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スイカがパレスチナ連帯のシンボルになるまで

TIME 2023年10月20日の記事の翻訳です。
記者:ARMANI SYED 写真:2023年7月23日、イスラエルのエルサレムで、パレスチナ国旗の色のスイカや「自由」という文字が描かれたプラカードを掲げるデモ参加者。国家安全保障大臣イタマール・ベン・グヴィルがパレスチナ国旗を振ることを禁止したため、抗議参加者達はこれらのプラカードを掲げている。Yahel Gazit—Middle East Images/AFP/Getty Images

強大なスイカは、手に持っていようが、芸術作品に描かれていようが、絵文字としてオンラインに投稿されようが、パレスチナ人にとって強力なシンボルである。
イスラエルで1,400人の死者を出したハマスの奇襲攻撃によって始まったイスラエルとハマスの戦争をきっかけに、この果物は再び数え切れないほどのソーシャルメディアの投稿に登場するようになった。イスラエルが地上攻勢に先立ち空爆を開始して以来、ガザでは少なくとも3,785人が死亡している。

しかし、なぜこの爽やかな果物がパレスチナ連帯の密かなシンボルとなったのだろうか?知っておくべきことがある。

パレスチナのスイカの歴史

パレスチナのシンボルとしてスイカが使われるようになったのは、決して新しいことではない。イスラエルがヨルダン川西岸地区とガザ地区を掌握し、東エルサレムを併合した1967年の6日間戦争後に初めて登場した。当時、イスラエル政府はガザとヨルダン川西岸地区において、パレスチナ国旗の公然掲揚を犯罪行為としていた。

この禁止令を回避するため、パレスチナ人はスイカを使い始めた。スイカの実を切ると、パレスチナ国旗の国旗色である赤、黒、白、緑が見えるからだ。

イスラエル政府は国旗を取り締まっただけではない。アーティストのスリマン・マンスールが2021年に『The National』紙に語ったところによると、イスラエル政府は1980年、ナビル・アナニやイッサム・バドルなど彼の作品を展示したラマラの79ギャラリーでの展覧会を閉鎖した。「彼らはパレスチナ国旗を描くことは禁じられているが、色彩も禁じられていると言った。そこでイッサムが『赤、緑、黒、白の花を描いたらどうだろう』と言うと、警官は『没収される』と怒ったように答えた。『スイカを描いても没収されますよ』」とマンスールは同誌に語った。

イスラエルは1993年、オスロ合意の一環としてパレスチナ国旗の禁止を解除した。オスロ合意はイスラエルとパレスチナ解放機構による相互承認を伴うもので、数十年にわたるイスラエルとパレスチナの紛争を解決しようとする最初の正式な合意だった。国旗は、ガザとヨルダン川西岸地区を管理するパレスチナ自治政府を代表するものとして受け入れられた。

この合意を受けて、ニューヨーク・タイムズ紙は国旗禁止期間中の代用シンボルとしてのスイカの役割にうなずいている。 「ガザ地区ではかつて若者達が、赤、黒、緑のパレスチナカラーを示すスライスしたスイカを運んだとして逮捕されたが、かつては禁止されていた旗を振りながら行列が行進する中、兵士達が無礼な態度で待機している」とタイムズ紙のジャーナリストのジョン・キーフナーは書いた。

第二次インティファーダ直後の2007年、アーティストのハレド・ホーラーニは『Subjective Atlas of Palestine(パレスチナの主観的アトラス)』という本のために『The Story of the Watermelon (スイカの物語)』を制作した。2013年、彼は1枚の版画を切り離し、『パレスチナ国旗の色』と名付け、それ以来、世界中の人々の目に触れることになった。

2021年、東エルサレムのシェイク・ジャラー地区を拠点とするパレスチナ人家族が入植者のために家を追い出されるというイスラエル裁判所の判決を受け、シンボルとしてのスイカの使用が再開された。

スイカのシンボル

1月、イスラエルのイタマール・ベン・グヴィール国家安全保障相は、パレスチナ国旗を没収する権限を警察に与えた。その後6月には、大学など国費が投入される機関での国旗掲揚を禁止する法案が採決された。(法案は予備承認を通過したが、その後政府は崩壊した)。

6月、アラブ系イスラエル人のコミュニティー組織であるザジム(Zazim)は、続く逮捕と国旗没収に抗議するキャンペーンを開始した。テルアビブ市内を走る16台のタクシーにスイカの絵が貼られ、「これはパレスチナの旗ではない」という文章が添えられた。

2023年8月12日にイスラエルのテルアビブで、パレスチナ国旗を象徴するスイカのイラストを掲げたデモ参加者。 Mustafa Alkharouf/Anadolu Agency/Getty Images

「私達の政府に対するメッセージは明確です。私達は、どんな不条理な禁止令でも回避する方法を常に見つけ、表現の自由と民主主義のために闘うことをやめない」とザジムのディレクターであるラルカ・ガネアは語った。

ザジムのキャンペーンに携わったハイファ出身のパレスチナ人、アマル・サードは、アルジャジーラに対し、彼らには明確なメッセージがあると語った: 「我々を止めたいなら、我々は別の表現方法を見つけるだろう。」


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