵攻させた直接的な引き金であるように見えるが、この侵攻の背景には、より深い哲学的、思想的動機があった。それは、特定のロシアの思想家のみが理解できる動機である。もちろん、侵略がウクライナ国民にもたらした惨状を見た後では、これらの動機はいずれもプーチンの行動を正当化することはできないが、ロシアと西欧の間のグローバルな地政学的闘争の様々な側面を理解し、その解決のためのレシピを考えるのに役立つだろう。

ウラジスラフ・スルコフは、ソ連生まれの英国人ジャーナリスト、ピーター・ポメランツェフがかつてLondon Review of Booksの記事で「プーチンのラスプーチン」と呼んだ思想家で、プーチン政治とウクライナ侵略の思想的黒幕として最も広く引用されている人物である。クレムリンの長期参与であるスルコフは、少なくとも2006年以来、クレムリンを導いてきたロシアの「主権的民主主義」の教義の主要なイデオロギストであった。スルコフの主権的民主主義は、国家に経済の多くのコントロールを与える穏やかな自由主義の権威主義的ブランドであり、退廃した西側の自由主義に代わるものとして提示されている。ウクライナは存在しない」という物語の強固な支持者であるスルコフは、哲学者というよりも政治的コンセンサスの形成者であるが、プーチンの侵攻に道を開くイデオロギーと哲学の枠組みの発展で主要な役割を果たした人物であることは間違いない。

しかし、プーチンを批判する多くの人々の目には、クレムリンの地政学的野心を導き、侵略への道を開いたのは、スルコフではなくイワン・イリインの思想であると映っている。イリインは、1954年にスイスに亡命した哲学者で、ボルシェビキ革命後にロシア国外に移住した反共白色人種の主要なイデオローグであった。イリインはボルシェビズムに反対し、スペインのフランシスコ・フランコ政権と同じようなキリスト教権威主義を唱えた。イリインは、ロシアの著名な小説家ドストエフスキーに倣って、ロシアには伝統的な独裁体制を維持し、西欧の自由主義に抵抗する義務があると考えた。

プーチンはイリインに敬意を表し、様々な形でイリインへの敬意を表している。2004年には、哲学者の遺骨をスイスからモスクワのドンスコイ修道院に移すよう指示し、死後の送還を促進させた。2014年には、ウラジーミル・ソロヴィヨフの『善の正当化』、ニコラス・ベルジャエフの『不平等の哲学』と並んで、イリインの著書『われらの側』を読むように地方知事達に勧めた。ロシアの将来について全く異なるビジョンを持っていたこの3人の著者を結びつけていたのは、「ロシアの思想」、つまりロシア人、ひいてはロシア国家の歴史的独自性、特別な使命、世界的目的を表現した一連の概念への固執であった。プーチンが長年にわたって行ってきた演説の中で、イリインの言葉が引用されているものを読めば、プーチン大統領の哲学者に対する関心が、常に「ロシアの思想(ロシアンワールド)」と結びついていたことがわかる。

スルコフもイリインも長年にわたってプーチンにさまざまな影響を与えたことは確かだが、どちらの思想家もクレムリンの現在の地政学的姿勢と野心の思想的基盤を築いたと単独で評価することはできないだろう。

では、彼らの思想の中に、プーチンの権威主義的な思想的ビジョンとロシアを歴史の舞台の中心に据える哲学とを結びつけ、ウクライナ侵攻を実現するために必要とした世界像の構築者と見なすことができる人物はいるのだろうか。

確かにいる。その名はアレクサンドル・ドゥーギン。

1962年モスクワ生まれのドゥーギンは、哲学者、政治アナリスト、戦略家であるだけでなく、超民族主義的な国家ボルシェビキ戦線とユーラシア党の主要な組織者の一人である。これらの政治組織は、ドゥーギンの「第四政治理論」のもと、新異教主義、スラブ民族主義、東方正教会の伝統を融合し、自由民主主義、マルクス主義、ファシズムの要素を統合して、神秘主義や伝統を否定する個人主義に対抗するための新しいイデオロギーとして設計されている。「私達は皆、リベラルなポストモダンに反対しているのだ」と彼は書いている。

ドゥーギンの『第四政治理論』と2009年に出版された同名の書籍は、フランスのマリーヌ・ルペンからイタリアのマッテオ・サルヴィニまで、現代のヨーロッパのポピュリスト極右の多くを刺激し、プーチンも間違いなく刺激されただろう。とはいえ、ロシア大統領を最も刺激し、ウクライナ侵攻の決断を導いたと思われるドゥーギンの著作は、その前著『地政学の基礎』である。

1997年の出版後すぐに、ソ連崩壊後のロシアが国際舞台で再び力を発揮する方法を説いたこの本は、ロシアの軍事大学では必読書となった。

この本の中でドゥーギンは、ロシアがかつての力を取り戻すためには、北米や西ヨーロッパを代表する自由主義、自由市場、民主主義といった「大西洋主義」が、かつてソ連が統治した地域であり、階層、伝統、厳格な法的構造を必要とする「ユーラシア」に対する影響力を失うようにしなければならないと主張している。

最も興味深いのは、ロシアが大西洋主義をユーラシア大陸から押し出し、世界的な影響力を取り戻すべきであるとドゥーギンが提案している点であろう。この目標を達成するために、ロシアは「米国の内部政治プロセスを不安定にし」、英国のEU離脱を促し、ウクライナの併合を開始しなければならないと主張しているのだ。

ドゥーギンの理論が文字通りプーチンを刺激して、2016年の米国大統領選挙とブレグジット国民投票に干渉したのか、あるいは2月のウクライナ侵攻を促したのか、確かめることは不可能である。とはいえ、ここ数年のロシア国家の行動は、大ロシアを建設するためのドゥーギンの哲学、思想、地政学的ビジョンに合致していることは否定しがたい。

ドゥーギンの、そしておそらくプーチンの、異なる文化の間で空間的に分割された世界という見方は、サミュエル・ハンティントンが『文明の衝突』(1996年)の中で描いたものと驚くほど似ている。違いは、アメリカの社会科学者が、イスラム文明が西洋に対する主要な挑戦者になることに賭けたことである。しかし、ドゥーギンは、ロシアがユーラシアを代表する大国として西洋文明に対抗する新しい世界秩序に賭けているのである。

NATOの拡大がモスクワのウクライナ侵攻を促したことは確かだが、『歴史の終わり』(1992年)でフランシス・フクヤマが示した予言とは逆の道をクレムリンに歩ませたのは、前述の哲学者達だったのであろう。

プーチンの哲学者達の危険な構想から何が生まれるかは、これからの数カ月でわかるだろう。しかし、ウクライナ紛争が両者をさらに過激化させる中で、西側とロシアの対立の平和的解決は日を追うごとに難しくなっている。実際、いずれの当事者も誠実な交渉に応じる気配はほとんどない。

ニューヨーク・タイムズ紙のトーマス・フリードマンが著書『The World is Flat』でグローバリズムのすばらしさを謳ったのがつい昨日のことのように思える。



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