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すべては、わが息子のために…

「授乳期乳がん」、
この言葉はみゅうさんから、何度も出てきた言葉だ。

私の治療は攻めているの、放射線治療までの1カ月治療が一時的にお休みの時に不安でしょうがなかったと、再発が見つかったあとからは、彼女は攻めの治療を求めた。

そんなに頑張らなくてもいいんだよ、もう少しブレーキかけていいんだよと言われて、感情的になり大泣きしても、彼女は攻めることを選んだ。彼女はまだ基礎体力がある若いうちに全ての可能性がある治療をやりたいという強い気持ちの話をしてくれた。

それには、全てわが息子への思いがある。

彼女の結婚は22歳、10個年上のご主人がいる。彼女は長年不妊治療をしていた、なかなか子供ができず、そして適齢期にもなれば、周りも結婚出産のニュースが続く。彼女も友人出産ニュースに続きたいと心から願っていた。不妊治療は抗がん剤治療より辛かったと語る彼女、仲のいい友人の赤ちゃんの誕生を喜べなくなるほど、彼女のメンタルは追い込まれていたと当時の不妊治療を振り返った。

33歳、彼女は自然に子供を授かることができた。本当に人生最高の喜びの日となった。自分の息子にはずっと母乳をあげて子育てしたいと、母乳への思いは人一番強く、できる限り長く授乳したいと思っていた。母乳を飲んでいる息子の表情を見て、彼女はやっと出会うことができた我が息子との時間に幸せを感じていた。

2020年5月ある朝息子に母乳をあげていると、ゴリと大きい異物を胸の中で感じた。あまりにも大きい異物を感じたので、その日にネットで調べ、市内のブレストクリニックにて、診断を受けた。検診初日から触診、マンモ、エコー、MRIと検査を次々と行われた。病院からは、その午後一に細胞診しましょうと、あまりにも急な話と病院から打診される検診のスピード感に彼女はついていけず、夕方に細胞診を変更してもらったほどであった。
たまたま彼女がブレストセンターで出会った先生が、「授乳期乳がん」に詳しい先生だったので、特有の進行の早さなど気にかけてくれたおかげで、彼女は最速で大きな病院の検診を受けることができた。自身の違和感から1カ月程で、抗がん剤治療開始ができた。このスピード検診と診断について、彼女自身はとても運が良かったと感じている。

抗がん剤治療の副作用の脱毛は、彼女の中ではあまり気になることではなかった。地元の友達、ママ友、全ての友人に自分がガンのことを何も隠さずに話をした。抗がん剤治療の副作用どころではなかったというのが正直な話で、1歳ちょっとの一番手がかかる息子との毎日では、自分が動かないということでは成立しない。息子のために、毎日動き回った。一日中寝込む日はほぼなかったと、彼女の抗がん剤治療の日々は続いた。
初めての抗がん剤治療を行った日から2週間目、好中球が下がり、高熱40度も出て、入院しなくてはならなくなった。ちょうど3週目に入ると、脱毛も始まった…。
ご主人は、子育てを積極的にしてくれた、コロナということもあり、在宅ワークなどをしてくれたおかげで、入院、抗がん剤治療も家族一緒に乗り越えることができたと、ご主人へ感謝の気持ちが伝わってきた。
周りの人にカミングアウトすることで、近所の方が乳がん治療した人だったりと、乳がんを通じて多くの出会いがあり、その出会いからたくさんの方に支えてもらうことができたのと教えてくれた彼女、これはみゅうさんの持っている人徳だと、彼女の話を聞いて強く感じた。

乳がんの抗がん剤治療、入院、手術、再建と彼女の乳がんは確実に治療が進んでいた。家族水入らずで温泉旅行もできるぐらいになってきた、彼女の快気祝いとして行った旅行先で彼女は自分の体の違和感に気づいたのだ。術後の脇の奥にしこりを自らの手で確認をした。そういえば自分の行きつけのクリニックの先生の触診は首筋と胸のみだけだったのを思い出し、彼女はすぐクリニックへ向かった。

実はその時、彼女の治療もひと段落したので、息子の手術を予定していた。まさかこのタイミングでと思いながらも自分の体も心配になり、検診を進めた。
息子の手術も無事成功し、早く息子に会いたいと彼女は病院へ向かった。息子に会う直前に彼女の携帯が鳴った、クリニックからのガンの再発の知らせだった。

この時ばかりは、みゅうさんもいい加減にしてよと、なんでこんなに前向きに治療しているのにと自分の感情のコントロールがきかなくなったと、手術を頑張った息子の体を抱きしめているのに、自分の再発のことで頭がいっぱいになり、涙を流していたことを話してくれた。

脇の下のしこりは2cm、進行は早い、もしかするとセンチネルリンパ節に小さくガンがあったのかもしれないという診断結果だった。彼女は息子のために、またガンの治療をすぐ始めた。

「彼女の攻める治療を続ける意味」が、彼女の言葉を通して、伝わってきた。それは、愛する息子のために、私は絶対に生きなくてはいけないという強い信念である。

彼女は息子のため、治らなくてはいけないのだと…
最低でも20歳までは絶対に死ねないと、彼女の声はとても明るい、どんな治療をしてもどんなことがあっても絶対に治すと、みゅうさんは話をしてくれた。

愛とは、本当に素敵だなと、
愛という力は、無敵だなと、
そう感じずにはいられないみゅうさんの話でした。

みゅうちゃんは、本当に明るくて、優しい人だなというのがインタビューで伝わってきました。誰かのために、絶対に治さなくちゃいけないという強い気持ちがあれば、絶対に治るだろうなと、彼女の話を聞いて思いました。ガン発覚から再発まで経験をしているのに、常に明るい彼女は無理をしているのかなと感じていたが、そんなことは全くなかった。彼女はできる治療全てしたいと、本当に強い気持ちでガンと向き合っていて、その姿にワタシは感動しました。
そんな彼女はいつも明るく面白く周りへ振る舞い、本当に素敵な彼女だなと思いました。本当にいつも彼女のインスタから元気もらってます。これからの彼女の発信を楽しみにしたいです。

最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。


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