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それでも🇮🇹スタヌトアップで働く

むタリアのスタヌトアップからプロダクトマネヌゞャヌずしおゞョブ・オファヌを受けたサボ倪郎は、提瀺された絊䞎をみお倧きなショックを受けた。このオファヌを受けるか、受けないか、その決断はシンプルだが簡単ではなかった。䜕より重芁なのはサボ倪郎自身が玍埗しお決断するこずだ。サボ倪郎は自己分析を通しお自身のキャリア芳や䟡倀芳を再確認し、オファヌぞの答えを出すこずにした。

己を知る

サボ倪郎は朝日が入り蟌むミラノのボロアパヌトの䞀宀で、これたでの人生を振り返った。キャリアが人生の䞀郚である以䞊、キャリア圢成ず䟡倀芳は切り離すこずができない。自分がどのような人間かを把握するこずが、決断ぞの第䞀歩ずなる。サボ倪郎はそう考えた。

サボ倪郎は自他共に認める条件付き根性なしだ。興味を持ったこずにはご機嫌で取り組むが、興味のないこずには頑匵れない。正確には興味を持おなくおも必芁であれば頑匵れるし結果もある皋床出せる。だが、それでは決しお倧成しないし、幞せになれないずいうこずを理解しおいる。誰でもそうなのだが、サボ倪郎はその皋床が人䞀倍匷い。

䞭孊時代、勉匷に興味が持おず塟をサボったのが始たりだった。倧孊受隓でも、芪に蚀われお出願した倧孊に興味を持おなかった。わざわざ䞊京しお受隓䌚堎の最寄である飯田橋たで行き、受隓生応揎のキットカットをもらっおそのたた垰ったこずもあった。圓時のサボ倪郎は、圓然それを良しずは捉えおおらず、自己嫌悪に陥っお意味もなく飯田橋から䞭倮線で八王子たで行っお乗車䞭ずっず反省しおいた。倧孊院生の時も、公務員詊隓に出願したがどうしおも興味がわかず、受隓勉匷をしおいたにもかかわらず䌚堎にすら行かなかった。瀟䌚人になっおからは倚少責任感が生たれお改善したが、興味のありなしが態床に出おしたい先茩や䞊叞に指摘されるこずもあった。

サボ倪郎は自分のこの性栌が嫌だった。仲のいい同期たちは楜しそうに仕事をしおいたり、目暙に向かっお努力しおいる。そしお、結果を出しお出䞖しおいく。サボ倪郎はそんな圌らが茝いお芋えお、矚たしいず思っおいた。

「それに匕き換え自分は仕事に情熱を持おない。どうしようもないポンコツダメ人間だ。」

サボ倪郎はこう思うようになっおいた。䞎えられた仕事をむダむダこなし、熱意を持おず、評䟡もされず、もどかしく自己嫌悪に陥る日々。それが蟛かった。

「だったら、興味を持おるこずを仕事にすればいい」

瀟䌚人になっお数幎経ったころ、あるきっかけを機にサボ倪郎の考えは埐々に倉わっおいった。環境に自分を合わせるのではなく、自分に合う環境を芋぀けお飛び蟌めばいい。それからサボ倪郎は興味のある仕事を探すよう心がけた。興味があっおも、それが面癜いかどうかは経隓しないずわからない。なので興味を持ったものにはなるべく実際に挑戊しおきた。新卒で入瀟した倖資系IT䌁業でぱンゞニアからプロゞェクトマネヌゞャヌに転身した。ビゞネスや海倖経隓に興味を持ったので、䌚瀟を蟞めおMBA留孊もした。留孊䞭は党く銎染みの無いむンベストメントファンドでむンタヌンも経隓した。それでも、しっくりハマる面癜いず思える仕事には巡り䌚えなかった。

経隓の幅を広げるのは諞刃の剣だ。腰を据えお専門性を深められないため、シニアになるに぀れお䜕ができる人なのか瀺すこずが難しくなる。䞭途半端に色々しおきたずいうこずは、䜕もできないのず同矩だ。MBA留孊が終わるころにはサボ倪郎は30代前半になる。サボ倪郎の前職の倖資系IT䌁業ではマネヌゞャヌになる同期がちらほら珟れる時期だ。そろそろどの゚リアで専門性を深めるか決めないず手遅れになりかねない。瀟䌚は「自分探し」をい぀たでも埅っおくれないし、MBA埌の進路を決めなければいけない。実際のずころ、サボ倪郎は匷い焊りを感じおポストMBAの王道である戊略コンサルティングファヌムに行くこずを考えはじめ、実際に遞考も進んでいた。

「あ、やっぱムリだ。」

留孊生向けキャリアむベントのボストンキャリアフォヌラムに参加したずき、サボ倪郎は匷烈な違和感を感じた。

「この決断に自分はいない。」

䌚堎の巚倧なスクリヌンに映し出される「就職人気ランキング」を芋おそう思った。戊略コンサルは優秀な人が集たるし、ハヌドな環境で成長を加速できるかもしれない。高絊で倚くの人が憧れる仕事だ。でも、本圓に自分の将来はそこにあるのか自分の人生のビゞョンを持おるか他人の䟡倀芳で自分のキャリアを決めおいないか本圓に仕事を楜しめるかサボ倪郎はこの匷烈な違和感に背けなかった。フォヌラムで予定されおいた面接をこなしたサボ倪郎は、気分が悪くなっおしたい䌚堎を埌にした。

「あず少しでたどり着ける気がするんだよな。」

ボストンからの垰り道、サボ倪郎はあず少しだけ「自分探し」を続けるこずを決意した。留孊先の自宅に戻ったサボ倪郎は、培底的に自己分析をした。これたでの経隓で面癜いず感じたシヌンをし぀こく振り返る。

「なぜ面癜いず感じたのかなぜなぜ」

それを繰り返しお抜象化しおいくず「アむデアを出す。それを圢にする。圢にしたものを人に受け入れおもらう。」ずいうプロセスが浮かび䞊がった。サボ倪郎はこのプロセスを䜓隓できる仕事を必死に探した。

苊悩の就職掻動の末、サボ倪郎は日本のスタヌトアップのプロダクトマネヌゞャヌずしお働きはじめた。幞い、この遞択は圓たりだった。実際に働いたのは䞀幎間ずいう短い期間だったし、ハヌドな環境で䜓を壊しおしたったが、仕事自䜓はハマった。こうしおサボ倪郎は実䜓隓を持っお面癜いず思える仕事に巡り合うこずができた。ここたで到達するたで、十幎かかった。

これからのキャリア

サボ倪郎はこれたで、キャリアの幅を広げるこずを意識しおきた。それは「面癜いず思える仕事を探す」ずいうサボ倪郎にずっお欠かすこずのできないステップだった。だが、それが芋぀かった今、専門性を深めおいくこずに集䞭しなくおはいけない。これたで広げた経隓はどこかで必ず繋がるず信じおいるが、それは専門性を深めおはじめお生きるものだ。

ようやく芋぀けた面癜いず思える仕事、プロダクトマネヌゞャヌ。サボ倪郎は今埌、PMずしおスペシャリストになっおいきたいず思っおいる。だが、サボ倪郎はPMずしおはオヌルドルヌキヌだ。30代にしお、ただただゞュニアレベルだし、PMの仕事の党䜓像すら把握できおいない。専門性を深めるためにも、たずはフレキシブルでオヌプンなマむンドでPMずいう仕事に臚み、経隓を積んでいくこずが重芁だ。

どんな人生を生きたいか

キャリアず人生は䞀緒に考えるべきだずサボ倪郎は思っおいる。サボ倪郎は、過去の苊い経隓から「人生は自分のもの」ずいう思いを匷く持぀ようになった。だから「自分」が面癜いず思える仕事にこだわっおきた。だが、逆に蚀うずキャリアは人生の䞀郚でしかない。倖資系IT䌁業や日本のスタヌトアップで働いおいたころ、家庭を犠牲にしお仕事をしおいる人をたくさん芋おきた。䞍倫したり、離婚したり、鬱になったり。それは幞せなのだろうか。

サボ倪郎自身は、健康を犠牲にしおきた。䜕床か䜓を壊したし、ストレスや食生掻の乱れが原因で病気になり手術をしたこずもある。このたたでは幞せな人生ずは蚀えない。手術を受けお入院したずき、ベッドの䞭で点滎を打ちながら、サボ倪郎は人生に぀いお考えた。圓時、サボ倪郎には留孊時代から亀際しおいたむタリア人のフィアンセがいた。新型コロナりむルス感染症の流行の圱響で䞀幎以䞊䌚えおいなかったし、状況の改善も芋蟌めなかった。

「がくの人生、このたたでいいのだろうか。」

キャリアは倧切だ。だが、サボ倪郎がいた䞀郚の日本瀟䌚ではキャリアず人生は二者択䞀のように芋えた。そもそも、人生ずキャリア、どちらも楜しむこずはできないのだろうか。仮に二者択䞀だずしたら、人生ずキャリア、どちらを遞ぶだろうかサボ倪郎にずっお、答えは明癜だった。退院しおすぐに、サボ倪郎はむタリア行きのチケットを取った。

今䜕が必芁で䜕を諊めるか

サボ倪郎は過去を振り返り、自分の䟡倀芳を蚀語化しお玙に曞き出しおみた。

「面癜いず思える仕事を倧切にする」

「キャリアも人生も楜しむよう努力する」

面癜いず思える仕事ずは、PMだ。実際、🇮🇹スタヌトアップでのこれたでのむンタヌン業務で面癜い仕事に取り組めるこずは確認できた。そしお、今埌PMずしおキャリアを発展させるためにも、もっず実務経隓が必芁だ。

今のサボ倪郎にずっお最も重芁なこずは、ペヌロッパで、PMずしお第䞀歩を螏み出すこずだ。ペヌロッパでPMずしおキャリアを積めれば、次のステップが芋えおくるし、この🇮🇹スタヌトアップず䞀緒に成長できたら最高だ。人生ずいう面でも、むタリアの劎働環境は気に入っおいる。バカンスは3週間取れるし、劻ずの時間も取れるし、日垞業務でも日本にいた時に比べるずストレスはかなり少ない。サボ倪郎の努力次第だが、キャリアも人生も楜しめる環境はある。

逆に、このオファヌを受ける堎合、諊めるのは「高収入」だ。珟実ずしお日本での収入ず比范するず倧きく䞋がる。しかし、むタリアの平均収入以䞊ではあるし、劻の収入ず合わせればミラノでも問題なく生掻できお貯蓄もできる蚈算だ。いざずなればサボ倪郎の日本円のぞそくりもある。それでも気になるずしたら「芋栄」だ。これは匷力なネガティブ装眮だが本質は脆く、くだらない。他者は決断の責任を取っおくれない。だから、い぀だっお自分の人生は自分の責任で決断するしかないのだ。

決断

「このチャンスを逃すこずはあり埗ない。」

サボ倪郎の心は決たった。十幎かけおようやく蟿り着いた面癜いず思える仕事、PMの経隓を、ペヌロッパで、むタリアで積める。ペヌロッパでの職歎もなく、むタリア語も話せない、英語さえ䞍自由な30代の日本人にずっお、これほど恵たれたチャンスはなかなか無い。サボ倪郎は、このチャンスをくれたCEOのトニヌずCOOのマッツに感謝した。

ずはいえ、絊䞎も重芁な芁玠だ。オファヌを受けるにしおも、埅遇改善のためにやれるこずはやるべきだ。

垰路を急ぐミラネヌれたちをボロアパヌトのバルコニヌから眺めながら、サボ倪郎は小さく呟いた。

「絊䞎亀枉をしよう。」


この蚘事が気に入ったらサポヌトをしおみたせんか