見出し画像

≪わたしごと51≫気になる事

どうにかならないかなと、気になっている事。ワクワクしてる大人が少ない
という事と、日本人は日本を好きでないという事。

私がこどもだったら、わくわくして楽しそうな大人に出逢いたいし、私が外国人だったら、根底に日本への愛情のある人と文化交流したい。

この記事ではまず、一つ目のワクワクしている大人が少ないという事について。

ワクワクってやっぱり、やっていて楽しいという事だろう。ワクワクしている大人が少ないというのは、楽しみの価値が人生の中心的価値に置かれていないからなのではないか。それは教育であったり文化であったりするのだろうけれども、総じて "楽しみ" の地位って、上げられるべきなのでは無いかと思う。本当の楽しみは余暇でも無駄でも無く、生きる事にとって大事な事だ。        

私は特にアートや工芸の事が気になっている。コロナの世界危機の中で、ドイツが芸術活動は生きる事にとって必要不可欠と言い切ったが、日本はどうだろうか。

イギリスのMuseum Associationの博物館定義(1998)は "Museums enable people to explore collections for inspiration, learning and enjoyment. [ ... ] "とあり、インスピレーション・学び・楽しみのためのコレクションと言っていて、ICOM(国際博物館会議)の定義でも、教育・研究のあとに楽しみのためと続く。

日本の博物館法(1951)では、目的が教養・調査研究・レクリエーション等となっている。レクリエーションの定義って何なのかという事にもなって来るけれど、一般には娯楽や余暇ではないだろうか。

定義が変われば変わるというものでもないけれど、定義を考え直して方向性を見定めるというのは大事ではないか。その際に楽しみ、エンジョイの価値に意味を与えられるようなものであれば良い。

"Are you enjoying?" と聞かれたり "I'm enjoying myself."という返答はイギリスに住んでいて日常に聞かれるけれど、enjoy oneself という表現は面白い。たのしい事柄が私を楽しませてくれているというよりも、その楽しさを自分から取りに行っている能動的さがある。もしくは楽しんでいる自分に納得感がある。

その自分が楽しいと思う事は、自分の好きな事は何なのかにつながって来るし、それは自分のやりたい事は何なのかへの手がかりとなる。なので楽しみには価値がある。

それが根付くにはこどもの教育が大事だが、その教育とはまわりにいる大人がするものである。だが、その大人が少ない。楽しいという事や、好きという事を大人とこども同時に学べる方法を、博物館や美術館の領域で出来たら良いなと思っている。そこに価値を置く文化が育って欲しい。

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?