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「疑い」のフィルターを取り払う。ただ受け入れる、純真な心ー「幸福なラザロ」

青年は、初めてスクリーンに映し出された瞬間から、他の人とは違うものをみつめていました。
名前はラザロ。聖書の「ヨハネによる福音書」に登場する、イエス・キリストが奇跡によって生き返らせた人物と同じ名前です。

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2018年、カンヌ国際映画祭で「万引き家族」と共に話題をさらった「幸福なラザロ」。渓谷に囲まれた小さな村で暮らす人々と、村を支配するデ・ルーナ侯爵夫人が、主な登場人物です。
村一番の働き者であるラザロは、どこか人間離れした魅力を持ち、そんな彼を中心に人間模様が描かれます。

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ただ受け入れる
強く純真な心を持つラザロ

雨が降れば、雨に打たれ、
裏切られ傷つけば、涙を流す。
目の前で起きたこと、ひとつひとつをそのまま受け入れるラザロ。その姿から、彼がただ者ではないことはすぐにわかります。その純真さは、一切濁りのない、太陽に光り輝く瞳に表れています。

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農村を支配している夫人の息子・タンクレディとの友情からも、彼のまっすぐで純朴な性格が見えてきます。

「働き者なんだったら、なぜこんなところでおれとコーヒーを飲んでる?」
「…あなたが望んだから」

ラザロはタンクレディの立場や家柄など全く気にとめることなく、彼に話しかけます。そして彼が望んだことには、素直に応えるのです。
大概の人が持つフィルターを全く介さずに接するラザロに、タンクレディは心を開き、ふたりは自分たちを「腹違いの兄弟」と呼び合うほどの関係に。
友達ができたことに純粋な喜びを示すラザロに、こちらまで笑みがこぼれました。

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これほど「疑う」という感情を知らずに生きる人など、ほとんど存在しない事はわかっていながらも、無垢な心を持ち続けるラザロがどうしようもなく羨ましくなってしまいます。

人に何をされたとしても、
その人のためにしたいことをする

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作品の後半、舞台は現代の都市へ。
私たちとラザロの距離が近づくことから、彼の「異質さ」は更に浮き彫りになります。

月日が経ち、ラザロは搾取的な労働から解放された村の仲間たちと再会するのですが、彼らはすっかり都会の生活に慣れ、変わってしまいました。それでもラザロは、昔と変わらず同じ態度で接します。
いくら時が経って、相手が変わってしまったとしても、彼は人を信じることをやめないのです。

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そして、ラザロにとって大きな事件が起こります。友人・タンクレディの裏切りです。
普通であれば、その悲しみから、相手に怒りをぶつける行動にでると思います。しかし、ラザロは悲しみを悲しみのまま受け入れ、涙を流し、友人を助けるためにある行動に出ます。
他人からどんな仕打ちを受けたとしても、疎まず、その人のために自分ができることをする。その行いが、彼と他人の一線を画すものです。

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生きていく中で人は傷つき、自分を守る盾として、突き放すことや疑うことを覚えるのだと思います。ラザロのように生きることは難しいかもしれませんが、この作品で描かれるラザロの視点を通して、身につけてきたフィルターを一度取り払ってみてください。
失くしかけていた大切な心の破片を、この物語が私たちにまた授けてくれると思います。

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Bunkamuraル・シネマ他、全国で順次公開
公式サイト:lazzaro.jp


この記事は、映画メディア「OLIVE」にも掲載しています。
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