コンプレックスから目を逸らしがち

3月に予定あったら会えるかもね、と話していた友人と会えないことが確定してしまいました。

寂しい反面、少しほっとしている私がいます。

友人は日本とハーフのスイス人で、同じ語学学校に通っていました。私より年下なのに、大人びていて、聡明で、早熟だなあと交流するたび感心していました。しかし、感心するだけでなく、私は彼に嫉妬もしていました。彼はなぜかひどく私のコンプレックスを刺激してきたのです。

伊独英の3カ国を操り、日本語もわかって、(彼は私の前で日本語を話すことを怖がっていたので、日本語で会話したことはありません)
経験不足による未熟さは少しありましたが、世界のことをよく理解し、
論理的な説明をよくこなし、
さすが賢いねと私が言っても、私の母語の日本語と比べて、彼の母語のイタリア語はドイツ語に似てるから、と謙遜もできる。
ジャズピアノもとても上手です。

スーパーマンですよね。スーパーマンだと思います。違う惑星から来たに違いないです。

私がそんなスーパーマンにコンプレックスを覚えている理由はただ、自分と同じルーツを持っているからなのだと思います。
日本人でも、もし外国で暮らせていたら、バイリンガルだったら。
そんなことがいつも頭によぎりました。

彼の賢さは、彼の努力の成果であって、私とはなんの関係もないのに。

アイデンティティが似ていることが、どうしてここまで私を卑屈にさせるのか。
私だって日本で多くのことを学んだし、日本語は文法からきちんとマスターしています。本を読むから語彙だって比較的多い。

しかし、語学学校に通っていた時の私にとって、私のアイデンティティの一部である日本語は弱点であり、欠点でした。ドイツ語学習において、なんのためにもならない宇宙言語(別の友達が使っていたのを気に入って最近そう呼んでいます)。

反対に、彼にとっては大きな強み、利点。
宇宙言語の日本語をだいたい理解し、奈良の片田舎で問題なく生活できる。

羨ましいですよね、単純に。 

でも私自身にそんな思いがあったので、彼とはなかなかうまく向き合うことができませんでした。
無事に大学に進学し、ドイツ語もある程度使いこなせるようになって、やっと正面から向き合えて、コンプレックスから解放されるかもしれないという希望的観測があったので、会えないのはやはり残念です。

義務である年一の軍事訓練に行くらしいので、
怪我なく無事に帰って来れるように祈っています。
(兵役義務はスイス国籍の唯一のデメリット)

次は私が人生の先輩、お姉さんとして慕っている中国人について書きたいなと思っています。

おやすみなさい。


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