「自分」はいくつあるんだろう。
最近、「自分ってあたまでっかちだな…。」なんて考えることがある。
何でも頭で考えてなんとかしようとしてしまう。
それは自然なことなのかもしれない。
人は頭を使って日々何かを考え、自分を作る。
そのために私たちには大きな頭があり、脳がある。
だけど、「選択」するときは頭だけで考えたくないと思っている。
自分の頭はこれまで経験してきたこと、取得してきた情報に基づいて結論をだす。それが一番安全で自然な道なのかもしれない。
だけど、それだけでは測れない可能性が埋もれてしまうような気がする。
じゃあ、なにに基づいて「選択」するのか。
私はこの問いと同時に,
自分っていくつあるんだろうなって考える。
そして、思い浮かぶのは空のいろんな姿だ。
私はデンマークにいた時、自己分析とリーダーシップについて勉強していた。まあ、勉強していたといっても、授業は日本ではありえないようなスタイルだった。
ある時は、突然自分たちで寸劇を作って、演じてみたり。
ある時は、突然先生のお宅にお邪魔して、お茶を飲む。
これが授業時間に行われ、私たちはひたすら会話を続ける。そんな感じだった。
そんなある日、私たちは先生の小さなサマーハウスで1泊2日のワークショップをしていた。といっても、一緒にお昼ご飯を作ったり、雰囲気を作るためにご飯を食べるマナーを聞いたり。夜にはついにクラブみたいになるというカオスなワークショップ(笑)。
そんな1日目の工程が終わって、くたくたになった私はクラブミュージックが響き渡る部屋の端っこで、おやつを食べながらぼーっとしていた。
隣に踊りつかれたデンマーク人の先生と、友達とのカードゲームに飽きたケニア人のクラスメートが座った。
「ゆり、何考えているの?」と先生。
「うーん。今日ずっとみんな何考えているのか全く分かんなかった。私は一生懸命みんなを理解しようと努めているのに、全くつかめない。」と私。
「ゆり。それ頭で考えているからじゃない?ゆりはmind emotion spiritってどこから来ていると思う?」
私はぽかんとして。
「えっと、えっと....。emotionは心でしょ....。mind?mindってこれも心?え?じゃあspiritってなに?」とどこを指させばいいか分からなかった。
先生はやっぱりという表情をして、ケニア人のクラスメートに質問した。
「mind emotion spiritってどこから来ていると思う?」
彼は即答で、mindは頭、あとの二つは胸を指さしていた。
「ゆり。あなたはすべての選択を頭でしていると思っているでしょ。そうじゃなくて、人は心のいろんな動きで選択し、行動しているの。頭はそれをチェックし、軌道修正する役割なの。
だから、すべてを頭のなかで解決しようとしないで。体で精神で自分に聞いてみるの。」そう言われた。
私はこの言葉は全く理解できなかった。
言葉全体もよくわからなかったが、特にspiritの部分。
私は宗教とは距離が遠い人生を歩んできたから、spiritといわれるとすぐに宗教というイメージに直結してしまっていた。だから、「私宗教信じてないからわかんない。」をふたしてしまっていた。
だけど、その後半年間かけて、
いろんな人と出会い、話し、時間を共有した。
そしてその時間にはいつもデンマークの星空や黄昏があった。
私はいつの間にか話をするとき、頭ではなく心で話をするようになっていた。
そして、今まで言葉を紡ぐのが苦しくてたまらなかったはずなのに、気が付けばするすると言葉が出てくるようになっていた。
なんとなく、私はいつの間にかspiritを体得しているようだった。
人は選択をするとき、頭ではなく心でしていると私は思っている。
頭はそれを察知し、言語化しているだけ。
だから、私たちは頭で考えていると勘違いしてしまう。
人はよく「頭でよく考えなさい」という。
だけど、正しくは「自分の心に聞いてみなさい」が適切なんじゃないかなと思う。
頭で考える前に心がどう動いているのか把握する。
誘導するのではなく、観察し受け入れる。
そうすることでmind emotion spiritのバランスが取れ、自分らしい選択につながるんじゃないかなと思っている。
自分は心と体の2つだけではない。
もっと細かく、複雑なもの。
自分は一体いくつあるんだろうと。私は考える。
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