音読で、子供たちが“自分の輝く場所”を見つける機会を作りたいーー。EPISODE5. ナレーター・「ソフィアの森朗読塾」主宰 斉藤ゆき子さん
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音読で、子供たちが“自分の輝く場所”を見つける機会を作りたいーー。EPISODE5. ナレーター・「ソフィアの森朗読塾」主宰 斉藤ゆき子さん

前回、EPISODE3のインタビューで「これから音読を広めていきたい」と語っていた、朗読サロン「ソフィアの森」主宰の斉藤ゆき子さん。今、この目標が実現しつつあるという。2021年の春には、「音読で社会をよくする」ための社会貢献活動として、一般社団法人を設立し、音読指導者を全国に増やし、災害の被災地などを中心に朗読公演を行なっていくのだという。このプロジェクトの根底には、「一人でも多くの子供たちに、コンプレックスをなくし、自分が輝ける場所を見つけてほしい」という思いがある。そんな夢を前に、「どうしても言葉にしておきたいことがある」と、今まで胸のうちに収めてきた過去の記憶を語ってくれた。


「世の中には、努力して変えられることと、努力ではどうにもならないことがあります。例えば性別、人種、国籍、出生地、先進国か途上国か、裕福か貧乏か。親だって選べない。そんなもの言い訳にしたくないと思っていても、私は長らくそのことに苦しめられてきました」。そう語り始めた斉藤さん。最初にそれを味わったのは小学校4年生の時だった。「9歳の時、最愛の父が病死しました。それはとても悲しいことだったのですが、ショッキングなことはそれだけではありませんでした。クラスの男の子に“テテ(父)なし子”といじめられたんです。人間は誰だって死ぬのに、私の父が他の人より少し早く死んだからと言って、そんな嘲りの対象にされるなんて、どう考えても理不尽だと感じました」

その体験は斉藤さんにとって、人の内面について考える大きな契機になったという。「人の本質を知るべく、哲学書や倫理書を読み漁りました。と同時に、“テテなし子”であることは変わらないけれど、それ以外の“努力すれば変えられるもの”は全部変えようと心に誓いました」。ぽちゃぽちゃしていてかけっこが遅いことがコンプレックスだったけれど、運動部に入ることで体型もすっきりし、かけっこも上位に食い込むまでになった。苦手だった勉強も、教員志望の姉に特訓をしてもらい、飛躍的に成績を伸ばした。

それでも、変えられないものは他にもあった。故郷・福島の南相馬も、斉藤さんにとっては「自分では変えられない宿命」だ。小さい町に住む者は村に住む者を見下し、大都市に住む者は小さい町に住む者を差別する。仙台では福島が差別され、東京では地方出身であることを笑われた。「この差別は、アナウンサーを目指していた私にとって、致命的な問題でした。イントネーションやアクセントが少しずつ違う。それでも全国の高校朗読コンクールで2位になったこともあり、不可能ではないと期待を抱いていました。ところがある日、横浜に住む叔父に“田舎者がアナウンサーになんかなれるものか”と一蹴されたんです」。夢を土足で踏みにじられた気がした。

偶然にも、“テテなし子”と嘲笑った少年も、 “田舎者には無理だ”と呪いの言葉を投げつけた叔父も、実は若くして亡くなっている。「いつか見返してやりたいと思っていたのに、そのふたりはもういない。それでも彼らが放った言葉は刃となり今も突き刺さったまま、癒せぬ傷として人の心に棲み続けるんです。言葉に宿る力の大きさと恐ろしさを感じます」

見事キャスター、ナレーターとして事務所に入ったのだが、次に訪れたのは “骨格”の問題。「オーディションを受けても丸顔をけなされ、小顔でないと採用されないという現実を知りました。これも努力で変えられるものではありません。私のあまりに悩み苦しむ姿に、母は“そんなに夢を叶えたいなら、顎を削っていいわよ”とさえ言ってくれましたが、この骨格が、私を終始苦しめました」。そしてやはり続くアクセントの問題。当時のナレーションの世界では、その場で何十枚もの原稿を渡され、数分後には本番で読まなくてはならない。原稿を受け取るとすぐさまトイレに駆け込み、半泣きになりながらアクセント辞典をめくったこともあったという。


そんなある日、転機が訪れた。とある司会の方が急遽出演できなくなり、おハチが回ってきたのだ。それはクラシックのイベントの仕事だった。「私は長年ピアノやエレクトーンを習っていて、クラシックに明るかったんです。モーツァルトのこともチャイコフスキーのことも豊かに説明できる。水を得た魚のようになりました。司会って、アクセントよりも骨格よりも、人を楽しませることやわかりやすく伝えることの方が大事なんです」。それまで意識していなかった司会業の意義を見つけた。「それから猛烈に研究を始めました。例えば子供の発表会なら、お父さん、母さん、おじいちゃん、おばあちゃんは自分の子の演奏だけを聴きに来ているわけです。それに対して、私がどんな言葉で表現することで、舞台でその子を輝かせられるかをひたすら考えました。そうするうち、私の生きる道はここにあったということに気づいたんです」。司会業として引っ張りだこになり、つい先日まで3万円ほどしかなかった月収も、一気に100万円ほどに上がった。これが、現在の斉藤さんの活躍のスタート地点となった。

欠点だらけ、マイナスだらけで、この仕事は向いていないのではないかとくじけかけていた斉藤さんは、ほんの小さなきっかけで、自分の生きる道を見出すことができた。「一見不可能に見えることでも、ずっと継続していれば、道は見出せると知ったんです。その道は、当初思い描いていた道とは違う景色に見えるかもしれない。それでも必ず道は開けるし、その道は振り返ってみると、巡り巡って当初の思いとどこかでつながっているのではないかと思うのです」


今、“音読”を全国の学校に広めようと考えている斉藤さん。その背景には「何も自信をもてなかった子たちに、音読を通して自分の好きなもの、自信のもてる何かを見つけてほしい」という願いがある。「今の学校教育を見ていると、子供たちは褒められていないなと感じます。あと一歩、彼らの小さな個性を見過ごさず、“すごいね”“知らなかった、教えて?”などと声をかけることで、その子の人生がガラリと変わるような自信の種に出会うかもしれない。あるいは褒められたことで、人を褒めることのできる子に育ち、温かい連鎖を生むかもしれない。音読を通して、そんな体験を多くの子供たちに届けたいんです」


PROFILE
Yukiko Saito●尚絅女学院短期大学英文科卒業後、テレビ局入社。退職後は声優事務所を経て、フリーアナウンサーに。司会、リポーター、キャスターなど声にまつわるあらゆる仕事を経験。2000年、ナレーター事務所に所属し現在に至る。CM、報道番組のナレーターのほか、小学校、大学の朗読講師、生涯学習の講師として全国各地で活動。並行して2012年に立ち上げた朗読教室が評判を呼び、ワークショップは常にキャンセル待ちが出るほどの人気に。また2017年NHK総合テレビドラマ「この声をきみに」のモデル教室となり、朗読指導も務めた。https://www.sofianomori.com

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アシェット婦人画報社(現・ハースト婦人画報社)などを経てフリー。ELLE JAPON、25ans、Marisol、with、Richesseなどで連載担当中。聞く・捉える・書く・伝える、にまつわることをシェアしていきたいと思います。http://yurico.info/