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「いつだって、夢は進化させ続けていい」 この言葉をお守りに、7年かけて踏み出すこと

はじめまして、冨永優莉(とみながゆり)です。
今月から、COMEMOで記事を書くことになりました。
せっかくいただいた機会を使って、世の中のニュースについて、私自身の身の回りの出来事について、感じたことについて、言葉にしていきます。

さて、何を書こうかな。

年末年始は東京でゆっくり考えよう!そう意気込んだものの、気づいたら9連休はあっという間に終わっていました。何を隠そう、私は遅筆です。
言葉にすることを渋ってきた自覚はあるので、2020年は向き合います。

大学で自分の興味関心と出会い、言葉にもままならなかった想いを抱えながら、どう社会とつながる「仕事」になっていくのか、をずっと考えてきました。都度、悩みながら、一歩ずつ一歩ずつ進んできました。

今回は、自分の「仕事」を見つけるまでの過程で、
自分自身を救ってくれたいくつかの言葉を紹介します。


大学を卒業してから、私のこれまで(略歴)です。

2015年春〜:新卒として広告会社へ入社、営業として働く。
2016年冬〜:特定非営利活動法人シブヤ大学へ転職。
2018年春〜:高円寺の小杉湯に惹かれ引っ越す。銭湯ぐらしのメンバーに。

大学の卒業制作は、「小さな空間における人の振る舞いからみる地域参画の設計 - Participatory design for community inclusion-」として、鎌倉の小さな餃子屋さんを中心としたカウンター群のお店をフィールドワーク対象に取り組みました。飲食店の機能を持ちながらも、そこのまちに住む人たちが顔を合わせ、自分ごととしてまちでの暮らしを楽しく拠点になっている。
だから、7席のお客さん同士はお互い話すこともあるし、店主から紹介されることもある。飲食店=お金で均質なサービスを受ける場所、だと思っていた私にとって、新鮮で、とても心惹きつけられる経験でした。

そんな場所を、いつか、わたしもつくりたい。
その想いから、週4日はお店に通いつめ、ひたすら人の振る舞いを観察、分析し、最終的には良い振る舞いがあるお店のカウンターの寸法を測りまくり、可動式の3つのカウンター群をつくりました。

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最初のカバー写真は、所属していた水野大二郎研究室でのひとコマ。

水野先生に「卒業制作は、人生で最初で最後の自分でやったと言える作品だ」と叱咤激励されながら、なんとか作ったカウンター群を囲んでいるところです。「あなたはどう生きていきていきたいんですか」「やる前から価値があるかないか決めるな、手を動かしながら考えろ」と常に投げかけられながら、苦しみながらも、自分の人生を重ねてつくった卒業制作。
振り返ってみても、わたしの原点です。

大学3年生の当時、”コミュニティ” や" 場づくり"などのキーワードは持っていても、その先の仕事は見えないまま。ある日、先生に「修行に行ってこい」と言われ、ある会社のオフィスへ行きます。

学生インターン時代に、社長に言われたひとこと

その会社で、自分自身の興味を一生懸命話したところ、一緒に働かないか?と誘ってもらい、インターンになることに。国内国外関わらず、さまざまな取り組みをしている人が来るオフィスはとても刺激的でした。
わくわくした目を持つ人が出入りするのを間近でみながら、こんな人たちと働きたいな、と思えた経験も、今につながっています。
ある日、いつものように私の人生相談をしていたとき、社長がぽつり、とこう言ったのです。

「最近、自分のやりたいことはこれだと思うようになったんだよねぇ」

今でこそ、環境や時代に合わせて、その人の興味関心も変化するし、うんうん、そうですよね、と返せる気がするのですが、当時は違います。
将来の姿が見えず、不安ばっかりだった私にとって、ひとまわり上の社長からの言葉は衝撃的でした。

社長でも、いつになっても、自分のやりたいことを変化させていいんだ!

同時に、そうやって、しなやかに芽を伸ばしていく人になりたい、と思うようになりました。会社に入ったから、転職したから、会社を辞めたから、ではない。社会のシステムではなく、一生をかけて自分自身で向き合っていくのでいい。そう思わせてもらった言葉に、救われました。

7年間かけて、スタートラインに立つこと

大学卒業後、広告会社で働き、NPO職員になり、自分の住むまちの拠点づくりに関わり....学生時代には思い描けなかった、たくさんのプロジェクトや仲間に出会えています。自分ひとりでできたことは本当に少なく、素直であれ、真摯であれ、謙虚であれ、と、もがきながら、目の前のことに取り組む毎日です。でも、大学生時代の自分に「当時言ってたこと、叶っているよ。まだまだ道半ばだよ!」と声をかけてあげたい。

水野大二郎研究会時代に、先生に連れられてオランダへ行く機会があり、それから「コミュニティの仕事を、国境を関係なく取り組む人になりたい」という願いを持ち続けてきました。この願いは、ある時は苦しめられる呪文になったり、諦めずに頑張るおまじないになったりしながらも、ずっと寄り添ってました。おかげで、7年間かけてある決断をしました。

2020年4月から1年、北イタリアの小さなまちに滞在する計画を立てています。詳細はまたじっくり言葉にしたいと思います。

「いつだって、夢は進化させ続けていい」
この言葉を持って、わたしの挑戦がはじまります。

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