見出し画像

私は友人が淹れてくれたお茶みたいな優しさを持っている人になりたい[2023.05]

金曜日

友人の家に宿泊。寝る前に今日あったことを振り返る。寝る前の会話って、身体的には近いけれど、目線は天井だからか、本音で話せることが多い気がする。

たくさんの話の中で鮮明に覚えているのは、実は、お互いに、あなたの存在に才能に“嫉妬”しているよ、ということを共有したこと。
私は彼女の作品が褒められたのを見て、彼女の才能に嫉妬というか、自分と比較して、落ち込んでいた。彼女は本当に才能があるし、優しいし大好きで、認められていてもちろん誇らしくて「私の友達、最高でしょ?」という気持ちなのに、全然嫉妬していないかと言われたら嘘になる。そんな話をしたら、友達は、私と話していたほうが楽しいと思う人が多いと思って嫉妬することがあるよと、言ってくれる。

2人で「そっかー」って言い合う。「そんなことないよ」と思うけれど、「気持ち分かるよ」とも思う「そっかー」だったね。でもその素直な気持ちを共有できて、ふふふとなる。あー、うれしい瞬間だと思ってねむる。

吉本ばななが友達の悩みついてこたえる』という本で、妬んだ段階でそもそも仲がいい友達じゃないっていってあった。本当にそうだろうか。嫉妬はやっぱりして、でもそれを素直に伝え合えるのも友情なんじゃないのと大好きな吉本ばななに抗いたいこの頃。と、思って読み返したら、「友だち」のニュアンスがちょっと違ったかも。やっぱり吉本ばななはいいこと言っているわ。あたりまえか。

水曜日

友人がうんと優しかった。
元気がない時にお茶を淹れてくれる。あったかいお茶で体が緩む。うんと優しいっていい言葉。

優しい人になりたい。人に優しくされるといつか必ず自分もこの人が困ったら、もはや困ってなくても、もうこの人じゃなくっても、誰かに優しくありたいと願う。常には無理かもしれないけれど、人に優しくなれる余裕を持って生きていたい。
優しいもいろんな形がある。身近な人が落ち込んでいたら一緒に泣いたり、見届けてあげたり、笑わせてあげたり、思いっきり抱きしめてあげたり、背中を押してあげたり、喝を入れたり、とかね。私は友人が淹れてくれたお茶みたいな優しさを持っている人になりたい。

そのうんと優しい友人がおすすめしていた上坂あゆ美さんの『老人ホームで死ぬほどモテたい』を読む。

短歌は、正直、昔は全然分からなかった。今もわかっているかと言われると、わかっていないのかもしれない。でも、最近はわからないものを受け入れられるようになり(全然葛藤しているけれど)その中で好きな短歌を見つけられるようになった。日常の延長なんだけど汲める短歌が好き。短歌の本は好きな短歌にポストイットをつけて読みたくなる。

なかでもとくに好きな短歌たちを挙げてみる。
◯感情は自由 ほんとうにつらいときはおよげたいやきくんで泣いている

◯言わなければよかったことが多すぎてシャンプーノズルかすかすと押す

◯アマゾンで激安だったツナ缶のマグロは海を覚えているかな

◯戻る?って関西弁で言うからさ踊る?って聞こえたんだ 踊ろ!

◯たべかけのアイスばかりの冷凍庫 ただしくなくてもたのしくいたいよ


日曜日

軽くぶつかった人に舌打ちをされた。割と人とぶつかってしまうので申し訳ない気持ちはある。けれど、そんなに悪いことしていないのに、他人の棘に触れてしょんぼり。その棘は小さいけれど私に確実に刺さり、それは伝染して、電車で隣の人とかに、もしかしたら私も棘を打つのかもしれない。この人も余裕なかったんだよと自分をなだめる。棘の連鎖を止めたい。できたら、どんな人にも丁寧に向き合って、棘は打たずにいたい。 

棘が大きくなると傷を生む。傷をはじめて付けた人は誰なんだろう。傷つけられた傷が傷を生む気がする。傷の循環は切ないな。けれど、誰も傷つけないことは不可能だから、気を払いながらも傷つく準備をして自分もやっぱり傷つけて生きるしかないのだとも思う。生まれた時は誰もが傷がついていない状態で生まれてくるのにって誰かが言っていた。

アルテイシアさんの『自分も傷つきたくないけど、誰も傷つけなくないあなたへ』という本を思い出す。だれかをふと傷つけていたら、と思うととても怖い。けれどたぶん傷をつけてしまう。どうしても傷をつけてしまうから、それを受け入れつつ、それが怖いことに、構造的なことに意識的になりたい。


月曜日

友人の家に向かう。初めて行くので、友人から送られてくる住所をGoogle Mapにラベル付ける。この作業、すき。友人の家のラベルがたくさんあるGoogle Mapは世界で唯一無二な気がしてくる。

初めて家に訪問するとつい本棚を見てしまう。この人はこんな本を読むのね、と。本を読まない人も、もちろん居てもいいと思うんだけど、できたら本を読んでいる人だとより仲良くなれる気がする。でも、本を読まない人とも仲良くなれると思うし、なりたいと願っている。
友人の本棚は欲しかった本、読んだ本、持っている本が散らばっていて、本の話を一通りする。千葉雅也さんの『現代思想入門』があって、2022年に読んだ本のなかでもかなり影響を受けた本なので「これいいよね」というと、共通の知人にすすめられたという。待てよ。その人にこの本を薦めたのは、私じゃん。友人におすすめした本を友人がまた別の友人におすすめしている。本の循環がうれしい。

台所で一緒に料理をする。それだけで、もうとても楽しい。お腹が空きすぎて、友人が作っておいてくれた鶏の南蛮漬けを食べる。美味しすぎてばくばく食べていたら、「めっちゃ食べるじゃん」と言われる。美味しすぎるのが悪い。けどごめん。台所で中川たまさんの『デイリーストック』を見つけて、これまた大好きな本だったので、「これ好き」というと、これも違うがまた共通の友人がおすすめしていた。そして、その人にこの本をおすすめしたのは、わたし。またつながった。本を介した友人のつながり、うれしい。

友人と一緒に豆板醤と麻婆豆腐と水餃子を作った。中華の祭典。

この日は友人が貸してくれた按田餃子の按田優子さんが書いた『食べつなぐレシピ』を読みながら寝た。絶版した本でずっと読みたかった。やっぱり良い。按田さんの食に対する捉え方が好き。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?