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【短編小説】抱負なんてすぐに忘れるから

一月四日水曜日、今年最初のスーツ。波が押し寄せて引いていくみたいにあっけなく連休は終わってしまった。目を覚ましてから数十分の間、いくつため息が漏れ出ただろう。霧でにごった思考を通して、光で燃え尽きそうな外の世界を眺める。なんていい天気なんだろう。体内はすべての明かりを遮断し吸収してしまう。

まだ休みの人が多いのだろう。電車はがらんとしている。僕は座ってぼおっと窓の外を見ている。広告、たくさんの情報。人間や絵が笑い、取り囲むように文字が敷きつめられている。活字のひとつひとつが芋虫のように見える。すでに疲れている。感情が断線している。目的地を告げる車内アナウンスよりよっぽど機械らしく僕は箱の外へ出る扉をくぐった。

休日から抜け出せず、職場の誰もかれもがほんの少し違う世界に片足を突っ込んでいる。それでも世界は去年と同じように動き出した。世界とは不確かで曖昧な何か。僕たちの生活に必要不可欠なもの。形のないもの。それを動かし続けるために人は働いている。同じ毎日を繰り返している。

今日は上司の機嫌がよかった。ちょっとしたことで僕を褒めてくれた。プロジェクトは相変わらず課題が山積み。でも少し見通しがついた。同期が帰省先のお土産にクッキーをくれた。苦いが味は悪くなかった。後輩が年始早々に恋人と別れて落ち込んでいた。はげまそうと今度ご飯をおごる約束をした。

平均よりはいい一日だった。いつの間にかその日の何もかもに一喜一憂しなくなった。ただ疲れた。そしてシャワーを浴びた。

そんな夢を見た。

一月四日水曜日の目覚ましが鳴った。前日までの夢を覚えていないから、初夢としてもいいのかもしれない。なんて縁起の悪い夢だ。恐ろしいほど鮮明に覚えていて、これから残業をしに職場に行く気分だ。肩が凝っている。ベッドで上体を起こし、首をゆっくり回す。時計回り、そして反時計回り。ぞうきんを絞るように眉をひそめ、再び横になる。五分後にアラームをセットして目を閉じた。体感三十秒で現実に引き戻された。

今年最初のスーツ。波が押し寄せて引いていくみたいにあっけなく連休は終わってしまった。夢と同じ感覚だ。目を覚ましてから五分と数十分の間、数えきれないため息が吐き出された。吹雪いて凍り付いた思考を通して、分厚い雲で覆われた外を眺める。今日は風が強い。天気が気分の落下を加速させていく。

まだ休みの人が多いのだろう。電車はがらんとしている。僕は座ってぼおっと窓の外を見ている。焦点が合わない。ぼやけている。あくびをした。一瞬だけ視界がはっきりした。大きな看板の中の女性が笑って僕を見ていた。彼女は去年と変わらない。僕はすでに疲れている。感情が断線している。目的地を告げる車内アナウンスよりよっぽど機械らしく僕は箱の外へ出る扉をくぐった。

休日から抜け出せず、職場の誰もかれもがほんの少し違う世界に片足を突っ込んでいる。それでも世界は去年と同じように動き出した。世界とは不確かで曖昧な何か。僕たちの生活に必要不可欠なもの。形のないもの。それを動かし続けるために人は働いている。同じ毎日を繰り返している。夢でも現実でも、たいして変わりのない一日を過ごしている。

今日は上司の機嫌が悪い。連休明けなのだから当たり前だ。プロジェクトは課題が山積み。相変わらず見通しは立たない。同期が帰省中に財布を無くして大変だったらしい。お土産は特になし。後輩は有給で不在。正直うらやましかった。

平均よりやや下にぶれる一日だった。それでもその日の何もかもに一喜一憂なんてしない。ただ疲れた。家への帰り道、空腹だったが何を食べたらいいかわからなかった。コンビニでカップラーメンと缶ビールを買って帰った。料理はしない。食べるまでに考えることが多すぎるから。

二十七歳、独身。大学を卒業し実家を離れた。新天地で働き始めて五年目。記憶の中の太い直線。すべての日の出来事が点になってその線の周りに散らばっている。しかし線がすべて飲み込んでどれも見分けがつかなくなる。間違い探しのような毎日。最近気になるのは不眠といつもコンビニで買うボトルコーヒーやお茶の値段が上がっていること。別に大きな不満はない。退屈かもしれないけど、どうしたらいいかわからない。

実家には帰省せず、一人で年を越した。新年の抱負を考えてみたりもした。なんだか特別な年になるような気がした。でも一月四日にはその抱負を忘れてしまった。あまりにも巨大な日常が非日常的なものをすべて飲み込んで胃液で溶かした。また明日、また明日、また明日、また明日、また明日、また明日。去年も今年も年末年始に考えることは同じ。きっと来年も再来年もそう。去年は何をしていたっけ。どんな一年にしようと思ったんだっけ。それで、どのくらい特別だったんだろうか。

一月七日土曜日。僕は高熱を出した。金曜まではなんともなかった。形あるものには影があるように、疲れが体内に付随しているだけだった。朝目が覚めて異変がある。脳がゆっくり震えているような気持ち悪さ。自分だけ重力が不安定な感覚。熱を測ると三十八度五分。今日が仕事じゃなくてよかった。何をする気力もない。ここで寂しく死ぬかもしれない。そんな不安が浮かんだ。-それはそれでいいかもしれない。
「いや、死にたくはない。それはいやだ」
僕は意識がもうろうとしたまま、はっと気が付いた。

よかった、自分には死にたくないという願望があるんだ。
なんてのんきなこと、と他人事のように思う。

その日、僕は水をたくさん飲み、じっと横になって過ごした。なんてひどい一年の始まりだろうと思う。一月七日の点は平均線の遥か下方にあった。それでも、高熱で回転して見える狭い部屋の中がなんとなくキラキラしているような感じがした。

一月八日日曜日。僕の体調に変化はなかった。今日の点も底辺くらい。絶対的な存在感を放っていた直線がいびつに傾いた。水分補給を忘れずに、横になって静かに耐えた。この二日はほとんど食べ物を胃に入れなかった。

一月九日月曜日。成人の日で祝日。熱は嘘のように消え去っていた。体は雀のように軽い。金曜ぶりにシャワーを浴び、ひげをそった。生まれ変わったような気分になった。真空が生まれたような空腹感に襲われ、僕は買い物に外へ出る。風もなく清々しい朝だった。

帰りにアパートの自分の郵便受けを確認する。チラシやら広報誌やらがたまっていた。そういえば木曜の朝くらいから確認していなかった。一つずつ確認し、ゴミ箱に捨てていく。最後に見慣れないハガキが手元に残った。それは遠くに住む両親からの年賀状だった。

新年を祝う可愛らしいウサギのイラストに、父と母それぞれの短いメッセージが添えられていた。両親から年賀状が届くのは初めてだ。なんてことのない内容だが、手書きの父の固い文字と母の丸い文字の雰囲気に、どうしてか泣きそうになってしまった。特に理由もなく帰省しなかったことを後悔した。きっと恥ずかしくて何も話せないのだが、今すぐ父と母に会いたかった。

僕はすぐに両親へ連絡した。ありがとうと伝えた。遅くなってごめんねとすぐに返信があった。それでも気持ちがおさまらずどうしたらよいかと考え、自分も年賀状を出すことに決めた。もう年始の挨拶には遅い気もするが、とにかく両親に何かを伝えたかった。

その日はたった一枚の年賀状を完成させることにすべて費やされた。九日の点はどこに記録されただろう。たぶん上の方でいいと思う。まったく変な三連休だった。生活に引かれた太い線は、急な乱高下に弱々しく細くなっていた。収束して一つになっていたここ最近の点たちが、再びばらばらになっていた。それぞれに視点をあててみると、うっすらとその日を思い出すことができた。そして微妙にどれも違うことに気付いた。

繰り返しの毎日。それはもしかしたら僕がいつも同じ場所でそれらを眺めているからかもしれない。

一月十日火曜日。電車内は戦場のよう。僕は人の塊の中にいる。特に何も考えていない。いつもの地点、大きな看板の中の女性が僕を見ている。いつも同じはずなのになぜだか今日は悲し気に見えた。昨日はよく眠れた。頭は冴えている。いつもの改札を抜けた。今日は一段と冷える。

上司の機嫌はそこそこよし。連休明けにしては珍しい。プロジェクトは平行線。同期はまだ帰省中のエピソードを話している。後輩はミスをして落ち込んでしまった。

今日はどんな一日だっただろう。いいかどうかはわからない。だって他の日と比べたって意味がないから。だから今日の何もかもに少しだけ一喜一憂する。もちろん毎日疲れるだろう。でも生きていたらそれは仕方のないことなのだ。

僕はそう思うことにした。今年のちょっとした心得だ。新年の抱負なんて毎年すぐに忘れてしまうから、そんな立派なものは掲げない。今年はひどい始まり方だった。その記憶はしばらく頭に焼き付くことだろう。それと一緒にその心得も覚えておくことにする。忘れるまでで、毎日覚えておくことにする。

会いたい人たちのことを考えながら、僕は明日のために眠りにつく。

#note書き初め


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