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傷つけられるということ

むかし、ひとを確かに傷つけたと自覚した事があった。21歳のわたしの言う"むかし"なんて知れているが。
カメラロールをスクロールしているとその記憶は思い出された。

自分より歳が上の大人の女の人の、好きな人を取ってしまった形になった。今思えばその時の私は浮気相手の女とか言われる立ち位置に居たのだ。
大人2人に挟まれて、なんだか私も精神的に大人になったつもりだったのだろう。だから、後に彼女のTwitterでガキって書かれて、
あ、私ガキに見えてたんだ。とはっとしたことがあった。この話は話すととても長いから深く言及はしない。
このことは私にとっては、自分がごく当たり前に恋をする過程で、人を傷つけた。彼女がどれくらい傷付いたのか私には分からないのだ。
それで、今回言いたいのは私も傷ついただとか、ひとのものを取ってはいけないだとか、そういうことではない。

もう一つ。小中学生のころ、いじめられたことがあった。壮絶なイジメと書くほどのいじめじゃない。私は本当によくからかわれていた。当時は嫌と言えない性格をしていたし、学校という狭い社会で大胆な言動を取るわけにはいかなかった。
思えば私に対するイジりと称したいじめも相手にしてみれば、何かその場を盛り上げたり、その構図によって立場の優劣を作りたかっただけだと思う。(全然許すわけないけど)

自分が他人の行動によって傷つく時、それは誰かが何か成す過程の一部に過ぎないのだと思ったのだ。
他人に傷つけられるというのはそれ程に下らないことだ。

つまりは私が思う程相手は自分のことを考えてはいないということ。想像でしか悪意は計れないのだ。他人の悪意を想像したとき、悪者になるのはきっと私だ。

私は感情は財産だと思っている。ただ、どう昇華させるかが品性によるところ。かも。

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