見出し画像

Vol.4全ての人はインタビュアーでありエディターである。

編集ライターとしての専門分野を聞かれた時に、分野の表現として間違っているなとは思いつつも、漠然とイメージしやすい形として「インタビューなどが多いですね」と答えたりしている。とはいえ、実は多くの人が職業の中で日々インタビューを行っているし、インタビューをする相手は人間ばかりではないと思う。

ということにふと気づいたのは、先日、25ansで担当している君島十和子さんの連載「キレイのお守り」で君島さんの美容の思考回路について伺った話を思い出したからだ。その記事はウェブにも抜粋転載されているので、参考までにリンクを貼っておく。
https://www.25ans.jp/beauty/skincare/g33949336/towa-20200917-vc/?slide=1

理系脳と感性脳を磨く、という切り口の美容論。お話を伺うと、君島さん自身は圧倒的に理論派。配合成分や処方などのメカニズムの話に萌えるし、自分に合った成分や配合濃度、処方を見極めてコスメを選ぶ。一方、化粧品メーカーを営む彼女はお客様にその価値を伝え、魅力的だと感じ、買っていただき、使い続けていただく役割がある。そのためには多くのお客様が求める価値観として、その製品の魅力を感性で伝えることも必要になる。上記の記事では、その鍛錬として、美しいものを多く見て触れることだと締め括っているが、ここではそれを「インタビュー」という視点で読み直してみようかと思う。

ある化粧品を前にする。君島さんは成分や処方のデータ、新成分の資料などを見て科学的なデータを集める。それからパッケージを見て、手にとって、香りをかいで、肌にのばして、五感で得られる情報を集める。この「情報収集」の作業は、寡黙な人にインタビューしているようなものではないか。想像力を駆使し、相手のもつ魅力の可能性を探す。時には、ある成分の原料が生まれたその産地の気候風土や、その土地の人々の暮らしぶりまで遡るかもしれない。あらゆる問いかけをし、なぜその成分が使われ、その処方となり、その香りやテクスチャー、パッケージが選ばれたのか、そこにある一つの「人格」、アイデンティティを探る。

その先にいるのは、お客様。インタビュー記事で言えば読者に当たる存在だ。「その人(化粧品)」は、どんな使い手のどんな時に、力になってくれるのか。陽気でアゲアゲな気分にしてくれるのか、エレガントでワンランク上の気分をもたらしてくれるのか、常に驚きをもたらすマジシャン的存在なのか、機能的でクールに自分の仕事をこなす有能なアシスタントなのか、お母さんみたいに優しく抱きしめて癒してくれる存在なのか。一つの顔しか持たない人はいないように、化粧品も見る角度によって異なる人格を持つと思う。「その化粧品が内包しているいくつかの顔」と「目の前のお客様が求めるもの」をつなぎ合わせて、情報を編み直し、その方にぴったりの、一つの人格にしてお客様に届けるというのが、接客や販売の醍醐味だったりするのではないか。

ある製品があって、お客様がいる。その間に立って、製品の魅力の核を見つけ、お客様のニーズの核を見つけ、そのふたつをつなぎ合わせる言葉をそこに置くこと。それはインタビューであり編集の作業そのものだろう。


ビジネスじゃなくてもいい。例えば歩き始めたばかりの子供を持つお母さんがいるとする。出かけなくてはいけないが子供はなかなか靴を履かない。一人で靴を履く習慣を身につけさせたいお母さんは、あの手この手で「靴を履きたい」気分を誘う。「ほら、お靴のくまちゃんと、お洋服の色おんなじだね」「わあ、お兄さんになったから一人で履けるね」「お靴履いたらかけっこしようか?よーいどんする?」「お天気いいよ、お日様見えるかな?」「そうだ、あーたんの大好きなアンパンを買いに行こうか?」。

曲解かもしれないが、これだってインタビューでありエディットだと思う。「靴」に心の声で取材をする。「僕を履くと空を見たり走ったり大好きなものを買いに行ったり、自由な世界が広がりますよ」「僕を一人で履けることは成長の証明書の意味を持ちますよ」「僕を履くことでコーディネイトが完成しますよ」。そんな「靴くん」のもつ素敵な人格を取材し、「外に行って楽しい思いをしたい」「おしゃれでかっこいいお兄ちゃんになりたい」といった「あーたん」のニーズと合致する点を見出して、言葉に落とし込んで伝える。お母さんがやっているのはそんな作業ではないか。

そう考えると、インタビューやエディットは日常の中に常にある。伝えたい大切な人がいる限り。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?