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私は、予定通りガンになりました

「私がガンになるのは計画的なの」と話すEmiko-san。
彼女のガンへの捉え方は、とてもユニークだ。

彼女のガンは、卵巣ガン、一度手術のためにお腹を開けたが、あまりの進行状況で、手術できず、何もせずお腹を閉じたのが初めての手術、4ヶ月ほど前のこと。
そこから予定した4回の抗がん剤だったが、結果3回をこなし、もうすぐ手術を迎える。

今年に入っての体の異変は、顔に吹き出物が30個ぐらいできたことが始まり、そこから皮膚科、原因不明の疲れが体に残るようになっていた。
健康診断は、子育てに追われて定期的に受けていないことを思い出した。

地元のクリニックを受診したものの、特に違和感などの質問はできず、卵巣が腫れているような気がしたので、地元の総合病院へ行くことにした。
そこで先生は、9割型良性という予想の診断、心配するようなものではないと言い切っていた。
MRIの検査結果で、先生の顔が変わった、すぐガン専門の病院へ行ってくださいと…

彼女は、そんな時でも、がん専門病院へ行き、主治医の先生に会った時、「私、これ治るな」と直感したという、そして、彼女はこうも語った。

病院で治すということは、病院に自分の体を任せるということになるので怖いと思ったという。
感覚的には、自分がオーナーの会社を、別のオーナー(要は主治医に)会社を譲渡するイメージだと…
他力本願するのではなく、自分で運営したい感覚なのだと。
要は働いている細胞は自分の従業員、ガンになった細胞も従業員、そう、従業員を働かせすぎて、ガンになってしまったのかも、自分がしっかり従業員をケアしなくてはといけない。
そう彼女はガンになってから、がん細胞と向き合うことを始めた、その結果、今は体との対話を欠かさない。
日光浴をして、余剰エネルギーを残さないようにするという、必要なものを食べて、その日中に消費をする。余剰在庫は睡眠も食べ物も残さない。
そんな彼女の病気への哲学もそうだが、人生の哲学も、とても興味深い。

ユニークな人生だろうという予想をしていたが、それを遥かに超える彼女の話に吸い込まれていた。

社会に出たのが、16歳の頃、彼女のアパレルのスタートはここから始まったのだ。
アメリカ村で、アパレルのお店で、アパレルのノウハウを習った。バイト先で出会った女の子とネタを作ってをお客さんの前でしていて、吉本に入ろうか悩んだ。結局、進路が気になる18歳頃、お笑いコンビは自然に解消となってしまう…そのころは女芸人という立ち位置は今のようになかったので、続ける術がなかったというのが正しい答えなのかもしれない。
同時に高校時代、彼女は英語にも興味を持つ、イギリスに住む女の子と文通をして、18歳でイギリスに住む彼女に会いに行く、彼女はブライトンという場所に住んでいて、イギリス首都ロンドンで初対面を果たした。

イギリス人の友人とロンドンで訪れたアパレルショップに衝撃を受けた。
接客仕方はもちろん、お客さんもスタッフも自由で、日本のショップのように決まったルールい従っての接客ではない。お客さんも自分の本当に好きなもの、長く使えるいいものを求めて買い物をしている。流行りやトレンドを求めるだけではなく、本当に自分に合うもの、好きなもの探す。自由で本当に好きなものを巡り合うというスタイルに衝撃を受け、彼女はイギリスで好きな洋服の仕入れをし、日本で販売することを決意、思うがままに動いた結果、日本でお店を開いた。日本とイギリスを行き来する生活が始まった、2、3ヶ月に一度イギリスへ行き、英語もままならない、どうやって仕入れればいいのかわからない。
とりあえず、おしゃれな人に声をかけて、行きつけのお店を聞いたり、声をかけた人のクローゼットから仕入れることもしていた、行き当たりばったりなんてものではなく、本当に自由に、自分の本能のままに大好きな洋服を探し回ったのだ。そんな生活を繰り返す中、さらに本物を目指すため、パリの展示会に参加を始めた、そこで初めてinvoiceの発行をしたのと、笑いながら、当時の破天荒ぶりを楽しそうに話をしてくれた彼女のバイタリティに圧倒された。

3年ほどヨーロッパでアパレルとは、ファッションとはと追求する中、日本の友人が就活をする時期も重なり、日本の有名ブランドへ就職をし、マナーやブティックでの接客業を学んだ、さらにもっと一流のサービスを学びたいと、ホテルのVIPラウンジ接客業も経験、彼女は積極的にアパレル・接客業のプロとしてのスキルを磨き続けた。

そして、2回目の独立を日本で果たした。
2回目はアートとコラボして、地域貢献をするということをコンセプトに様々なユニークなイベントを行っている中、新しいステージ、新しい場所を求め、27歳で新天地へと場所を変える。そこで旦那さんと巡り合い、結婚・出産と人生が別のステージに動いたのだった。

その時も、彼女の成長は止まらない、出産後は、ヨガ・着物・ドライフラワーと新しいものと巡り合い、自分のライフワークに取り入れた、子育てしながらも彼女の好きなものへの気持ちは止まらない。
そんな中夫婦は、自然を求めて、息子の成長にもいい環境をと、田舎ぐらしも経験した、毎日長靴をはいて、畑を耕す日々を過ごしていた、そんな中体調不良から卵巣ガンが見つかる。

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そんな彼女が、ガンになって思ったこと、
ガンのために生きるんじゃなくて、自分のために生きたいと。
幸せで楽しくて鮮やかな自分の世界に生きたいと、
自分の人生の大切さ、生きていることが当たり前じゃないと。

彼女の話を聞いていると、ガンになる前には、もう人生の哲学はもう出来上がっていて、本当に自分のために、自分の好きなもののために、生きてきたと感じるのだが、彼女はガンになったからこそ、改めて思ったことだという。

彼女は、ガンになったことをこう表現している。
ガンになることは、元々のプランで、生まれる前から、ガンになることをチョイスしていて、それが治るということもチョイスしている、そう今は全て予定通りに時間が進んでいると。

そんな彼女だが、ガンの宣告を受け、2日間泣き続けた。
そして自分の声ではない声で、「やっと、ここまできたか」と…正体は今も不明である。

手術は予定通りもうすぐ行われるが、何も変わらず、彼女は、自分の好きなことの事業計画書作成に時間を割いている。
これからの活動したいことは、彼女の好きな世界観を表現するために、様々なつながりを活性化して、それがとてもサステナブルであるような仕組み化できればと思っている。彼女の世界観を表現してもらえそうな人に彼女が自ら声をかけ、協力をお願いして、実現に向けて働きかけている。彼女が好きな世界観を表現をしたいと、既に彼女は取り掛かっている、病気のスケジュールに合わせてではない、彼女は彼女の時間軸で生きているのだ。彼女にとって手術も入院も、特別なものではない。
彼女の今まで培ってきた哲学とセンス、そこにガンになって気づけたものがプラスアルファーとなり、彼女の新しい世界観の幕開けは近い。

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今回は、自分の生き方への哲学がしっかりとあるemiko-sanのお話でした。
いつも素敵なターバン姿のemiko-sanで、おしゃれな人という印象でしたが、話を聞いて、とても面白くて、芸人い興味があったというのも納得、話のテンポや表現の仕方も本当にセンスが良かったです。彼女の哲学は、ガンのことも、人生のことも、どれもしっかりあって、本当に自分に向き合えている人なんだろうなと思いました。私も自分の世界観を大事にしながら、ガンと向き合って行きたいとemiko-sanの話を聞いて、強く思いました。まずは彼女の手術が無事終わりよう、私はここからエールを送りたい。

最後まで、読んで頂き、ありがとうございました。


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