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わたしが言語を学ぶわけ

私たちの思考は話す言語によって大きく制約を受けていると思う。日本語と英語を比べてみても、日本語から英語に翻訳できない表現は沢山あるし、逆に英語から日本語に翻訳できない表現も山程ある。

これは、言語が長い歴史の中でその土地の人々の文化とともに生まれて変化してきたものだから、当然のことであって、これから技術が発達してどんなに世界が画一化してきたとしても、違いがゼロになるってことはないだろうし、そんなこと絶対あっちゃいけない。

わたしはフランス語と英語と日本語の3カ国が話せるんだけど、フランス語の勉強を始めるときに、どうしてそんなマイナー言語を勉強してるの?って耳にタコができる程質問を受けた。

はじめはフランス語でどうしても読みたい本があって勉強を始めたんだけど、今は違う。

モノリンガルだったときと、トリリンガルになった今では、ある一つの出来事やイベントごとに対して、頭の中から湧き出てくる感想や考えの数が圧倒的に違う。

今まで日本語でしか考えられなかったから、思考が日本語の語彙に縛られていたけど、英語、フランス語と考えられる言語が増えるたびに、思考が豊かになって行く。

ただなんとなく面白いなって思ってはじめた言語の勉強だったけど、言語のレベルが上がっていく毎に、日常生活が鮮やかになっていく。自分の感受性が豊かになっていく。

最近では、物事を頭の中で考えたり、整理したりするときに、日本語だけじゃなくてフランス語や英語でも考えてみるようにしている。そうすると、3つの違った角度からの考えが生まれる。

語彙が変われば思考が変わる。

これだから言語の勉強はやめられない!


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