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「著者の“伝えたい思い”を形にする、温かい伴走者」 EPISODE4. 「八鳥」書籍プロデューサー 板橋裕美さん

自分が仕事を通して得た知見やメッセージを本にまとめたい、と考える人は多いが、そもそも誰にどうお願いをすればいいものやら、途方に暮れるだろう。そんな「本づくり」を、他の誰にも似ていない独自の豊富な経験をもってサポートしている人がいる。それが板橋裕美さんだ。インタビューが始まってまもなく「私の人生で、こだわりがあったことはほとんどない」と発言した板橋さんだが、その行動力と一途さは、そんじょそこらの「こだわりのある人」にも到底叶わないはずだ。

法人として、フリーランスとして、さまざまな形で自費出版本や翻訳本の出版支援を行なっている板橋さん。「流れと縁でここに流れ着いた」というが、そんなことってあるだろうか?
大学は拓殖大学の国際関係学部。「母が家で英会話教室をやっていた関係で、幼い頃から英語に親しんでいて、海外への憧れが強かったんです」という。大学1年の冬にはピースボートで東南アジア、アフリカや南米を巡った。「発展や成長がよしとされる資本主義社会で当たり前に生きてきたけれど、その真逆のような社会の人々と過ごして、すごく楽しかった。価値観の基準が覆ったここでの体験は、その後の人生にとても重要な意味をもたらしました。岐路に立ったとき、何をよしとするかという“自分の感覚”を見過ごさなくなったと思います」。国際経済協力への関心は深まり、卒業後は大学院に進んでODA(政府開発援助)のプロジェクトマネジメントを研究。しかし実社会を知らないままでは机上の空論だ、と博士課程に進む前に就職を検討していたところ、ITシステムのコンサルティング会社を経営している同級生に誘われて、アルバイト先だったその会社にそのまま就職することになった。

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(大学時代に訪れたインドネシアにて。写真前列左から2人目。ピースボートの時の写真は、カメラを盗まれてしまって残っていないという。)

誘われるままに入ったその会社が、なぜ板橋さんの出版人生のスタート地点になったのか。「最初はコンサルタントのアシスタントだけをしていたのですが、取引先の人から“ノウハウを1冊にまとめたい”という相談を受けて、自社で請け負うことになったんです」。自費出版を請け負う印刷会社の方に、出版のいろはを習いながら手探りで本作りを始めたところ、クチコミで次々に出版依頼を受けるようになり、6冊を世に送り出した。さらりと語るが、自分にも社内にも本づくりのノウハウがないなかで、それぞれの著者の初の出版物を手がけるのは、並大抵のことではなかったはずだ。

そんななか5年前、29歳の誕生日に自費出版サービスの会社「八鳥」を立ち上げた。これも強い思いがあったわけではない。「仕事柄、経営者の方々と話す機会が多く、皆さん気軽に“会社やりなよ”とおっしゃるので、そういうものかなとぼんやり思っていました。そんなある日、いつものようにそのセリフを聞いたのですが、何故かその日は“それもいいかも”と思い、ネットで調べると1ヶ月で株式会社を作れると書いてある。その日は私の29歳の誕生日のちょうど1ヶ月前だったので、誕生日を創業記念日にしようと決めました」。ほぼ直感的に創業を決めて、1ヶ月で会社を始めてしまう行動力。これこそが、周囲の経営者たちが板橋さんに起業を勧めた所以かもしれない。「当時社内でやっていた出版支援を事業内容にすることは迷わず決まりました。その時にはもう、誰かの人生やノウハウを本にすることにやりがいを感じていたので」。起業を伝えると、なんと会社は軌道に乗るまで3年間の生活費保証を申し出てくれたという。いかに板橋さんが在職中、会社に功績をもたらし、愛されていたかがわかるエピソードだ。「この時の恩は一生かけても返しきれない程だけど、自分の仕事を通して次の誰かに還元していきたいという気持ちでいます」

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(2015年、八鳥の設立パーティにて。地元の友人、大学の友人、職場の方々が集まり、盛大なパーティとなった。)

創業して2年が経ち、「ラスト1年をどう過ごせば翌年から独り立ちできるのか?」と不安になった。同様の出版サービス会社は他にもあるし、ビジネスとして抜きん出る自信がない。でも海外に目を向けたら? 「もともと海外好きで、英語も得意だったので、 “海外に発信できる”というメリットを作れればいいんじゃないかと思ったんです」。そこで海外での出版のコネクションや手法を手に入れるべく調べると、サンクチュアリ出版がNYにアメリカ現地法人「One Peace Books」を持っていることが判明。早速メールしてみたが、なしのつぶてだった。そこでまずはインターンシップを募集しているNYの出版社に応募して現地に飛び込み、再び「One Peace Books」に押しかけたところ、今度はフルコミッションで働かせてもらえることになった。なんたる行動力! ちなみに、この海外移住により、前職からの生活費保証は打ち切られた。ついに背水の陣である。

ここで1年半、アメリカ市場での翻訳自費出版サービス事業を経験し、ビザの関係で帰国。その後も現地でサポートしていた日本在住の著者30名ほどの本を引き続き作ることになった。またNYでの経験が買われ、JPIC(出版文化産業振興財団)の一員として、外務省のJIIA(日本国際問題研究所)から依頼を受けた書籍や、その年に出版された本の中から内閣府が選出した15冊を翻訳出版するという事業に携わった。担当した本の中にはアフガニスタンで30年ほど医師として活躍し、2019年末に逝去した中村哲さんの本もあった。「この本に携わることができたこの仕事は、貴重な機会でした。でも私は、規模は小さくてもいいから、予算もスピードももっと自由に、一人ひとりに合った本作りがしたい。その方がワクワクするんだと改めて気づいたんです」。そう考え、ここでの仕事は1年で区切りをつけ、今年12月にオフィスも自宅とほど近い逗子のシェアオフィスに移して、改めて自身の立ち上げた「八鳥」に力を入れることにした。

「その人に合った、その人の作りたい本を作る」というコンセプトの八鳥は今、年に1冊のペースでていねいに出版を続けている。「スタートはコンサルタントのビジネス書でしたが、今依頼があるのはビジュアルにこだわった本が多いですね。シンガーソングライター、舞台女優、画家、ヨガインストラクター、着物の仕立て屋…依頼者の職業はさまざま。だから予算内でできる限り、見た目と素材にこだわっています」。印刷する紙も特殊なものになり、またロットも少ないので、普通の印刷屋さんには頼めない。「最初の頃は手製本したこともあります。手製本の学校に通って、紙屋さんで和紙を選んで。キンコーズさんとも顔見知りになっていろいろ教えてもらいましたし、徐々に親しい印刷所もできました。一歩一歩です」。制作が手作りなら、流通販売も全て手売りだ。「相性の良さそうな独立系の本屋さんを著者と一緒に回って、気に入ってもらえば100冊買ってくださるところもあります」。

自身の肩書きは何かと聞かれると、返答に困るという。「八鳥の仕事は、カウンセラーにも近いです。初回来てくださってお話を聞いて、“こうしてはどうですか”などと提案するだけのことも多いですし、時にはそれは出版でない別の方法がいいかもしれないとお伝えすることもあります。それが何か自分の次につながればいいな、と」。編集者、プロデューサー、ディレクター…どの肩書きも、ピンとこない。「ただ私にできることは、何かを発信したいという人に対して、そのために何が必要だとか、予算に応じてどのくらいのクオリティが叶うかという提案ができるということ。特に翻訳本の場合、それ自体まだ専門にやっている方が少ないので、役に立てるかなと思っています」

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(最近手がけた本を、編集者が撮ってくれた。)

多くの本を世に送り届けてきた中で、出版への思いも変わってきたという。「コンサル会社でビジネス書の編集からスタートした経緯もあり、当初は著者が喜んでくれるものを作ることに邁進していました。著者のやりたいことを紙に着地させることがゴール。そこから読者目線の本作りを意識し始めたのはついこの2年ほどです。PRの重要性にも気づき、今更ですが通信社にリリースを送ったり、翻訳本なら原書の版元に献本したりといったことを始めました」。中村哲さんの著書という “故人の本”を手がけたことも、その考えを後押ししたという。「喜ばせたい著者はもういませんから。著者が生きていたという証、伝えたい思いをこの本で代弁し、多くの人に届けたいという、読み手を強く意識した一冊です」

「これから力を入れたいのは、日本で情報発信したいという海外の方や、英語で発信したい日本人の方のお手伝い。英語を使ったコミュニケーションの橋渡し役になりたいと思います。“文化や価値観には優劣がなくて、世界は多様性があるから面白い”という体験を一人でも多くの人に伝えていきたいです」。コロナがなければ今頃は、オーストラリアに住んでいる予定だったという。「海外の出版社で経験を積み、日本に戻す計画でしたが、またいつか挑戦したいと思います。自分のやってきたやり方以外も学びたいし、オーストラリアには、普通に住んでみたいので(笑)」。数年前、NYにぴょんと飛んでいったように、きっと近い将来、オーストラリアで新しい縁を掴んでくるのだろう。

社名は大学時代、ピースボートに乗っていた時に聞いた「ハチドリのひとしずく」という本に由来する。南アメリカの先住民の物語で、森が燃え盛るなか、一匹のハチドリだけはくちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の中に落としていたという。「私は、私にできることをしているだけ」と言って。「私もあんなふうに、誰かが誰かに受け取ってほしい思いをただ届ける存在でありたい。私にとって出版というのは、そのエッセンスを閉じ込めて届けることができる仕事です」。“縁と流れ”でここまできたというが、常に自分がその時々で、自分の感性が動く方向に忠実に反応して、最速で動いてきた彼女。彼女の運ぶ“ひとしずく”は、だからいつも新鮮で、確かな形を描いていく。

※参考『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』(辻信一監修/光文社刊)

PROFILE
Yumi Itabashi●1986年宮城県仙台市生まれ、茨城県日立市育ち。拓殖大学国際開発学部大学院修士課程修了後、行政向けITシステムコンサルティング会社に就職。ここでコンサルタントの自費出版本の編集に携わり、6冊を世に送る。2015年株式会社八鳥を設立し、代表取締役社長に。ここで自費出版本の企画制作支援を行いつつ、2017年よりNYへ。日系の出版社でインターンシップをしつつ、サンクチュアリ出版の米国法人関連会社One Peace books で英語での自費出版サービスに携わる。2019年帰国。並行してJPIC(出版文化産業振興財団)の「Japan Library」の翻訳編集出版事業にも携わる。http://hatidori.jp/

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