先月は何本のインタビューを担当しただろう。今ざっと数えてみたら、おそらく11本のインタビューと4本の対談を行ったようだ。インタビュー時、必ず録音を録っているが、私は基本的にテープ起こしをしない。テープ起こしの提出を求められる場合がごく稀にあるが、自分のためにテープ起こしをすることはまずない。

録音は、どちらかというと万が一の時のためのバックアップ。何らかの事情で、取材メモが読解不能になったり、私が自分で原稿を書けない状況になったとき。自分が対談や座談会の登壇者で取材メモを取れないとき。インタビュイーに校正を送ると「私はこんなこと言っていない、嘘八百だ」と言われたときなど。とにかくそんなときのための予備だ。

取材後、専門用語や固有名詞、数字を録音で確認することもあるし、録音を流し聞いて空気感を確認したり、その人らしさの特徴となる、語尾の口癖や、男性の「俺」「僕」「私」「自分」など一人称の使い方を確認することもある。セリフ内の方言が合っているかを確認することもある(私が香川出身で、関西弁をトレースしたつもりが讃岐弁になってしまうことがままある)が、それは部分的なもの。

なぜ録音をテキストに落とさないのか。今日はそのことをていねいにひもといてみようと思う。私がテープ起こしをしないのは、面倒だとか時間短縮のためではない。原稿の邪魔になるからだ。


インタビューを受けているとき、人は言葉を「インタビュアーに」話している。その背後に読者がいるとしても、数万人の読者にスピーチするように厳密に言葉を選んで話す人は滅多にいない。政治家の方などで、そんなふうに脇の締まった話し方をする人も稀にいるが、それはインタビューとしてはどちらかというと失敗だ。言葉のキャッチボールから生まれる化学変化の要素がなく、それならもともと原稿をいただいた方がお互い効率的だろう。

そんなわけで、多くの場合インタビュイーが「話したこと」は、必ずしも「言いたかったこと」「伝えたかったこと」ばかりではない。「ちょっと違うかも」と思いながらも沈黙を避けて言葉を重ねる人もいるし、「この中から読者に合う言葉を持っていって!」といわんばかりにバラエティ豊かに言い換えてくださる方もいる。想定外の質問に対して、とっさに思ってもいないことを口走ってしまう人もいる。話している途中で論理矛盾に気づいて別の話を始める人もいる。かっこいい言葉を言わなくてはと気負ってしまう人もいるし、サービス精神からあえて過激な言い回しを試みる人もいる。そしてそれらは、修正の効かない一発勝負だ。完璧なわけがない。文章を書くことを生業にしている私たちだって一度書いてから表現を変えたり前後を入れ替えたり、あれやこれやしてようやく言いたかったことに何とか近づけているのだ(この文章だってそうだ)。

テープ起こしをすると、その思いの濃淡がかき消され、「言葉にしたこと」が全部フラットな事実になってしまう。そのテキストの列は、私が現場で感じた、「その人が本当に伝えたかった思い」を隠す。

私が取材でしているのは、その人の「思いの核」を掴む作業だ。そして原稿書きでしているのは、取材で見つけたその人の核を、文字に変換したうえで読み手に一番伝わる形にする作業だ。

省く。入れ替える。補足する。たまたま私に似た体験や知識があって理解できても、多くの読み手にとってそうでない可能性がある言葉なら、ちょっとまどろっこしくなっても表現を開くこともある。もしあのとき、現場でこの言い回しが思い浮かんでいたとしたら、彼女/彼はきっとこの言い回しを選んでいたはず、と思える表現が浮かべば、その人が使っていない言葉でも私はそれを選ぶ。インタビュー時と発売時で季節や社会情勢が変わるものは、リアルタイムで語っていたならこう言い回していたはずという表現に整える(コロナ禍の今は頻繁に起きる)。またインタビュー時に「表情や声色とセットで表現したこと」は原稿という「文字」に変換したとき、同じ言葉でも伝わる意味が変わるから、そのギャップを埋めるための「違う言葉」に変える必要があることもある。単語ひとつ取っても、例えば「侃侃諤諤」という言葉は、耳で聞く分には瞬時にイメージできても、テキストでみると漢字だろうが平仮名だろうが、理解のために一瞬読む流れが止まってしまう人が多いだろう。こんなふうに発音された言葉と文字では、そもそも1対1で呼応していないのだ。

そんなことをわかっていても、テープを起こしてしまうと、そのテープ起こし原稿に引きずられてしまう。しかも私の目と耳は現場を体験していて、その時の記憶の声と表情が脳内で意味を補ってしまうから、その表現でも読み手に伝わると思い込んでしまう。だから危険だ。

もちろん、その人の言い回しがその人の伝えたかったメッセージを的確に表現していて、かつ文字で読んでも読み手に届くと確信できるものならそれは最高で、そのままその表現をトレースするが、いつもそうではない。私がしているのは報道でもなく、取り調べの調書でもないので、一語一句の正確性は問われない。しかも原稿は話し手に校正確認をとっているので、ご本人が違和感を感じれば、元の表現に戻す手もとれるという保険もある。

サン・テグジュペリの「星の王子さま」のなかの、好きな一節がある。

「あの花のいうことなんか、きいてはいけなかったんだよ。あの花のいうことなんか、とりあげずに、することで品定めしなけりゃあ、いけなかったんだ。」「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」

事実は、真実ではない。私たちの口は、嘘をつく。だから、鵜呑みにしちゃいけない。テープ起こしに騙されてはいけない。一番伝えたかったことを掴むために、そして読み手に一番伝えるべきことを届けるために、私はテープ起こしをしない。

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