自己満足の功罪

いつもですが、批判を恐れずに書きます。

必要とされたい、人の役に立ちたい

マズローの欲求段階説では、承認欲求とかに分類されるのかもですが、かなり上位にくる欲求だと思います。
ゆえに、物理的、精神的にある程度満たされていたり、ある程度理論武装して、自分を守ることができるような人にこういう欲求が比較的強くあるのかもしれません。

具体的な行動としては、他の人に手を貸したり、アドバイスしたりするのだと思います。

それって本当に必要なんでしょうか?

人との関わりが希薄になっているとは言われますが、逆に自分の意思が持てるようになったのだとも言えます。
そこに過剰に関与することは、余計なお世話ではないかと思う時があります。

いい大人なのに、自分で自分の責任を取らない人や依存体質な大人をよく見かけます。
その人だって、最初からそうだったわけではないと思います。

失敗しそうになったとき、先回りしてだれかが手を貸してくれ、うまく行ったという成功体験が、そうさせてしまっているとは考えられないでしょうか?

助けたほうは、困っていたから、危なっかしかったから、というでしょう。
でも、それは、その人の成長の機会を奪ってしまったとも言えます。
つまり、自己満足でしかないと思うのです。

責任から逃れたいという気持ち、自分だったらなんとかできるという気持ち、その人に関わりたいという気持ち、それら全て自己満足でしかないように感じます。

自立できない大人、幼児化する社会を作っているのは、こういった感情なのではないかと思っています。

人に関わるなとか、そういう意味ではありません。
本当に相手のことを思うのであれば、その人が自己決定できるようになることが重要な気がします。
そのためには、関わり方を考えることが重要なのかなと思います。

あくまで個人の見解です。



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