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正義とか多様性とかの話
正義がぶつかった時の対処法
正義は人や組織の数だけある。それは皆さん生きていれば薄々わかってくることですよね。
そんな中「あいつは自分が正しいと思っている」(だがそれは間違いだ!)というあきらめ文句なのか悪口なのかわからない言葉があるじゃないですか。
私、実はこれをよく言われるんですけど(笑)…この言葉を言われるたびに「自分は正しくない」と思いながら生きてる人なんているんだろうかということを思います。
「自分なんてダメなんだ」「何もうまくいかないのは全部自分のせいなんだ」という決めつけや自分を疑う状態に入ることありますけど、それって「心病んでるモード」なんですよね。そもそも自分が正しいと思っているのは当然のことで、それが他人にとって正しいか間違っているかはさておき当人にとってはそれが正義なわけです。当然のことを疑ったり正しいと思えなくなるのって、正常な判断が出来る状況ではないとも言えます。
「あいつは自分が正しいと思っている」という言葉に違和感や致命的な欠陥を感じるのは「自分が正しいと思っているのはいけないことだ」という意味合いが含まれる気がするからです。そんなことってあります?間違ってると思いながらいろいろ行動したり発言している人のほうが私は怖いと思う。
ただ、自分「だけ」が正しいわけではないというところは忘れてはいけないことだと思う。全員、個別に正しいのが大前提なわけです。全員自分は正しいと思っていていい。(みんな神♪)ダメなのは自分の正義で相手の正義をへし折ろうとすることだと思うんですよ。
ある正義同士がぶつかったときに私たちがすべきことは、自分の正義をきちんと示し、相手の正義もきちんと確認することなんですよね。
私はこう考えているけど、君はどう考えているの?と確認する。
そしてお互いの違いに気づいたりする。
きちんと正義を示すことが重要。
お互いの正義が抱える矛盾もきちんと見えるようにすることが重要。
別に矛盾してたっていいし、論理的じゃなくてもいい。
それを胸張って示すことができるならそれは正義だと思う。
お互い堂々とこれが正義だと示し合う。
そうすると「じゃ、これ以上話し合っても無駄だね」とか「ここを落としどころにできないかな」とか話し合うことができるようになる。
※正義で正義をつぶそうとする人も問題ですけど、自分の正義をきちんと示せない人のほうが実は大問題なんだとも思っています。
正義で正義を裁いてしまうと、どちらかが一方的に苦痛を強いられてしまう。その苦痛はどこかで消化しなくてはならなくなり、苦痛を消化するときに、また新たな苦痛が生まれたりもする。負の連鎖が起きる。
正義について考えたついでに多様性についても考えてみた。
多様性を認めるという言葉が流行していますけど、人は既に無意識に様々なレベルで多様性を認めている生き物なんじゃないでしょうか。
だって僕と君はいつでも他人同士。たった2人でも、他人同士が集まれば異なる2つの存在がそこにある。それも立派な多様性ですよね。1万人になっても70億人になっても、等しく多様な人々がそこにはいて、多様性のある社会なんてものは既にそこにある。
多様性を認めるというのは、正義で正義を挫こうとしない態度のことなんじゃないかな。
つまり「多様性を認める社会を実現しましょう」という正義で他人の正義を踏みにじるようなことがあるんだとしたら、そんな矛盾をはらんだ正義からは、みんな離れて行くのではないかな。
なんてことを思いました。
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