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自分にできることを精いっぱいすることの難しさ

新型コロナウイルスで世界が大変なこんな時だからこそ大切にしたい心がある。

私は、最近よくそういったことを考えるようになりました。みんなピリピリしているからかな?(笑)

確かに、外出を控えたり、家にずっといることはストレスがたまると思います。体を動かしたいだとか、友達と会いたいだとか、色々な思いを抱えていると思います。私も、最近は特別用事がないときはずっと家にいて、勉強したり、本を読んだりして過ごしていますが、やはりふとした時に

「外に出たい。とりあえず思いっきり体を動かしたいな」

と思うことがあります。でも、こんな時だから仕方ないと、家にいます。

さて、今回の内容は、自分にできることを精いっぱいやることの難しさというテーマで書いていきたいと思います。

1.自分にできることを精いっぱいすることの難しさって?

結論から言うと、自分にできることが、一見ちっぽけに見える時、みんなやりたがらない(やっても仕方ない)。これはすごくもったいないし、難しいなぁということです。

ここでは、コロナの時期だから、というのは一旦置いておいて、「自分にできることを精いっぱいする」に焦点を当てていきたいと思います。

「自分にできることを精いっぱいすること」というのは、字面だけなら一見何事もないように見えがちですが、私にはとても奥が深く感じます。そう感じるのにはいくつか理由があるのですが、一番そう感じる理由は、

「自分にできることを精いっぱいしている人、または自分でそう感じている人」ってあんまりいないんじゃないかな、と思うのです。

もちろん、日々の生活が精いっぱいという人がいることは承知の上で、改めて、そう感じています。自分の生活を維持することで精一杯で、日々を生きるということは、言わずもがな大変で、素晴らしいことだと思います。しかし、今回考えたいのは、心的な要素の部分です。

自分にできることを精いっぱいするということは、自分で何をするかを考えたうえで成り立つ行動です。なんとなくで何かを精いっぱいすることは人間あまりないと思います。(曖昧過ぎますね・・・。)

というわけで、とりあえず今回の記事では、「自分にできることをする=主体的に行動すること」として心的な要素強めに定義しておきましょう。

主体的に行動すること、と定義したうえで、ここで皆さんに問いかけたいことがあります。

「あなたは、自分にできることを主体的にやっていこう!という心情をもって、日々の生活を送っていますか?」

「芸能人やスポーツ選手に比べて、自分には影響力も知名度もないからと言って、慈善活動や自分が良い(善い)と思っている行動を制限していませんか?」

最近になって、このような疑問を感じることが良くあります。決して、何もしないことを責めているわけではありません。ただ、勝手に自分の尺度でものごとを比較していませんか?と問いたいのです。

「人が、自分で主体的に物事を考え、行動をすること」ということにおいて、影響や結果の大小で、善し悪しを決めること、それ自体がナンセンスだと私は考えています。

少し、例え話をしましょう。

自分で何ができるかを考えて、意欲を持って取り組む時、自分の得意分野を生かして、活動に大きく貢献しメディアやニュースに大々的に取り上げられる。国中の沢山の人から称賛され、素晴らしいことだと褒められる。これはもちろん素晴らしいことだと思います。その人は、自分にできることを精いっぱいやった結果、成功(のように見える)していますから、間違いなく素晴らしいことだと思います。

一方で、特に秀でた能力や才能があるわけではないが、子供が好きだから仕事で忙しい家庭のために、子供の受け入れを行った、とか、自分には誇れる能力がないから、自分に自信を持てるようになるために、外部のイベントに参加して、小さなことから自分をアップデートすること。というのは、国を挙げて称賛されたり、メディアに取り上げられたり、周りの人から毎度毎度素晴らしいと言われるわけではないことですが(素晴らしいと言いたいですけどね)、周囲に大きな影響を与えるような行動に比べて、自分の起こした行動は別に大したことではないだろうと思いがちではないかと、個人的には思います。

しかし、影響が大きいから素晴らしい。影響が小さいから素晴らしくない。というのは、間違っていると思いませんか?

一見ちっぽけなことだったとしても、人のため・自分のために良いと思うことを主体的に行うことは、素晴らしい行動であることには間違いないのです。それを誰にも咎める権利はないし、むしろ誇るべきことだと感じます。

多額の寄付をしている芸能人に比べて、地域のごみ拾いを毎日している人は大したことない、と言えますか?言うまでもないですね。

どちらも素晴らしいことです。自分なりにできることを考えて、よく行動されていると思います。私も見習っていかなければ!と思います。

ここで、難しさの話の戻りますが、自分にできることが一見ちっぽけに見える時、人というのはやっても仕方ないと思いがちだと、私は感じます。無意識に比較して、自分にはできっこない、やっても仕方ないと思ってしまう。その気持ちも、理解できるからこそ、自分にできることを精いっぱいすることって、とても難しいなと感じています。

2.自分にできることはどんどんやろう。自分をもっと肯定しよう。

「1.自分にできることを精いっぱいすることの難しさって?」と続いて、難しいからこそ、どうありたいかをまとめておきたいと思います。

見出しにもある通り、無駄に先入観や固定観念をもって自分にセーブすることはやめて、自分にできることや自分にとってより良いと思うことは、どんどんやっていきましょう。そして、行動した自分をほめてあげましょう。

まず、「”自発的に”行動に起こした」これだけで褒めて良いと思います。起こした行動が成功であれ失敗であれ、それは結果でしかなく、経験に成功も失敗もないです。経験は、実際に行動を起こした人間にしか得ることができない唯一無二の財産です。仮に、自分で考えて行動したことが失敗に終わり、次につながる意欲がなくなってしまっても、それは失敗する方法を1つ知っただけであって、次成功すればよいだけの話です。色々とそれっぽいkとを並べてはいますが、つまりは、

ごちゃごちゃ考える前に手を動かせ、頭を動かせ、体を動かせ、そういうことですね。失敗して疲れてしまっても、休めばいいんです。休息は、ストップではない、充電なのです。

自分を信じて、どんどんアクションを起こしていきましょう。ただ、アウトプットだけは忘れずにしましょうね。あと、自分をほめることも忘れずに。

3.学校教育的な観点から見てみる

せっかく教育学部にいる身なので、学校教育と当てはめて考えてみましょう。

今回特に大事にしたいキーワードは、「主体的に行動すること」と「自分のできることをする。自分を褒める」の2つのしたいと思います。

①主体的に行動すること、から願う子供の姿

変化の激しい世の中で、子供たちに必要な能力の一つとして、「変化に対応する力」が挙げられると思います。変化に対応する力、というのは単に融通の利く力という認識だけではなく、変化を楽しむ力・変化を受け入れる力という見方も必要になってきます。

変化を楽しむ・変化を受け入れるということは、普通の人からすれば怖くてなかなかできないことだと思います。長年蓄積してきた流れや文化を壊すことになるかもしれないですからね。

でも、時代は変わる中で、なにかを守り続ける時代から、新しいものを取り入れ共有していく時代に変化していきます。そんな中で、自分を変えることをしてこなかった人は、きっとつらい思いをすることが多くなるのではないかと思います。

主体的に行動することは、自分を変える力を育てることだと考えます。変化の激しい時代に対応していくには、まず自分自身を変化させていく力を持った人間を育成していく必要があると思います。授業や普段の生活を通して、子供たちには主体的に行動していけるような学校づくりができれば、と思います。今後のキャリア教育に大きな影響を与えるのではないかと考えています。(事実、与えていますね)

②「自分のできることをする。自分を褒める」

前述のとおり、自分にしかできないことをする・自分にできることをする、というのは難しいことだし、自分を褒めることなんてもっと難しいと思います。

子供たちも、それぞれに自分の良さがあるのに、中々それに気づけていないのが現状だと思います。だからこそ、日常や学校生活の中で、自分の良さや強みを発揮して、安心して生活することができない子も多いのではないかと思います。

今までよりも、人は一人一人違うという認識を持ってもらい、みんな違ってみんないいの精神が養われればよいなと思っています。

まとめ

今回は、自分にできることを精いっぱいすることについて、私の思うことをつらつらと書いてみました。

主体的にアクションを起こすことに大小はなく、それを人に決められる筋合いもないということが伝わればと思います。

私たち大人だけではなく、学校の子供たちも過ごしやすいような環境が整えられることを願っています。

それでは今回はこの辺で、ここまで読んでいただきありがとうございました‼




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