月をひっくり返す【#シロクマ文芸部*今朝の月】
今朝の月はラーメン丼をひっくり返したような形をしていた。深夜に食べた豚骨ラーメンを思い出すと胃も胸もきゅうと痛んだ。ラーメンの汁を全部飲んでしまったのがいけなかった。なんだか、髪の毛もまとまらずバサバサだ。本来ならサラ艶ヘアを手に入れていたはずなのにと、ため息をつきながら最寄りの駅まで歩いて行く。
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後輩が深刻な顔で相談したいことがあるというから、ヘアサロンの予約も取りやめて飲みに連れて行ったのに、話の内容のほとんどが恋人への愚痴というかほぼ惚気だった。知らない相手のことで下手に批判めいたことを言って後輩を怒らせたくもないから、黙って頷くしかなかった。後輩は話すだけ話すと気が楽になったのか、上機嫌でハイボールをおかわりしていた。気の緩みからか、先輩には恋人がいるのかなどと、終始からみ酒で面倒この上なかった。
ほろ酔いの後輩と別れて電車に揺られているうちに何だか気持ちがモヤモヤして、それをぶつけるがごとく近所のラーメン屋で豚骨ラーメンを食べてしまったのだ。しかも、替え玉まで頼んで。テーブル席でスレンダーな女性が残したラーメンを全然いけるよと頑張ってすする男性を見て、私なんか最後の一滴まで飲み干してやったぜ!と、無駄な対抗心を燃やしてしまったのは、それなりに酔っていたせいだろう。
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電車を待つ間、ヘアサロンの予約をし直す。早くて二週間後の月曜日だ。土日はすでに埋まっている。仕方がなく、月曜日の八時に予約を済ませた。ショルダーバッグにスマートフォンをしまおうとした時、後輩からメッセージが届いた。まさか、また恋人の愚痴を聞いて欲しいとか言うんじゃないかと思ったら、昨日の非礼を詫びたいとのことだった。酒の席だし気にするなと返してもお詫びも兼ねて食事をご馳走様したいとまで言う。しかし、会社の先輩とはいえ女性の私を誘うなんて、恋人に知られたらそれこそ喧嘩になったりしないのだろうか。もしかして、彼より五歳年上の私は異性とは見られてないのかもしれない。
後日、仕事帰りに後輩が予約したカフェレストランに少し遅れて到着した。
「先輩、こっちです」
パリッとしたシャツにブルーのネクタイをしめた後輩は、飲み物すら頼まずに待っていた。
「ごめん、遅れて。先に頼んでいてと言ったのに」
「いえ、まさかそんなこと出来ませんよ」
「この間は微妙にタメ口だったのに」
後輩のあまりにも硬い口調に思わず吹き出す。
「本当、すみません」
勢いよく頭を下げる後輩を慌てて止める。
「やめて、本当に気にしてないから。ほら、何か食べよう。パスタもピザも美味しそうだよ。ねっ」
「はい」
惚気話をしていた後輩とはまるで別人みたいに大人しい。アラカルトとピザと飲み物を頼み終えて、改めて後輩を見る。やはり、どこか浮かない様子だ。
「あのさ、例の彼女とは上手くいってるんだよね?」
後輩の表情が明らかに曇った。
「先輩、価値観の違いってどうにもならないんですかね」
相談モードに入ろうとする後輩よ、今日は私への詫びで誘ってくれたんじゃないのかと心の中でつっこむ。
「いや、すみません。ここのデザートも美味しいので、じゃんじゃん食べてください!」
「ーー無理やりテンション上げたね」
後輩の顔には話を聞いて欲しいとはっきり書いてある。だがしかし、それではまた前回と同じ展開になってしまう。モヤモヤ阻止だ。
「まあ、とりあえず食べよう」
チーズたっぷりのピザを切り分け、さっさと頬張ると、後輩も諦めたようにピザを食べ始めた。
「美味しい。チョリソーがピリ辛でいいね」
「はい……」
今度は何かを思い出したのかピザを頬張りながら涙ぐんでいる。彼女との思い出のレストランになんか呼ぶなよと思わないではないが、今はモチモチなピザを堪能することに集中することにした。
「パスタも頼みましょうか」
「いいね」
シラスとゆずの和風パスタもサッパリとして美味しかった。
「先輩、よく食べますね」
私が食後の珈琲にたっぷりとミルクを入れて飲むのを見て、後輩がぽつりと言った。
「何よ、大食いだって言いたいの」
「違いますよ。彼女、少食で……」
ラーメン屋のカップルを思い出す。
「可愛らしいじゃない」
「そうですかね。彼女の選ぶ店って、オシャレ重視っていうか……。正直、美味しいのかよく分かんないんですよね」
「それが価値観の違い?」
「それだけじゃないですけど、あまり踏み込ませてくれなくて」
後輩を悩ませている問題はもっと深いところにあるのかもしれない。私はそれを受け止める自信はなく、誤魔化すように珈琲カップに口をつけた。
「彼女、不幸続きで」
「ん?」
聞くつもりないと気付いたのか、勝手に話し出した。
「彼女には病気の母親がいて」
「うん」
「父親は交通事故でリハビリ中なんです」
「う、うん」
「歳の離れた妹が高校でいじめに遭って、引きこもりになってしまって、金銭的にとても苦労してるらしいんです。少しでも楽にさせたくて会った時は食事をおごったりしてるんですけど……」
「んん?!」
「仕事が忙しくて大変だって分かってるのに、彼女に会いたいって気持ちを抑えられなくて喧嘩してしまって。どうしたらいいんでしょう」
後輩は子犬のような目をした。そんなの知らんがな、と突き放すことも出来る。
「あのさ、その病気の母親とケガの父親、引きこもりの妹さんには会ったことある?」
「それが、みんな他人には会いたくないって言っているらしくて、会わせてもらってないんですよ」
頭の中に詐欺という文字が浮かんだ。
「そっか、それは困ったね」
「だけど、写真なら送ってくれましたよ。妹さん、彼女にそっくりなんです」
「へえ、見せて」
それは、病気や怪我や引きこもりになる前の家族写真だった。AIで生成された写真に見えなくもない。
「だったら、僕が家族になればいいのかと!」
後輩がゴソゴソと鞄の中から小さな箱を取り出した。
「あなた、まさか」
「はい! 次に会った時にプロポーズするつもりです」
「……が、がんばれ」
まだ、詐欺と決まったわけではないし、彼の言う通り不幸が続けばそういう事情の家庭もあるかもしれない。
「悩んでたんですけど、先輩に話を聞いてもらって良かったです」
「聞くことしかしてないけどね」
「いえ、十分ありがたいです。だって、ちょと詐欺っぽいですもんね」
そう言って笑った。
*
ヘアサロンでサラ艶ヘアを手に入れた日、後輩から連絡があって屋台のラーメン屋で並んでラーメンをすすっていた。
「すみません、ニンニク取ってください」
「はいよ。紅生姜取って」
「はい」
「ーー結婚、ダメになっちゃいました」
「そっか」
「なんか、他に好きな人が出来たとか」
「うん」
「僕なんかより包容力があるオシャレな歳上の人だって」
「彼女、ハッキリ言い過ぎ」
「ーー引きこもりの妹がグミくれて、元気出せって」
「へえ、いい子だね」
「はい。いい子でした」
「というか、家に行ったの?」
「はい。お嬢さんを下さい!ってやつです」
「わあ」
「そしたら、彼女がごめんって」
「ーーもういいから食べな」
「はい」
鼻水をすすり、ラーメンをすする。
「美味いっス」
「替え玉も頼みな」
「はい……」
いつの間にか空には三日月が出ていた。
了
(2983文字)
#シロクマ文芸部 #今朝の月 #下弦の月
#ショートストーリー
https://note.com/komaki_kousuke/n/n28adb9f36795
あとがき
今朝の月、難しいお題でした。
何とか形にしてみましたが、いかがでしょうか。
皆さんの書き上げるスピードにただただ驚いています。
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